良い行いによって
認められている人、
すなわち、子どもを育て、
旅人をもてなし、
聖徒の足を洗い、
困っている人を助けるなど、
すべての良いわざに
励んだ人にしなさい。
(第1テモテ5:10)
牧師室から
『知恵を尽くして』 テモテへの手紙 第一 5章9節〜16節
小泉智牧師
身寄りのない女性への支援の助言として登録制が勧められるのです。やもめという抽象的存在があるわけではありません。名前も顔も固有の人生もある人だからこそ名簿も成立する。60歳以上の者であって信仰生活で今まで証のある方と条件が定められています。支援の当初は名簿などなかったのです。様々な段階を経て、混乱も通り、継続的な支援体制の知恵が整えられたのです。範囲を定めない支援ではしょせん長続きしません。
当時は若い女性が結婚しませんと誓い、奉仕生活の専念に入る習わしがあります。中には伴侶を失った女性もいました。カトリックの修道女と重ねられるようなライフスタイル。問題は、献身を神に誓いながら舌の根も乾かぬうちに誓いを破り再婚する女性です。再婚が問題と言うよりも神への誓いとはその程度の軽々しいものなのかという指摘です。語る告白に責任ある者であれと言うのです。もとより人が不誠実なのは百も承知です。しかし真実な神は誓いを果たさせる力もないと軽んじるのでしょうか。
伴侶の死後、独り身で主に仕え、やもめの神を証しするのも人生です。同時に再婚して信仰者の家庭を形成し、時間をかけて地域の福音化に用いられるのも人生です。しかし、主など信頼に足りないと教会を離れ、間違った福音を伝え歩く女性の本音は深刻です。誓いを守らせる主の教えなど厳しい。もっと自由に生きたい自分を応援する教えを求めよう。彼女に必要なのは支援ではなく悔い改めです。
これらの状況を見極めながら、本当に支援を必要としている人に対してふさわしい支援が行われるように知恵を尽くす。これが今も昔も変わらない教会の使命の一環です。
〜みことばの黙想と適用〜
今日の礼拝メッセージを通して、教会における現実問題に対する対処法について思わされました。聖書の御言葉には、具体的な対処の仕方が書いてあります。今日の聖書箇所を読んでいて一つ気づいたことは、神に対して安易に誓ってはいけないという教訓です。そこで思い出したのが、イエス様が言われた御言葉です。「しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。・・・(マタイの福音書34〜37)安易に誓うことは自分で自分の首をしめることでもあると個人的には思います。私たちには明日のことはわかりません。今の時点においては「できる」と思えることであったとしても、状況が変わればできなくなることもあるからです。何はともあれ、すべてのことについて神の御心をまず求め、上からの知恵を求め、聖霊の導きを求め、教会として本当に支援を必要としている人に対してふさわしい支援が行われるようにと願います。
主の御心が実現しますように🙏
感謝します💖