「知多新四国八十八ケ所写真集」(2012年知多半島歩き遍路日記)第9日目その10「上陸大師」。 | 多幸の湯番台のブログ

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「知多新四国八十八ケ所写真集」(2012年知多半島歩き遍路日記)第9日目その10「上陸大師」。

撮影日時:平成24年4月25日 場所:愛知県知多郡南知多町大井聖崎。 記事:上陸大師(じょうりくだいし)。 30番医王寺の参拝を終え大井五ヶ寺を打ち終える事が出来た。この後約1.2㎞離れた上陸大師像へ向かう。県道281号線から国道247号線で師崎港方面へ向かうと上陸大師像が立っている聖崎地区に着く。岬の先端の岩礁に上陸大師像が立っていた。潮が引いている時は岩伝いに大師像の直ぐ下まで行く事が出来るが、我々が着いた時には潮が満ちて来て残念ながら渡る事が出来なかった。止む無く岬の上の展望台に上がり、そこから大師像を拝んだ。上陸大師のご朱印は既に知多四国33番北室院で貰っている。(写真右下の+印上でクリックして下さい、拡大されます)

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①展望台から望む上陸大師像。

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②大師像の高さは約3.5mある。

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③展望台に置かれていた「さざれ石」とその説明石板。

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④上陸大師像の後ろを航行する巨大タンカー。

                                                                                                             
上陸大師の由緒:「弘法大師が諸国行脚の途中、三河から船で知多半島を南下、南知多町大井聖崎に上陸され、医王寺と岩屋寺で護摩修法された後、野間から陸路北上されて伊勢路に向かわれたという」話が伝わります。 聖崎には上陸の第一歩をしるされたと思われる大石が立ち、村人たちが礼拝を続けていたが、波に削られいつしか海中に没した。昭和59(1984)年、弘法大師1150年御遠忌を迎え、霊場会をはじめ地元信者・巡拝者各位の御協力によって、岬の小島に大師の石像が建立され毎年「上陸大師奉賛会」による法要が厳修されている。■お身ぬぐい:毎年3月上旬から4月に大師像の汚れを落とす「お身ぬぐい」が行われる。 誰でも参加出来るそうだ。(知多四国霊場ガイドブックより抜粋引用)