人を生かすみことばの力1176 『神の言葉のために』❣️ 6月30日 主日礼拝にて | 人生のことや受験や子育てのことなど思いつくままに書いてみました

人生のことや受験や子育てのことなど思いつくままに書いてみました

人生山あり谷あり。行き当たりばったり人生の私が直感に従ってあゆんできた「結果オ―ライ」の「転んでもただでは起きない」人生観を思いつくままに書いてみました。でも実はそれは神様の恵みのご計画だったのだと今は感謝しています。

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よく指導している長老は、

二倍の尊敬を受けるに

ふさわしいとしなさい。

みことばと教えのために

労苦している長老は

特にそうです。


聖書に「脱穀をしている牛に

口籠をはめてはならない」、

また「働く者が報酬を

受けるのは当然である」と

言われているからです。

(第1テモテ5:17〜18)


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牧師室から

『神の言葉のために』

テモテへの手紙 第一 5章17〜18節

小泉智牧師

 パウロは長老に目を向けるのです。教会で指導の任に当たる人です。自分の思うところを好き勝手に語るのではありません。みことばと教えのために骨おることだと言われているのです。現代で言う牧師の働きです。礼拝で聖書からの説教が重んじられるのは、御言葉によって生活も人生も決定するからです。


 そういう長老は二重の尊敬を受けるにふさわしいのです。二倍の報酬と訳していい言葉です。今でいう牧師謝儀です。尊敬の念がないのなら、報酬も成り立ちません。何に対する二倍かはっきりしませんが、豊かすぎもせず、貧しすぎもしない、ふさわしいだけの謝儀が用意されることを願うのです。


 申命記の言葉が引かれます。牛にくつこがかかると、十分な働きに制限がかかる。長老とは牛以上の存在ではないのでしょうか。さらに根拠として主イエスの言葉も引かれます。主も御言葉の働き人が報酬を受けるのは当然だと認められました。


 謝儀とは労働の対価に支払われる給与ではありません。あくまでも感謝の気持ちのあらわれです。何に対する感謝でしょうか。御言葉が語られることに対してと言っていいのでしょう。従って、私たちがここで問われるのは御言葉に対してどれほどの重きを置いているかです。どれくらい御言葉を聞きたいと願い、飢え渇いているのか。人生の中で御言葉の占める比重がどれほどのものか。改めてはかる必要があります。


 御言葉が語られ、聞かれる恵みを当たり前に受け止めてはいけません。御言葉の奉仕者として立つ者を祈って支えるのは教会に託された大切な奉仕だと覚えたいのです。これからも御言葉によって教会が形造られていきますように。


〜みことばの黙想と適用〜

 今日の礼拝メッセージは、人間的に見ればなかなか触れにくい部分でもあります。お金の問題が関わっているからです。聖書には、主の御言葉の働き人が報酬を受けるのは当然だと書いてあります。わかりやすく言えば、牧師は一般の会社のように給料をもらっているわけではなく、聖徒たちの献金によって支えられているのです。このことが成り立つのは、聖書の御言葉をどれだけ信じているかによります。そもそも教会は人間の所有物ではありません。教会のかしらはイエス・キリストであり、教会は神のものです。ですから、神が養っていてくださるのです。父なる神は生きておられるので、経済的な必要もすべて満たしてくださいます。特に信仰によって十一献金を献げることによって、個人的にも経済的必要が満たされます。神は私たち一人ひとりの生活の必要をも豊かに満たしてくださいます。神は喜んで献げる人を愛してくださるのです。ただ、問題は、私たちが御言葉に対してどれほどの重きを置いているかです。人生の中で御言葉の占める比重がどれほどのものか?どれくらい御言葉を求めてうえ渇いているか考えさせられました。御言葉の奉仕者として立つ者を祈って支えるのは、私たち神に召された者にとっての大切な奉仕だと覚えます。主の御言葉は生きています。これからも御言葉によって神の教会が建て上げられていきますように。

アーメン🙏



感謝します✝️




 








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