私の妹 | けんととかわのブログ〜AMLと闘ったけんとは心に。

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【夫が白血病に】2人で綴ってきた闘病ブログが
2011.7.9 けんとが闘い抜いた後も、かわが残す2人の確かな記録とかわの日常を綴るブログに〜まだまだ続く私達の軌跡にもうちょっとお付き合いを。


どうしたらいいのかな.…と思っていたら

勇気を持って?書いてみようと思うことがありました。

何故かちょっと不思議な感じで

でも、自分を見つめ直す為に

思い出してみようと。




私には2歳違いの可愛い妹がいました。

今日1月28日は

その可愛い妹の命日。


photo:01

私5歳、妹3歳の1月2日

まさに、ALWAYS 3丁目の夕日!

その頃はまだ珍しかった⁉車が家にはありました。

妹は大人っぽいポーズで

おしゃれさんだったみたいだね⁉


photo:03

これも同じ年のひな祭り

右側の妹はちゃんとした姿勢でいるのに

私は口を開けてポケ~とした感じ(笑)

それに比べ妹は

見るからにしっかりしてそうでしょう⁈


超古~~~っ

のツッコミはくれぐれも無しでお願いします(汗)



妹は、その春に小学校入学に入るのを楽しみにしていた6歳の時

わが家は全焼してしまい…亡くなりました。

夜中に両親が気づいた時には

火の回りが早く、

2階の寝室で二段ベットの私達は起こしてもダメで

母は2歳になる弟を抱えながら

上に寝ていた私を引き摺り下ろして

窓から投げ下ろしたのです。

先に布団を投げていたのと、

父が受け止めてくれたのです。

そして妹を

でも、両親と弟が寝ていたダブルベッドのヘッドの部分と

二段ベッドの下がT字に重なっていて

母の力では引き上げられず

火がかなり迫ってきて

弟を抱いて飛び降りたようです。

どんな気持ちだったのでしょうね…

悲しすぎて想像を絶します。


私が気づいた時は

パジャマのまま父に抱かれていました。

そして目の前で家が燃えていました。

父はケガをしていたので

私も血まみれでしたが無傷。


父は火事に気づいた時

その当時、家と工場は一緒で

家に住込みしていた従業員を起こしに行き外に出て

そのまま私を受け止めてくれたようです。


ただ、その若い従業員の方は

残念ながら犠牲になってしまい

後々大変だったようです。

子供だった私は

その頃は知る由も無かったことですが。


そして妹が中にいると知った父は

近所の人が止めるのを振り切って

家に入っていって大火傷をしました。

あの時の

妹を呼ぶ両親の声


救急車に無理やりのせられた両親

私は近所の家で一晩を過ごして

ずっと妹のことを考えていました。

きっと近所の違う家に同じようにいるはずだと。

でも、誰にも聞けずにいました。


妹の通夜告別式は

ケガをした両親は出ることが出来ず

父は危篤状態でしたが

奇跡的に生き延びてくれました。


この写真は火葬場で

いとこのお姉さんと一緒に撮った1枚

photo:02

自分ながら微笑んでいて

偉い8歳です。


火事で全てが無くなり、写真もわずかで
記憶も半世紀近く前になると

すべてが過ぎ去ってしまったことになるんだなあと思います。

妹は6歳しか生きれなかったけど

私をどう想っているのかな。

振り返ると

どれだけ彼女のことを考えて生きてきたんだろうと、

この命日は考えさせられます。

今年もその日がやってきました。

photo:04


妹への花束

喜んでくれてるかな