別れの歌
ムシデン(蒸し田、虫伝、無視電) は元々はドイツシュヴァーベン地方の民謡でドイツ海軍の軍楽曲となり、第二次世界大戦中はドイツの潜水艦Uボード出航の時にも流れた曲だそうです。
https://youtu.be/EnABrAXT160?si=O35sMLS9t4MUGPie
小学校の教科書にも載っていて(中等部教科書には載っていたそうですがわたしは小五の時に歌わされた)歌です。
エルビス・プレスリーが、wooden heartという題名で歌って有名になった曲ですね。 わたしが歌ったのは秋の学芸会、たぶん秋の遠足が終わったあとだったかな。
わたしはとにかく髪を長く伸ばしていて、ウエスト後ろ半分がゴムになったデニムショートパンツに赤いブラウス、デニムのベストって言った出で立ちで体育館のステージの上に上がって
「むしでんむしでん」
と歌っていました。
むしでんとは日本語「無視電」「虫伝」などはなく、ドイツ語です。意味はわかりません。
日本語の歌詞は覚えていません。
デニムショートパンツのわたしは長い髪を左右に分けてそして結わえて
「むしでんむしでん」
と歌っていました。
当時は当然まだ初生理が来ていなかったわけで、体も心も「女」になる以前でした。
さて、それから一年後、小学校生活も残りわずかになりわたしはフードセンターの向かいにある洋品店に連れていかされました。同じクラスのA君はすでに黒の学生服を着て店内に立っていました。
「お姉ちゃんは背が高くて細いから、それかな...」
と洋品店のおじさんは奥からセーラー服を持ってきました。
試着室でうさちゃんのプリントされているピンクのセーターとジーンズを脱ぎ、そしてなんだかゴワゴワしたセーラー服を着なくちゃならなかったです。ほんとは着たくなかったのに...。セーラー服の着方も解らなかったっぽかったですがセーラー服の上着着てスカート穿いてそしてみんなの前に出ました。
「ウワー似合う。」
「香織ちゃん細くて背が高いから...」
そう褒められるとなにかどうしようもなく悲しくなって涙が出そうでした。
セーラー服を着た自分を鏡で見ていると、さんさんと夕日に染まる埠頭、私はセーラー服を着て軍艦に乗って航海に出るところでした。
埠頭では母と妹が手を振っています。
「また帰ってきてね。」
って...
ムシデン ムシデン
と別れの歌が流れています。
軍艦が出航すると埠頭の母と妹はどんどん小さくなっていきます、
私には妹とはいません、妹っていうのはそれまでのわたしだったのです。
そんな情景が初めてセーラー服を着た私の脳裏に浮かび上がりました。
ほんの一年と何ヵ月か前は、ウエストの後ろ半分がゴムになったデニムショートパンツを穿いて体育館のステージの上で
「ムシデンムシデン」
と歌っていたのに...
そしてそれから間も無くクロッカスが黄色い花をつけ、私はセーラー服を着て六年間通った小学校の校門の石柱をくぐりました。卒業式です。
セーラー服を身にまとったわたしがこれほど悲しいものだとは...
そして中学に入って間も無くわたしにも初生理が来てそれまでのわたしを埠頭に置き去りにして軍艦に乗って出航していました。