麗しの町中華
かつてヤマザワあさひ町店前に
伝説の町中華
『醐伯飯店』という
伝説の町中華があった。
もろに
『昭和の町中華』
といったオーラ、実際に昭和から営業していたらしい。
http://itisnishikawa.o.oo7.jp/eat/report/yamagata_gohakuhanten.html
しかしそもそも私の父あの人は
『理想のドイツ文学科教室』
という空想的な、現実には存在し得ない特殊な羽でのみ生息可能な特殊霊長類であった。
そのために
町中華という空間は、あの人ドイツ文学者にとってはサリンで満たされた地下鉄車内なようのものなので、あの日と糞ドイツ文学者は到底寄り付くことはなかった。
にしても糞ドイツ文学者の一応長女である私は、町中華の雰囲気が大好きで、しかも昭和からあってそしてじっとりと年季が入っている店ならなおさら好きなのだ。
うちの台所リフォームで台所が使えないときに何度かこのまったりとした昭和のオーラ漂う町中華にいってきた。
テレビでは野球中継がやっていてそれを見ながら食べている地元のおじさんたちのオーラもまた格別。
さらに配達のお姉さんたちも立ち寄ってはラーメンをすする。
あーそー言えばT女高三年のときに、ブラックのフライトジャケットにジーンズ姿でたぶん隣のクラスのA美とともにこんな町中華に行ったな...何て思いだす。
ところで
『醐伯飯店』
は
ごはんはんてん
と読むらしい。
『醐伯飯店』を回想するとふとK温泉郷I興産所属のコンパニオンやっていたあの頃にフラッシュバック...する。
もともとIさんは大工さんで工務店をやりたかったのだけど色々訳があってコンパニオン派遣業していた、
私もハイエース等でコンパニオンさんをあちこちのお座敷に運んでいたもんだ。
で仕事が終わるとMさんという男性やストリッパーのお姉さん乗せて夜の街道沿いのラーメン屋に...コンパニオンストリッパーの仕事おわった時間は町中華は開いていないのだ。
言うまでもなく夜の町で活きている人たちは
『いつかは昼間の仕事に戻りたい』
という思いを抱いて生きている。
宵の時刻事務所(茶の間)に集まって
「おはようございます。」
と挨拶することから始まる。夜の客商売ではその日の野球の試合結果などを覚えるのは必修科目、ソロホームランだの満塁だの私も少しつづ野球用語を覚え始めた。
そして言う待てもなくお座敷は戦場、そこで戦い抜いて自分を守りきってそして全てのお座敷を終えて事務所(茶の間)に帰ってくる、
ちなみにストリッパーさんの過去や出身地を聞いてはいけない、それが、夜の世界の掟だ。
ところでK温泉郷は観光地でもあり、農業が盛んなところ。いろんな果物ができる。しかし夜の世界にいると昼間の人...農家も含めて...と疎遠になってしまう。
それでも時折農家の人が出荷できない完熟ソルダムなどを持ってきてくれたりする。実はこの出荷できないまでに完熟したソルダムはあらゆるすもものなかで一番美味しいのだ。
夜の町に活きている人たちにとって昼間の仕事...農家をしているとは、そして出荷できない完熟ソルダムを安価で軽トラで売り歩いているのは何度も羨ましく見えるのだ...。
ところでかつて私がお座敷にいっていたS館という旅館が閉業してはパン屋さんを始めた。パン屋って私にとって憧れの職業だったんだ。