主に感謝し
御名を呼び求めよ。
そのみわざを
諸国の民の間に知らせよ。
主に歌え。
主にほめ歌を歌え。
そのすべての
奇しいみわざを語れ。
(詩篇105:1〜2)
牧師室から
『驚く恵み』詩篇105篇
小泉美早子牧師
詩篇105篇は神の家族の物語、救いの物語です。1人のアブラハムから始まります。小さい、数に足りないよるべなきさすらい人。しかし神は永遠の約束をもって、彼と子孫を守られます。それどころか油を注ぐのです。神の物語は小さい所から始まります。
もしも希望があるとするならば、神は変わることなく彼らの神であり続けたということです。当時、神と呼ばれる存在が奴隷の神にまでなって下さることはありえないことだったのです。神々とは特権階級を庇護する存在。裕福な者を寵愛する存在。しかし聖書の神はそういうお仕着せのストーリーには目もくれず、国の中の最も小さくされた集団に光を当てるのです。まるで常識的な価値観に異を唱えるように。対抗文化を生み出すように。
神の民が語らう時、単純な成功物語の占める位置はない。私たちの過ぎ越しであるイエス様の十字架を見上げる以上、自分たちが罪の中から救われたことは世の中の間違った価値観にノーを突きつける対抗文化の中に召し出されたことをこそ喜ぶのです。ただされるのは弱肉強食社会であれ、経済至上主義であれ、高度消費社会であれ、自慢話ではない。過去の美化でもない。ただ神の憐れみをこそ語るために教会は立ち、神の民は生かされています。
私たちは永遠の神の契約をこそ語りましょう。われらが滅びなかったのは神の恵みによると語りましょう。それどころか空しい間違った社会通念に背を向け、むしろ対抗文化の物語に生き、神の国の完成に望みをおく、壮大なストーリーの登場人物とされていることを喜びましょう。
それはたとえ小さいところから始まろうと、今なお生き生きと進んでいることなら、いくらでも証しし呼びかけるのです。あなたもこの物語の登場人物になりませんかと。
〜みことばの黙想と適用〜
アブラハムは信仰の父と呼ばれています。今日の礼拝メッセージを通して、1人の人アブラハムから始まった壮大な信仰の家族の物語が思い描かれます。神はアブラハムに彼と彼の子孫が世界の相続人となるという約束を与えられました。また、アブラハムの信仰に倣う人々もこの約束は保証されています。この壮大な神の家族の物語を思うとき、たった1人のアブラハムから始まったこの信仰の家族のストーリーは、今では星の数のように増え広がり続けています。神の契約は永遠です。神は必ず約束を成就されます。この壮大なストーリーは小さなところから始まります。神がアブラハムに「わたしが示す地へ行け」と言われたとき、彼はどこへ行くか分からずに出て行きました。このアブラハムの小さな従順から全ては始まったのです。私たちの信仰生活を振り返るとき、小さな一歩を踏み出す瞬間があったはずです。すべては神の恵みにほかなりません。私たちが滅び失せなかったのは、ただただ神の恵みによるのです。この神の物語は今も続いています。私たちはこの永遠の神の契約を語り続けようではありませんか。ハレルヤ❣️主よ、感謝します🙏