年の瀬も迫り車を運転していると忙しない車が少々目立つ。

トラック等物流関係の職業ドライバーだったり、仕事納め前の挨拶回りで時間に追われている人も多くいるとは思う。

中には出勤で慌ててる人もいるのかなと。


確かに時間を守るのは社会人として大事な事。

ただ、その1分1秒の為に自分自身や他者を危険な目に合わせてはいけない。

”いつも大丈夫だから”や”これくらいなら”と言った何の根拠の無い考え方は

見えない所で他者が回避してくれてたり、ただ偶然が続いているだけに過ぎない。


自分も以前はそうだったけど、贖いの日々を読んでその事を痛感した。


百歩譲って交通違反で余計に時間と金銭を消費するだけで済むならまだしも、場合によっては人生を崩壊させる事になり兼ねない。


ゴールド免許で安全運転を心掛けていた人が魔が差して交通規則を破ったが為に、尊い命を奪ってしまい犠牲者の関係者はもちろん、自身の両親や親族に多大な迷惑をかけ、子宝にも恵まれ仕事も昇進し、マイホームを建て幸せだった家庭と職を失い…

独りになり金銭面では慰謝料や残債処理と、遺族への償いきれない過ちとどう向き合うか。

日々、懲役中の作業を真剣にこなし、自由時間にその償いについて模索している最中だと言う手記もあった。


フィクションである小説やドラマ、映画等の様には、救いの手や解決手段はそう都合よくあるはずも無いのである。


上記は働き盛りの方の例。


タイトルに書いた免許返納について常々感じること。

高齢化社会になりニュースでも高齢者の運転ミスによる悲惨な事故が散見される。

遺族の真摯な対応を考慮し個人的な憎悪は避けたいので、大きな事件に関しては触れない。


現在の免許更新では一定の年齢を過ぎているとで検査項目等が追加される。

ただそれはあくまでも試験に過ぎない。

前もって対策をすればクリア出来る可能性は高い。


ちなみに自分も身体、精神の都合上、免許更新は医師と相談しつつしている。

ただ免許更新時にはあくまでもそこは自己申告である。


少々変わった話をすると、よく見かける車で車体がボロボロになっているのがある。

最初は失礼ながら修理に無頓着なのかと思っていたが、数年経った今も所々修理はされてるものの使用している様子。


その時は何も感じなかったが、ある日その運転者を偶然にも見掛けた時に胸が苦しく感じた。


1人で杖をつき生活に必要な買い物をしている御年配の方だった。

直接お話をした訳では無いので憶測になるけども、生活していくために買い物に行く手段が車しかないのかなと。

その地域は交通の便も良いとは言えない。


ただ気がかりな点は、ご子孫や周囲の人達はその方の実情を把握しているのか。

車が修理されているという事は他者ともコミニュケーションは取っているはずである。


最近の忙しない車の中にも御年配の方がいて、自車に何度も追突しそうな運転をしていたけども、当人は顔色一つ変えず”普通に”運転していた。


煽り運転の様な状況になっていたので自分は道を譲ったけど、その方の運転状況は変わっていなかった。


この時期になると灯油等、車でないと搬送が大変な物も増えてくる。

”しょうがないから車を運転してる”方も多いのかなと感じた。


ただ自分が思った事はご子孫がいるならば、無理はさせてはならないなと。

免許返納については自分はまだ大丈夫と思ってる方が多いと思う。

それを家族や周囲の人が客観視して説得する事も大切だと思う。

そして不便をさせない様に代わりに運転をする等、できる範囲で助けるのが真の親孝行だったり慈善活動かと。


代行サービス等、お金で解決できるのならそれでも構わない。

自分としては認知しつつも見て見ぬふりや、有耶無耶な考え方のまま放任するのが一番心苦しく感じる。


例え他人を巻き込まなくても単独事故を起こしてしまう可能性もある。


自分もそろそろ両親と免許返納について話し合う年代になってきたから、過敏に反応してるかもしれないけど…

家族で話し合い状況をしっかりと把握し対策を真剣に考える事の大切さを改めて感じた。