牧師室から
『叫べ全地よ』 詩篇100篇
小泉美早子牧師
喜びの叫びがこの賛美には響いています。喜ばずにはおれないのです。人は主に思いを向けるときに喜びが湧き上がるようにできている。世界に満ちているのは悩み・苦しみ・悲しみかもしれない。しかし、どんな闇にいる者であれ、この方に心を向けるなら、そこには喜びが生まれる。
喜びの中にいる私たちは、その喜びを隠してはおれません。むしろ、この喜びを誰かと分かち合いたくなるものです。だから全地に、世界中に発信するのです。呼びかけるのです。叫ばずにはおれないほどの歓喜です。しかも、喜びは分けても半減しない。
喜びに理由などないに等しいのですが、一方ではっきりしていることはあります。主に心を向ければ、自分が何者なのかがわかる点です。われらは主のもの。その民。牧場の羊。主が私を造ってくださった。ならば、わたしの生きる理由も目的もこの方抜きにつかめるはずもない。羊飼いが羊を守り、養うように、主に養われることなしに、人生を正しく歩めるはずがない。しかし、主の手に導かれる人生を自覚する者には、自分探しは卒業です。
自分で自分を規定することなどできないのです。わたしたちの思いを主に向けるなら、だんだんとわかってきます。自分が何者なのかも、どうやって生きるのかも。わたしは神の愛の対象。それだけでも十分ではないですか。
一人ひとりの人生は固有で、かけがえはない。もっとも人である以上、共通点もある。なぜ自分は造られたのか。主に感謝をささげるためです。ほめたたえるためです。賛美を響かせるためです。この目的からそれた人生はありえない。無理に鼓舞せずとも、主の恵みといつくしみとまことを思えば、たたえずにはおられない。人は主を礼拝するために造られました。今、ここで私たちは人として最も根源的な行為をしています。主をほめたたえよ。
〜みことばの黙想と適用〜
今日の礼拝メッセージを通して、「主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」(ネヘミヤ8:10)という御言葉が思い出されました。この地上においては悩み・苦しみ・悲しみが満ちています。主から目を離してそれらに目をとめてしまうと、たちまち喜びが消えてしまいます。しかし、人が主に心を向けるなら、状況にかかわらず心の奥底から喜びが湧き上がるのです。この喜びは何ものにも奪われることはありません。泉のようにいくらでも湧き出て来るのです。この喜びを誰かと分かち合いたくなります。しかも、喜びは分けても減りません。かえって連鎖反応のように伝染して増えていくのです。人生の目的は主をほめたたえ、主の栄光を現すことです。主の恵みといつくしみとまことを思えば、主を賛美せずにはいられません。私は神の愛の対象。それだけで十分です。人は主を礼拝するために造られました。ハレルヤ❣️
わがたましいよ、主をほめたたえよ💕✨