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鈴木健.txtブログ――プロレス、音楽、演劇、映画等の
表現ジャンルについて伝えたいこと

BGM:Carl Douglas『Blue Eyed Soul』

 

本日10月21日、玄光社より小林邦昭さんの生涯をご自身の証言とともに綴った『虎ハンターの美学』が発売となります。すでに当ブログでもその告知と発刊にいたる経緯を書きましたが、ここでは書籍として出せたことに対する思いを語らせていただきたく思います。

 

本書は小林さんについての一冊ですから、鈴木健.txtの私的な話は「あとがき」に留めています。唯一、本章の中ではフィッシャーマンズ・スープレックスをリアルタイムで目撃したファンの立場から、それにまつわるエピソードを書いたぐらい。ただ、全体から抑えきれぬ“虎ハンター愛”はにじみ出てしまっていると思われます。

 

それと同じぐらいにこだわったのが、マーシャルアーツパンタロンについての細かい記述。どの試合でどのタイプ(赤と黒の2種類が代表的ながら、入っているラインの色がそれぞれ違う)を着用したか、記憶をたどったり当時の記事を確認したりして日本凱旋帰国前のメキシコ時代までさかのぼり「パンタロン史」を文献としました。

 

一般的には小林邦昭の闘いの歴史というと、タイガーマスクのライバル時代と誠心会館勢との抗争が代表的なものとしてあげられると思われます。でも、その足跡をつぶさに検証すると史実的には大きくクローズアップされていないところで、実はソウルフルなドラマがあったことが掘り起こされました。中でも平成維震軍時代、野上彰(現・AKIRA)選手と繰り広げた試合の中で、小林さんはプロレスに対し新たな価値観を見いだせたことがうかがえました。

 

またメキシコ修行時の記録も、今のようにネットを通じてすぐ情報が入ってこない時代だったため当時は断片的にしか記事になっておらず、それを“ドクトル・ルチャ”こと清水勉さんのご協力を得て発掘する作業がとても楽しかったです。調べれば調べるほど、当時の小林さんがメキシコで残した実績の凄さがわかりました。

 

そうした内容に関してはとにかく読んでいただきたく思うわけですが、本書を上梓するにあたって嬉しかったのは小林邦昭さんとの共著という形にしていただいたことです。ファンになった自分をプロレスから脱することができぬところまで引きずり込んでくれた方と永遠に名を並べるわけですから、光栄などという既成の言葉では追いつきません。

 

あとがきにも書きましたが、あこがれの存在と同じ業界に長くいながら私は本書の製作へ携わるまで小林さんとの接点はほぼありませんでした。それがなんという運命なのか、虎ハンターの功績を後世に残すための本を書く使命を仰せつかったのです。

巻頭に掲載された小林さんと佐山サトルさんの対談から取材は始まったのですが、その席でお二人とのスリーショットをカメラマンさんに撮影していただきました。以後、小林さんへの単独インタビューでは仕事に徹する必要があったため写真をお願いしていません。

 

だからこのカットが生涯唯一の、小林さんと撮らせていただいたものとなりました。何人(なんびと)たりとも入り込めぬお二人の関係性を思えば、その間にはさまるなどおこがましいのですが(本書には掲載していないアザーカットです)、完成できたことを小林さんにご報告する意図で公開させていただきます。

 


▲2023年12月23日、帝国ホテル「中国料理 北京」にて

あとがきでは「私が愛した小林邦昭に伝えらなかったこと」と題し、本書が完成した時にご本人へ明かそうと決めながら果たせなかった事実を書いています。そう…そうなんです、おそらく本書の完成を誰よりも楽しみにしていたのが小林さんだったのに、ご本人に読んでいただくことがかなわなかったんですよね。

 

お手元へ届けるさいの「ありがとうございました」も言えなかった。だからこのショットを見るたびに、その言葉を唱えるようにします。

ご本人とともに、本書を心待ちにしていたと思われるのが長女の伶衣さん、次女の彩花さんだったと思われます。小林さんとの別れがあったあと、気持ちを立て直して原稿へ向き合うにあたり支えとなったのが、お二人の存在でした。

こちらが顔もわからぬライターでありながら、出版を止めることなく了承いただいたことを感謝するとともに「小林さんの証が世に出るのを望んでいる」と受け取り、それを原動力とし突き進めたのです。製作後半の段階で、書きあがった原稿に目を通していただいたのですが、その伶衣さんによるご返信はお父様に対する愛情と誇り、そして本に対する熱量が伝わるものでした。そればかりか、大切な思い出である父子の写真もご提供いただきました。

ですからこの作品は小林さんと私だけでなく、虎ハンターが父の顔となった時に愛したお二人も含めた共著と受け取っていただきたく思います。

それ以外にも特別手記(聞き書きではなく、ご自身の手でしたためたもの)を寄稿いただいた齋藤彰俊さんや、アントニオ猪木パネルにまつわる秘話について語っていただいた棚橋弘至選手、そして「小林さんの本のためなら」と対談に応じていただいた佐山サトルさんをはじめ、多くの方々のご協力、ご理解のもとこの書は世に出ます。それらに関してもあとがきに記していますので、最後のページまで一言一句、噛みしめていただきたいです。その全員が小林さんに対する深い思い入れを持ち、私に託してくださいました。

個人的には「自分の手で書きたい」と思っていた中から2人もの功績と物語を、同じ年に書籍として出すことができました。3月に発刊した『髙山善廣評伝 ノーフィアー』と執筆時期が重なったこともあり多くの皆様にご迷惑をおかけしましたが、この2025年は私自身の人生において『週刊プロレス』編集部へ入った1988年に匹敵するほどの特別な年となった気がします。

43年前の10月21日は、虎ハンター伝説が始まる前日です。その日、小林さんは和歌山県立体育館で翌日にタイガーマスクとシングルマッチで対戦するレス・ソントンとの一騎打ちが組まれていたことも今回、記録を掘り起こさなければ知らぬままでした。

翌22日、広島県立体育館にて入場時のタイガーマスクを襲撃したことで、小林さんの人生は劇的に変わりました。43年という歳月が経って自身の行動が本になるとは、想像もしていなかったでしょう。足跡をまとめた一冊ではありますが、生前遺した小林さんの言葉をもとに当時の思いを現在の視点で読み解くと、記録の裏からにじみ出る時代性や物語を味わっていただけるはずです。

そしてそこで得た自身の思いをSNS等を通じ世に広めていただくことによって、小林さんの存在がなおも知れ渡り、語り継がれていくと思うのです。それが小林邦昭という己の美学に生きたプロレスラーを図らずも最後に取材した立場となった人間の、心からの願いです。

 



〔書名〕虎ハンターの美学
〔著者〕小林邦昭/鈴木健.txt
〔発行〕玄光社
〔価格〕単行本四六版288ページ/2200円+税
〔発売予定日〕2025年10月21日
〔内容〕
・はじめに――本書を「追悼本」として書かなかった理由
・写真で振り返る虎ハンター小林邦昭ヒストリー 写真提供:小林邦昭
・巻頭対談~小林邦昭×初代タイガーマスク 佐山サトル
・第1章:虎ハンター紀元前 生い立ち~新日本若手時代
・第2章:メキシコ遠征で残した実績
・第3章:タイガーマスクのライバルとして
・第4章:ジャパンプロレス設立から全日本参戦
・第5章:誠心会館との抗争。そして平成維震軍へ
・第6章:佐山との再会。ダンディズムに殉じた引退
・第7章:猪木のパネルを外した真相と思い
・特別手記:齋藤彰俊「あなたとの出逢いは、自分の人生にとって『宝』でした。」 
・あとがきに代えて――私が愛した小林邦昭に伝えられなかったこと

・小林邦昭vs佐山サトル/初代タイガーマスク シングルマッチ全戦績

 
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BGM:サカナクション『アイデンティティー』

 

私のInstagramを3年前にさかのぼっていただくと、同じ時期に「秋刀魚一匹がそのままお弁当に! 秋ですね」のテキストのみで同じものをアップしています。食リポは一切なし。なぜかというと、通りすがりに目撃して絵力が強かったため写真だけ押さえ、実は購入していなかったのです――という、3年越しの自白の場です。

食っていないからフタも開けていない。それによって、当時の価格が証拠として残っていますね。この時代に3年間でわずか30円の値上がりなら、いいんじゃないでしょうか。

 



思い出したわけではなかったのですが9月に根室へいったさい、一夜で食べた秋刀魚の量が人生で最大というぐらい食べて以後、どうもその味が忘れられない。もともと秋刀魚は魚嫌いだった小さい頃もマスと並んで好きなおかずでよく食べていたのですが、それほど根室のジャイアントサンマはトラウマ級のうまさだった。

 



その残像が残っていたためか(重複表現?)、新宿丸井本館B1階にあるナチュラルスーパーマーケット・ビオラルの前を通ったさい「そういえばここに秋刀魚一匹弁当があったな。今も売っているのだろうか?」と吸い寄せられたところ、やはりあったというわけです。

さすがに根室の秋刀魚と比べるとスタンダードなサイズですが、今回はもちろん購入。で、実食。「北海道産骨まで食べる秋刀魚と秋の味覚弁当」が正式名です。ちなみにほとんど同じ絵ヅラでありながら2点載せたのは、フタを開けた=買って食べたという証拠として提示するためよ。

 



秋刀魚だけでなく大きな卵焼きとサツマイモ、そして牡蠣フライが入っていましたが、私は唯一アレルギーが出てしまう食物が牡蠣でして。おいしいのは重々承知でありながら食べられないという不幸のもとに生まれたのでした。

でも、それを差し引いても玄米の炊き込みご飯と一緒に食べる秋刀魚によって秋を実感できます。骨は確かに食べられるほど柔らかいのですが、それ自体に味はないのでやはり取り除けるところは取り除いて食べました。あと、身とわたの区別がほぼつかず、頭と尻尾の先以外は胃袋に消えました。食べようと思えば、頭もいけるのでしょう。それやったら岩鬼だよ。

 



というわけで、グッと来た方は秋のうちにいってください(一緒に写っている大福はついてきません、悪しからず)。

BGM:Bon Jovi『It's My Life』

 

今年3月に発刊された『髙山善廣評伝 ノーフィアー』ですが、その後も関連イベントは継続され、先の9月3日「TAKAYAMANIA EMPIRE Ⅳ」における会場即売で一区切りがついた形となりました。そのタイミングで、版元の担当者さんに打ち上げの席を持っていただきました。そこは高円寺にある「プロレス道場の食堂 ちゃんこの台所」…そう、C.A.C.C.スネークピットジャパンを主宰する宮戸優光さんの食堂です。キャッチ・アズ・キャッチ・キャンを教えている一方で、宮戸さんは「プロレスラーの食事を一般公開」をコンセプトに、本格的な料理修業を積んだ腕でちゃんこを提供しているのです。

 



宮戸さんは髙山さん本の中で証言者の一人としてご登場いただいており、その御礼もかねて久々にお邪魔させていただきました。さかのぼると前回は2020年9月だったため、けっこうご無沙汰してしまっておりました。なので、帝王の本が導いてくれたことになります。

前回は評判の湯豆腐に舌鼓を打ち、カール・ゴッチさんが愛したハムエッグもいただきましたが、今回は豚チリ鍋のコース。豚チリって、プロレスラーの方々に若手時代のことを聞くとだいたいの選手が作っていたと口にするわりに、実際に食べるどころか見たこともなかったのです。家でもやれるんだろうけど、そこはやはり道場で食べる形式そのままの方がいいわけで。

それで今回のチョイスと相なったわけですが、宮戸さんの豚チリは通常の鍋に入れる豚よりも厚みがあり、食べ応えがあるばかりか野菜の量も多く、加えてつみれも入っているのでお肉好きとしては2種類ありつけます。

 



それをオリジナルのタレで食すのですが、鍋以外の料理にもそれぞれのタレがついており、蒸し鶏、冷ややっこ、ローストチキン(皮がパリッパリ!)とどれもこだわりのタレがうまさを倍増させます。食べている間、壁一枚を隔てたトレーニングスペースでは一般会員の方がサンドバッグを蹴る音が聞こえてきます。料理を進めながら、頃合いを見てそちらに移動し指導する宮戸さんの声が響きます。

 



食堂とトレーニングの指導を同時におこなうなんてすごいなーと思ったのですが、考えてみればプロレスの道場の日常がそうだったなと。ほかの選手たちの練習が続いている間、ちゃんこ番の若手はその音を聞きながら作るんですよね。

〆の雑炊も絶妙にほどよいヴォリュームで、お米の量も考えられているんだろうなと思いました。以前にFacebookでも書いたのですが、宮戸さんは自分が週刊プロレスの記者として初めて試合リポートを書かせていただいた、いわばデビュー戦のお相手なんです。UWF1989年2・27徳島市立体育館、安生洋二さんとの一戦でした。その31年後に宮戸さんの手料理をいただき、初めてのツーショットを撮らせていただいたのですが、今回は料理に夢中となるあまり忘れてしまいました。その場で忘年会の予約もしたので、次回こそまた写真をお願いします。

鍋は湯豆腐、豚チリ以外にもキムチ鍋、味噌、醤油、塩の中から選べます。完全予約制ですので、以下からお申し込みを。コース以外にハムエッグや卵炒飯などの料理も予約の際にリクエストすれば応えていただけるそうです。

 

 

BGM:筋肉少女帯『日本印度化計画』

 

その昔、ベースボール・マガジン社が水道橋にあった頃、昼ご飯は駅周辺よりもむしろ神保町にまで足を伸ばしておりました。まだカレーの街と呼ばれる前からカレー店がひしめき合い、その中で三大利用店が共栄堂とキッチン南海(正しくは洋食店だがカツカレーが人気)と、そして「まんてん」でした。

 



私の中ではベスト・オブ・カレーが共栄堂のスマトラカレーのため、利用頻度はダントツなのですが、若き日の月末絶賛金欠状態の時は他店に比べてリーズナブルなまんてんに助けてもらったものです。ここは近くにある明治や専修の学生さんたちに長く愛され続け、お値段も学生向けなのです。

退社以後は一度もいっていなかったのですが「今も残っているのかな」と思い立ち、たぶん20年ぶりぐらいにいってみたところ、やっていました! しかも、当然ながら当時からは値上がりしているものの、今の物価高を思えば肩を叩いてお礼を言いたくなるような良心価格。

何より小さい頃の追憶を再現したかのような日本のカレーそのものの味は、際限なく派生する現代の風潮においては懐かしくも逆にオリジナリティーを感じさせてくれます。挽き肉が入ったルーであっても、いわゆるキーマカレーとは別モノの感覚なんですよ。

まんてんならではのシュウマイカレーと迷いましたが、かなりお腹が減っていたため揚げ物補給指令が脳から出てしまいました。私のあとに入ってきた4人の外国人さんグループは、メニュー表をスマホで撮り、画像を英訳できるアプリを使って「カツカレヨッツ」と弾むように注文。その隣に座っていた私とカツカレーの懸け橋が成立しました。

名物だった食後のエスプレッソはもうやっていないようでしたが、満足度は満点のまま。とにかくこういうお店はずっと続いてほしいです。

食べたあと、意外にも紹介していなかったと気づく。てっきり一度あげていたとばかり。というわけで、いまさらながらのまんてんです。

 

BGM:矢野顕子『おいしい生活』

 

「BUTAKIN」さんは以前からInstagramやYoutubeのショート動画に出てくるたび、いきたいと思っていたんですよ。というのも、ニラまぜそばのヴィジュアルインパクト(画像BUTAKIN Xより)と、それによって膨らむ期待感が凄まじく「体重が〇kgまで下がったら」と自ら条件を課し、その域に達するよう励んでいたわけです。

 



そうこうしているうちに、ニラまぜそばをやっていた御茶ノ水店が終わってしまい、代わりに歌舞伎町店が7月にできました。我が生活圏内に入ってきたことでよりいきやすくなったわけですが、新店舗のメニューにニラまぜそばはなく、今は六本木店までいかなければありつけないそうです。

とはいえ、せっかくできたのだからといってまいりました。ここ最近、歌舞伎町ではもともとあったラーメン二郎歌舞伎町店に「豚に恋してる」(通称・豚恋)が加わり、さらにBUTAKINも登場と、時ならぬ二郎系戦争が勃発中なのであります。

まだ目標体重まで到達していませんが、夜ではなく昼ならいいだろうと向かい、注文したのは小ラーメンアブラ増しに生卵とガリマヨのトッピング、そして必需品のライスです。

 



歌舞伎町店さんは現在、ほぐし豚のみとなっており二郎系のデフォルトであるあの塊のようなブタではありません。でもこれが麺と一緒にスルスル入ってくるし、よりご飯のおかずっぽい。ガリマヨによる味変もいい頃合いだったし後半、満腹直前に生卵へ入れるとK点超え、いけます。

3店の中ではもっともご飯に合うかな(二郎はそもそもライスのメニューはなし)。樋口和貞似のスタッフさんが感じのいい方で「麺硬で」と言っても気さくに応じてくれました。

二郎系って、もともと太麺で硬めにしているところが多いので、麺硬でと告げると「ウチはもともと硬めだけどいいの?」と返されることがあり、何も知らない素人の烙印を押されていると勝手に思ってはちょっと怯むのです。なので、それをすんなりと受け入れていただけるだけでおいしさに直結するわけです。

樋口似のスタッフさん、ありがとう。もちろんおいしかったけど、やはりニラまぜそばもいただきたい。今は開店したばかりだから手が回らないと思われますが、いつかは歌舞伎町店でもニラまぜそばをやってください。

BGM:Billy Joel『Honesty』

 

現役時代は週刊プロレス記者としてその活躍ぶりを至近距離から見続け、引退後は同じ昭和41年生まれ(丙午)の一人として飲食業という他ジャンルで成功を収める姿に尊敬心を抱く松永光弘さん。みんな大好きステーキ&グリル「ミスターデンジャー」にも3、4ヵ月に一度ぐらいのペースでいかせていただき、戦場のような忙しい中でも必ず厨房から出てきて笑顔で迎えていただいている。

 

▲みんな大好き(大事なことなので2回書く)デンジャーステーキ

 

そんなデンジャー参り仲間でFMW‐W★ING時代からの松永メイニアの友人に、松永さんのライブへ誘われた。自作の楽器による音楽活動を続けていることは存じていたが、なかなか足を運ぶタイミングがなかったのでこれ幸いとばかりに飛びついた。1ヵ月の間に齋藤彰俊さんのトークライブでご一緒させていただいたあと、松永さんのライブを鑑賞するというめぐり合わせですよ、W★INGフリークスの皆さん。

 

当日は別件で東京を離れており、ライブ開始には間に合わずも松永さんの出番である21時には間に合った。初めていく街・中野新橋の駅前にある「中野新橋ゆらゆら酒場」(ゆらゆら帝国から採ったのかなどと想像)が会場。地下1階へ降りると、ちょうど出番前の松永さん、そして共演の雷神 矢口こと矢口壹琅さんがいたので挨拶。中はすでに満席となっていた。

 

どういった音楽性なのか、あるいは本人か歌うかどうかさえも予備知識がないままアーティスト・松永光弘を目の当たりにしたわけだが…正直、ド肝を抜かれた。自作楽器のヴィジュアル的インパクトは当然として、音楽に対するアプローチの仕方があまりに独創的だったからだ。

 

松永さんといえばあまり感情をあらわにせず同じトーンで話す方だが、ライブ中のMCもそのまま。にもかかわらず、一曲ごとに登場する楽器がアヴァンギャルドすぎて、それだけで独特の世界観を構築している。

 

一曲ごとに登場する楽器、と書いた通り同じ楽器は使わない。つまり、セットリストの分だけ楽器が用意されているということである。まず、ド頭からいきなり鎌を弦楽器にしたものを抱える松永さん。ここからはうろ覚えなので、正確な情報を知りたい方はライブに足を運んでいただきたい。

 

▲ミスター・ポーゴ様だったら「楽器じゃねえ、武器と言え!」とどやされそうな鎌による弦楽器。ほとんどデスマッチ用凶器アイテムだ

 

確かその楽器は「ハープ」と紹介されたと思う。実はその前に別の楽器からスタートしているのだが、写真を撮り忘れた。とにかく、ハウリングのような音を出すシロモノだった。で、この鎌ハープに限らず基本、松永さんの楽器は弦楽器or打楽器。要は弦楽器の土台を何にするかだから「やろうと思えばどんなものを使っても楽器にできる」のだ。さらには、叩けばその時点で打楽器となり得る。

 

これらの楽器を琵琶や三味線のように「ベンベラベン」と鳴らしながら松永さんは朗々と歌う。正直、奏でられる音階やメロディーが合っているのかどうかがわからない。外しているようでいて、本人いわく「ちゃんと弾いている」のだ。その証拠に、時たま「あ、間違った」と止まることもある。ただ、素人の我々にはどこが間違ったのか、あるいは何が正しい音階なのかの判別がつかない。

 

そのようなサウンドに乗り、昭和の東海林太郎あるいは関西アンダーグラウンド・ニューウェイヴシーンで知られる女性ヴォーカリスト・PHEWの男版のように朗々と、淡々と歌う姿はあまりにシュール。映えるのは続々と登場する楽器であっても、私はむしろ松永さんのそのスタイルに引きずり込まれていったのだ。

 

▲魚をモチーフにした楽器。これが本当のサカナクションか

 

そして最大の特徴は、楽器にちなんだ歌詞が出てくること。要はダジャレなのだが、だからこそ選曲は楽器ありきとなる。よくもそのワードが出てくる歌を見つけられるものだと聞いたところ「200曲ぐらい聴いてようやく見つけられることもあります」と、隠れた苦労を吐露した。

 

▲シャベルギター。これでフツーに奏でて、歌っている

 

一発芸的な要素があるだけに、長くは歌わずだいたいが1番か2番でその曲を終わらせるところが妙に潔い。そんな調子で『君は薔薇より美しい』『Honesty』『迷い道』といった誰もが知る曲を歌い続ける。FMWにとっては荒井昌一社長の曲という認識の『翼をください』をセレクトしてくれたのは嬉しかった。

▲これはどこかで名産品として売られている民芸品だったっけかな。けっこう手に入れるのに苦労し、ネットを探り続けて入手することが多いとのこと。これもちゃんと音が出る

 

『北ウイング』に関してはW★ING経験者ならではの悲哀を替え歌にし、集まったW★INGフリークスを爆笑させていた。とにかく松永さんの音楽性はユーモアに溢れている。

 

▲これも日本に何台かしかない貴重な楽器を土台としたものだったはず

 

それにしても、よくぞこれほどの楽器を製作したものだと思いつつ、このおびただしい数の楽器をどうやって持ち込んだのかと心配になったのだが、車で運んだらしい。そして普段は自宅とお店に分けて保管しているそうなので、もしかすると店内で目撃するかもしれない。ここまで自作楽器を見せつけられると、もはや松永さんは明和電機や平沢進、あるいは立花ハジメのアルプスシリーズの域にまで達しているのではという気になった。

 

▲ついには脚立による楽器も登場! これをいかにもアーティストという雰囲気で弾く姿に見とれてしまった

 

それにしても、この音楽性はプロレスラーでありながらバークリー音楽大卒でその筋のスペシャリストとしても知られる矢口さんでさえ、通ってこなかったスタイル。ちゃんと音楽を学んだ人間の想像を超えているのだから、凄いことだ。

「でも昔、松永さんにはデスマッチ凶器のアイデアをイラストで出されて『こういうのはどうかな?』ってよく相談されていたんですよ。それとまったく同じアプローチで今度は楽器を作るために絵を描いて見せてくれる。面白いなと思いますよね。デスマッチアイテムと楽器、デスマッチと音楽が松永さんの中では地続きなんです」

 

矢口さんの言葉に深く頷いた。どんなジャンルだろうと、その人のアプローチの仕方は変わらない。だからこそ、オリジナリティーが創造できる。

▲ハンドルを楽器にするなどトヨタや日産でも発想しなかったはず。その意味でミスター・デンジャーはカルロス・ゴーンを超えた

 


▲これは木製のイスを使った弦楽器と打楽器が一体となったもの

 

どの歌でどの楽器を使ったかはメモをとっていなかったので失念したが、一曲を終えるごとに「次はこれ」と別の楽器を出す姿は、あたかも四次元ポケットからそれ以上の大きなものを取り出すドラえもんのようだった。あとで思ったのだが、あれほどスペースをとる楽器の数々を、けっして広くはないステージのどこに置いていたのだろう。ラストの方では『My Way』も歌った。まさにそのスタイルはマイウェイとしか言いようがない。

 

▲ライブの終盤に登場した古時計ギターは、R-1グランプリアマチュア部門で絶賛された自作楽器のエース。サイドにヘッドバットをかますことによって、打楽器にもなり得るスグレモノ

 

ステージでは、同じく自作と思われる「スケベース」(某業界で重宝される真ん中に溝が入ったイスを土台とし、モップの柄と思われる棒を合体させた一弦楽器。これもちゃんと音階が出る)奏者の井上さんとセッションのように演奏を続けたが、本編を終えると矢口さんもステージに上がり3人でアンコールに応えた。矢口さんが正統的にクラシックギターを奏でるその隣で、テーブルを切り抜いたような巨大な楽器をベンチャラベンチャラ演る松永さん。ここまで対極な音楽性とそれまでの道筋にありながらちゃんと成立するのが、音楽というジャンルの懐の深さだと思わずにはいられなかった。

▲基本、朗々と歌う松永さんだが、ノッてくるとこういう感じに。音を楽しむ姿勢が素晴らしい

いやー、本当にいいモノを見させていただきました。ヴィジュアルとしての怪奇派ミュージシャンはいても、自作楽器&シュールさによる怪奇派(これは誉め言葉です)は松永さんぐらいしか思いつかない。そして、デスマッチに殉じた男がなぜここまで自作楽器にのめり込んだのかがわかった気がする。どのジャンルで何をやろうとも、自分というものを持っている人は輝けるんだなと思った次第。


▲プロレスラーとしてではなく、二人のミュージシャンとの撮影をお願いしました

BGM:リック・ウェイクマン『洗脳された部屋PART1』

 

10月21日、玄光社より小林邦昭さんのプロレスラー人生を描いた『虎ハンターの美学』が発刊されます。本書は、追悼本ではありません。当初は、小林さんの証言のみでその足跡を検証し、一冊にする企画でした。


しかし取材を終えて2ヵ月も経たぬ2024年9月9日、小林さんは旅立たれました。本書をご本人にお届けすることなく、我々は突然の別れを迎えたのです。
 

その無念さは、言葉で連ねられるようなものではありません。それでも小林さんが遺した功績の数々、そしてその生き方を文献にし、後世まで伝える意義を思うと、最後に語った“肉声”をお蔵入りとするわけにはいかなかったのです。
 

小林さんが亡くなられた時、メディアを通じて本当に多くのゆかりある選手、関係者からその人柄をしのばせる秘話や思い出、そして飾らぬ気持ちが伝えられました。追悼本として出すのであれば、そうした声を集めるべきですが、それでは生前、ご本人が望んだ形とは違うものとなってしまう気がしました。
 

小林さんに読んでもらうことはかなわずとも、昭和の時代を熱狂させたタイガーマスクとの闘いや平成維震軍としての活躍、さらには引退後のエピソードにいたるまでをご本人の言葉をもとに綴ろう。そう決めました。
 

過去に初代タイガーマスクこと佐山サトルさんに関する書は何冊も出されましたが、そのライバル・小林邦昭個人で一つの作品となるのはこれが初めて。バイプレイヤーとしてのプロレスラー人生を歩み続けながら、主役に劣らぬ存在感をまとい、多くのファンの追憶の中で今なお息づく男の一生を、改めて心に刻んでいただきたく思います。
 

小林さんの生涯に加え、巻頭では永遠のライバル・佐山さんとの生前最後となる対談を収録。お二人の記憶を呼び起こしていただき、若き頃のエピソードを語っていただきました。また、齋藤彰俊さんには聞き書きではなくご本人の手記でお言葉をいただきました。

 

私にとっても小林さんは、プロレスから脱することができぬところまで引きずり込んでくれた存在でした。小林さんの生涯を一冊にする話をいただいた時は、これで一生分の運を使い果たしたなと思いました。

 

現在、原稿の執筆もほぼ完了するところまで作業が進んでおり、一周忌から少しだけ遅れてしまいますがようやくご家族のもとにも届けられそうです。Amazonの予約受付は始まっておりますので、皆様も金曜夜8時の興奮を思い起こしつつお待ちください。

 

 

〔書名〕虎ハンターの美学
〔著者〕小林邦昭/鈴木健.txt
〔発行〕玄光社
〔価格〕単行本四六版288ページ/2200円+税
〔発売予定日〕2025年10月21日
〔内容〕
・はじめに
・写真で振り返る虎ハンター小林邦昭ヒストリー 写真提供:小林邦昭
・巻頭対談~小林邦昭×初代タイガーマスク 佐山サトル
・第1章:虎ハンター紀元前 生い立ち~新日本若手時代
・第2章:メキシコ遠征で残した実績
・第3章:タイガーマスクのライバルとして
・第4章:ジャパンプロレス設立から全日本参戦
・第5章:誠心会館との抗争。そして平成維震軍へ
・第6章:佐山との再会。ダンディズムに殉じた引退
・第7章:猪木のパネルを外した真相と思い
・特別手記:齋藤彰俊「あなたとの出逢いは、自分の人生にとって『宝』でした。」 
・あとがきにかえて:私が愛した小林邦昭に伝えられなかったこと

BGM:The Doors『Light My Fire』

 

9月3日(水)、後楽園ホールにて開催される「TAKAYAMANIA EMPIRE Ⅳ」に関する記者会見がさる7月3日、鈴木みのる選手&石原真マネジャー出席のもとおこなわれました。その中で髙山善廣選手の近況が報告されたのですが、それを聞いて思ったのは現在の帝王にとってのプロレスが、日々の中でちゃんと“楽しみ”になっているなということでした。

 

 

この8年4ヵ月間、リングに上がれぬ無念さや日々と向き合う中でプロレスを視界に入れたくなくなった時期もありましたが、今年に入り公式YouTube chを開設し、積極的に更新するなどより発信へのモチベーションが高まっています。会見冒頭、石原マネジャーから驚くべき進展が聞かれました。

 

「ケガしてからも、髙山のアメブロさんの方で近況などは報告させていただいているんですけど、最近の髙山が写っていたり、何か映画を見にいったよとか今、髙山が自分で打っています。頭にポインターみたいなものをつけて、首を動かしながら、すごいゆっくり、けっこう長文なんですけど。今日も僕に『ブログ上げて』っていう長文が朝から来たんですけど看護師さん、介護の方に言わせると相当な時間はかかるみたいなんですけど、自分でYouTubeを始めたりその環境だったりする中で、今まで僕だったり奥様だったりが病室で本人が喋ったことを文字で起こして『これでいい?』っていう感じで上げていたんですけど、自分でそれも時間かかってもやるという」

 

時間がかかり、そのつど大変ながらも自分で書こうとする意志。そしてそれが可能なまでに回復している事実。やはり昨年の「TAKAYAMANIA EMPIRE Ⅲ」で7年4ヵ月ぶりにリングへ上がり、鈴木みのると対戦したことは髙山選手にとって自身を突き動かすとてつもないパワーになったのだと思われます。

 

それにともない、持ち前の“プロレス頭”も冴え渡ってきたのでしょう。発表されたメインイベントの試合形式が、また帝王らしい見る側の目線と遊び心を感じさせるものでした。一般論でいけば鈴木みのる&柴田勝頼vs丸藤正道&KENTAとなるところでしょうが、それ以外の組み合わせも見てみたい。そうしたファン心理をそのまま“企画”にし、提供するあたりは名プロデューサーです。それこぞタッグマッチとは限らず、鈴木vs丸藤&KENTA&柴田のハンディ戦にすることも髙山善廣ならば大いに考えられます。今大会のサブタイトルは「STRIKE BACK」…帝王はどんな逆襲をするつもりなのか。

 

 

「皆様こんにちは。今年も会場にいきます! 今年はリング上で誰かさんに、いじめられないように気をつけます!」

 

席上で読み上げられた髙山選手のコメントからも、前向きなメンタルにあるのがうかがえました。何より、現時点で「メインは俺、解説でしょ」とABEMA生中継の放送席にやってきてライブで語る気満々なのが嬉しかったです。日本テレビのプロレスリング・ノア中継などで人気だった帝王節が復活するとあればファンも喜びますし、前回までEMPIRE中継の実況をやらせていただいている身としては、隣に髙山選手が座って一緒に喋ることができたらニコニコプロレスチャンネル「ニコプロ一週間」で共演していた時以来となり、私にとっての悲願でもありました。

 

現時点で今年も自分が実況をやるのかは未定ですが、石原さんから「健さんと、と言っていました」と聞かされましたので、8年4ヵ月ぶりの“ニコイチ・ワンナイトスタンド”をぜひ実現させたいです。まずは当日、帝王が問題なく会場へ来られる体調になることを全力で祈ります。

 

▲4度目の開催ということで、このポーズ

 

『髙山善廣評伝 ノーフィアー』も発刊から4ヵ月になろうとしています。この間、多くの方々にご購入、発信していただきました。心より御礼を申し上げます。また、各メディア様のご厚意により著者インタビューも掲載していただいております。いずれも帝王に対し強い思い入れを持ち、支援活動も続けていただいている聞き手の方々に取材していただきましたので、濃密なものとなっています。これらを読んで感じるものがございましたら、ぜひご購入ください。本書の売り上げの一部はTAKAYAMANIAに寄付されますので、ご購入いただくことが髙山選手への支援となります。


【ダ・ヴィンチWeb】聞き手:尾崎ムギ子
“プロレス界の帝王”がリングを降りた日から8年――試合で重傷、リハビリの日々を過ごす髙山善廣を<物語>に刻む『NO FEAR』誕生秘話
【ウェブマガジンVITUP!】聞き手:佐久間一彦
あの事故から8年…“帝王”たる所以を知る一冊「髙山善廣評伝 NO FEAR」著者に聞く
「髙山善廣評伝 NO FEAR」著者が語る“プロレス界の帝王”の人を惹きつける絶大なパワー
【カクトウログ】
ノシ歩いたはずなのに信用を得た男 髙山善廣評伝著者インタビュー前編
曲別DL時代にアルバムを聞く意味 髙山善廣評伝著者インタビュー後編

 

今年もあの特別な空間が現出します。本日6日よりチケット販売開始となりましたので髙山善廣とともにプロレスを楽しみ、他に比類なき場を共有してください。

 

 

髙山善廣支援プロレスイベント第4弾「TAKAYAMANIA EMPIRE Ⅳ-STRIKE BACK-」

★9月3日(水)東京・後楽園ホール(17:30開場/18:30開始)

〔メインイベント〕出場選手:鈴木みのる、柴田勝頼、丸藤正道、KENTA(組み合わせは当日、髙山の独断で決定)

〔入場料金〕スペシャルリングサイド22000円、特別リングサイド12000円、リングサイド8000円、指定席6000円、車椅子シート7500円

※消費税込み。全席指定。当日は車椅子シート以外すべて1000円増し

〔発売場所〕

ローソンチケット https://l-tike.com/search/?lcd=39620 
パイルドライバー原宿(TEL03-6712-5171)
後楽園ホール(TEL03-5800-9999)
※パイルドライバーと後楽園ホールは座席が選べます
〔支援グッズ購入サイト〕https://takayamania.buyshop.jp/
・リングで参加選手と記念撮影できる権
・コーナーマット広告1対
・メインイベント ネーミングライツ&花束贈呈できる権
・セミファイナル ネーミングライツ&花束贈呈できる権
・参加選手サイン入りパンフレット
・大会パンフレットに名前を載せる権

〔主催〕株式会社髙山堂/TAKAYAMANIA実行委員会
〔運営〕株式会社マリブ

〔中継〕インターネット放送ABEMAにて無料生放送予定。中継ゲスト解説:山崎一夫、小橋建太、髙木三四郎、里村明衣子

 

BGM:The d.e.p『Mr. No Problem』

 

「横丁ビジネス」って流行っていますよね。さまざまお店を集結させて、カテゴリの違う料理を一箇所で楽しむことができるという。フードコートとも違った趣きで、どちらかというと昔の屋台村に近いかな。

新宿だけでも東口の「龍乃都」や歌舞伎町タワー内の「歌舞伎横丁」にピカデリー隣の「新宿横丁」など、この数年で続々とできていますし、渋谷や虎ノ門あたりも増えています。そんな中、こちらもピカデリー並びのアドホックビル(1Fが31アイスクリームだったところ)5Fに「re:Dine新宿 ネオヨコチョウ」が6月18日、オープン。

こちらはステーキ、鰻、エスニック中華、北海道は羅臼の海鮮、スイーツ、ハンバーガーショップ、カフェ、クラフトビール、ワイン、日本酒といった数々の専門店がワンフロアに詰まっています。中でも「うな重(しげ)」と「新宿ステーキ」の2店舗は24時間営業(ほかは23時まで)のため、深夜も利用できるというもの。考えてみれば、鰻重とステーキを一度に食べることなんてないので、あえて24時すぎに訪れることにより、ほかを注文しないシチュエーションを作った上で実行しました。

 



どーですか!?この絵ヅラ! まず、鰻ですが、ちゃんとしていましたよ。チェーン店のものとは違いましたよ。これで1980円はいいと思います。

一方、ステーキの方は赤身で自信があるのかタレの味でごまかさず、わさびや岩塩、七味などで味わう。写真は200gですが、深夜であれば100gでも十分かもしれません。サイドメニューで頼んだテリたまよだれ鶏もおいしかったです。

次回は23時前にいってハンバーガーを食べ、パフェで締めたいところ。まあ、いろいろなものがあるので公式サイトでご確認ください。ちなみに現金不可のカード支払いのみです。

BGM:Drowning Pool『Step up』

 

4・27両国国技館。田中将斗をパーフェクトなファイアーバードスプラッシュでしとめたハヤブサがセンター花道を戻る途中、マンモス佐々木はたった今見終えた試合に対し「興奮したぞ!」と賛辞を送った上で、5・7富士通スタジアム川崎(旧・川崎球場)で対戦するハヤブサのパートナー・Xが誰なのか明かすよう要求。そこに江崎英治の盟友・新崎人生が登場したことで、試合によって心を揺さぶられた者たちの思いをさらに駆り立てる形となった。

 

▲ハヤブサと対戦する田中将斗のセコンドとして、ともに入場してきたマンモス佐々木。試合後は、花道を戻るハヤブサを呼び止めた

 

もちろんXが誰なのかも重要だったが、それを見てマンモス個人としてはこう言いたかったはずだと思った。「ハヤブサ、ようやくあの時に止まった時計の針が動き出すな」と――。

 

2001年10月22日、ハヤブサ最後の相手がマンモス佐々木だったことは知られている。あの試合で首を負傷した江崎英治は、長く厳しい闘いへ挑むことになった。

 

江崎が存命の頃、マンモスから「江崎さんが復帰できたら、その相手を務めるのは俺だと思っています。あの試合で時が止まっているんですから、それが再び動くのであればあの続きをやりたい」と聞いたのは、一度や二度ではなかった。残念ながら、それはかなわぬままに終わったが、こうしてハヤブサは蘇った。

 

新生FMWへ入門してきたマンモスにとって、ハヤブサは角界時代からのあこがれの存在だった。実質的な初一騎打ちはデビュー2年9ヵ月目の2000年9月17日、ディファ有明。それまでは本名の佐々木嘉則でリングに上がっていたが「マンモス佐々木」改名記念として、団体のエースとのシングルマッチが組まれたのだ。

 

「実質的」と書いたのは、それより前の同年7月23日、同じディファ有明で江崎がリングネームをH(エイチ)からハヤブサに戻すことになり、それに合わせて10選手とシングルマッチをおこなうというルールの5人目に佐々木が登場したため。すでに3人と闘っている(ミスター雁之助が会場に来ておらず、不戦敗に)ハヤブサを怒濤の攻撃で追い込み、3分38秒で丸め込まれたものの、若手とは思えぬド迫力の闘いぶりが絶賛された。

 

それを経て、今度は対等な形でシングルマッチが組まれた。その時、マンモスは「FMWに入門して、この日が来るのをずっと狙っていました」と言っている。この一戦は24分43秒にも及ぶ大激闘で、ファイアーバードスプラッシュでもスリーカウントを奪えなかったハヤブサがHサンダーでなんとかその猛攻を断ち切ったが、バックステージでは「佐々木、強くなりすぎだよ! いつの間に、あんなに強くなったのか…攻めの強さは想像していたけど、受けの強さには本当にビックリした」と、その成長ぶりに舌を巻いた。

 

この一戦を見ていたある者は「まるでグラジとの試合みたいだな」と唸った。グラジとは、新生FMWにおけるハヤブサ最大のライバル、ザ・グラジエーターのことであり、若いマンモスにとっては最大級の評価と言えた。今でもマンモスは、グラジの得意技だったアッサムボムを使っている。

 

この一戦によって、マンモスは完全にFMWの主力入りを果たす。翌年2001年7月30日、博多スターレーンではハヤブサが保持するWEWヘビー級王座に挑戦。これも23分4秒の“特濃FMW”と表現すべき一戦となった。この時点でマンモスは若手がエースにチャレンジするというシチュエーションから脱却しており、ハヤブサのライバルたり得る存在と目されるようになっていた。そうした流れを経て組まれたのが10月22日、4度目の一騎打ちだったのだ。

 

当時のマンモスは、冬木弘道率いる反体制派に属していた。それも、あこがれであるがゆえにハヤブサと組むのではなく闘う方を選択したからだった。これほどの闘いを続けてきたのだから、この一戦でマンモスが初勝利をあげると予想したファンも多かったと思われる。

 

だが、結果はそうならなかった。いや、勝者も敗者も生まれなかった。ハヤブサがブファドーラ(ライオンサルト)にいったさいバランスを崩し首から突っ込む形となり、仰向けの体勢でいたマンモスは起き上がるもダウンしたまま動かぬハヤブサの姿にただただぼう然と立ち尽くした。まもなく、レフェリーがゴングを要請。

 

一度はリングを降りたマンモスだったがハヤブサへの応急処置が続く中、戻ってきて再戦をアピール。「その時には最高の試合を見せます!」と宣言したものの、気持ちとしては今まで動いていた人間がピクリともしなくなった時に感じるショックの大きさになす術がなかったのだという。

 

この試合は、マンモスにとってプロ入り初の後楽園におけるシングルマッチのメインイベントだった。それがこのような形になるとは…深夜、搬送された病院にいっても面会できぬまま自宅に戻ったマンモスは、夢の中で江崎と会った。

 

「江崎さんが元気で、一緒に飲みにいったりしていた時の夢とか、江崎さんがしているのを見て『それカッコいいですね!』と言っていたシルバーの指輪を、江崎さんが夢の中で『あげるよ』と言って自分のところへ来る。そんな夢ばかり見て、このクソ暑いのに汗びっしょりで起きちゃうんです」

 

事故後、数週間で9kgも体重が落ちた。マンモスは、気の小さい人間ではない。リング上そのまんまのふてぶてしい男だ。それほど、あの事故は彼の中に深いものを残した。

 

ハヤブサ本人の回復を待ったため、見舞いにいけるまでかなりの時間を要した。会えぬ日々の中で、マンモスはこのようなことを言っていた。

 

「ハヤブサ戦で置いてきちゃったものがあるかもしれない。自分の中の何かを。それを取り戻すためにも、もう一度あの人とやらなきゃいけない立場なんで。自分の何かをあげれて、それであの人が治るのならあげたい気持ちです。本当に自分も恩があるんで。帰ってくるまでは自分がFMWを引っ張るつもりでいるし、江崎さんに対しては『あんた、ハヤブサだろ! 不死鳥なんだろ? 絶対帰ってこい!』っていう心境ですよね」

 

あれから23年以上が経ち、マンモスの前に立つハヤブサは別の人間だ。こうして当時の思いを書き連ねても、まったく同じメンタルとはなるまい。だから川崎で止まっていた時計の針が動き出すと、本人が受け取るかどうかも現時点では不確定だ。それでも、本来であれば新体制となったプロレスリングZERO1と、プロレスリングFREEDOMSの対抗戦が始まったばかりという中で田中のパートナーとして出場するのは、ハヤブサに対する変わらぬ思いが今も息づいているからだと思えるのだ。

 

不死鳥伝説の新章は、4月27日より動き出した。ただ、マンモスにはマンモスの止まったままの時計がある。それが再び動き出す日が来ることを、同じように23年以上待ち続けた一人として、5・7川崎伝説を見届けるつもりだ。

 

▲ファイアーバードスプラッシュが目の前で蘇った瞬間を至近距離から見ていたマンモス(写真左下)はどんな思いだったか