秋の虫が鳴いているの暑い💦 


おとといは37℃、昨日は36℃あった💦


 かつては秋の虫がなく頃は特に山形は朝夕はグッと冷えて、短パンナマ脚じゃ脚がひんやりして上にはジャージの上着羽織ってはみんな道を歩いていたもんだ。


朝夕はひんやりしても昼間はがんがん暑くなってジャージの上着を脱いで汗拭っていた。


 中学2年の時は夏休みに私の父あの糞ドイツ文学者を顔を会わせたくなかったので朝早く短パンナマ足がチャリ漕いで、私をアクセプトしてくれていたD町のミカんちに行っていた。


なので腕も太もももも真っ黒に日焼けしていた。もちろん顔も...
ミカんちに行くって言うのは私にとって 

『大人の階段登る』 

事だった。 

『大人の階段』

 はキラキラ輝いていてわたしはG中のミカたちとその階段登り始めていたんだ、でも家に帰ってくると、顔を合わせたくない私の父で糞ドイツ文学者のトマイ サンカが嫌な顔をしている。だから余計糞ドイツ文学者を避けていた。 

ちなみに後に糞ドイツ文学者は、私のなかからミカたちとの思い出...中学2年の夏休みの記憶を闇のなかに封印してしまった。

わたしは長らく中学2年の初夏の中体連応援から夏休み明けにGジャン羽織っては繁華街七日町のギャル服屋ビルセブンプラザに行った記憶は出てこなかった。記憶喪失見たいに...。

私がその時を思い出したのは私の父あの糞ドイツ文学者が死去して一年半の事だ。


 中学2年の初夏から秋まで、私にはミカエルやカヨなどの友達がいた季節だった。

しかし私の父あの糞ドイツ文学者は私が自分の知らないところで誰か友達ができることを嫌がっていたことはわかってきた。


あの糞文学者は本が友だちだったのだ。そう言えば何年かまえに「本は友だち」というタイトルの本(みすず出版刊)が100円古着市をやっている図書館にあったなw 


で私はミカやカヨたちと、一緒にいるとき、いつまでミカやカヨたちと友だちで居られかからないという思いがあった
だから糞ドイツ文学者が強権発動する前、このみんなと友だちで居られる時間を大事にしようと思ってはみんなと一緒にいた。


 ところで今もって私は、中2のミカやカヨたちと友だちだったあの頃の自分にいまだに出合っていない。

ミカやカヨたちと友達だったあの頃の私は、記憶の奥底にいて、そこまで到達するにはあの糞ドイツ文学者と戦わなければならない。あの糞ドイツ文学者とあの糞ドイツ文学者を信奉者である糞外国文学研究者とその周辺者はいまだにときに
『私の運命を紡ぎ続ける』
私たちの家を
『自分たちの居場所である理想のドイツ文学科教室』
だと思っては聖地奪還を試みようとしているのだ。

 ドイツ文学科の聖地ではミカやカヨたちと友達でいることは許されないらしいし短パンナマ脚も許されないらしい。 

 私の中のあの頃の、ミカやカヨたちと友達だったあの頃の私に出会えたら、リアルにミカやカヨと会えそうな気がする。