30分で5万円のお布施
ある記事にそう書いてあった
初めてお布施として5万円をもらったとき、これは危険だと思ったのだという禅宗の人の回顧録だ
これではただの金儲けになると
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この記事を考えるときのキーワードは
「布施」「もらう」この2つである
「布施」
労働の対価ではない
この禅宗の人は僅か30分の労働で5万円もの収入を得たと理解しているがこの点について次の2点のことが言える
①お布施は宗教法人のものであり僧侶が個人的に手に入れられるものではい
たとえ100万円のお布施であっても
僧侶には1円も手元に入らないはず
僧侶の収入は宗教法人からの給料のみである
②布施とは命を奉るという意味であり、在家の不惜身命の大切な修行なのである
30分の読経はその修行の手助けとしての側面がある
一般人は経済活動の中で生きているからどうしてもお布施を自らの修行と考えることが出来ない
そんな一般人をして修行させるために読経の報酬というかたちをとり布施修行させる、それが僧侶の役割のひとつなのだ
「もらう」
お布施はもらうものではない
預かるのである
檀信徒の総意をお寺と称するのである
そして「信仰の対象を護持したい」と願う檀信徒一人一人のお気持ちを総意という
この総意にお布施は納められるのだから僧侶は「お預かりします」と言って
お布施を受け取るのである
お金儲けに走らない私は良い僧侶と言いたげだが根っこが違うのだ