JK三年目、それまでは山形の文学者宅から送られてきた社会思想社の「ギリシャ民話伝説的集」なんかの書籍しか知らなかった私が、隣のクラスの不真面目なA美と付き合い始めて授業出ないのがカッコいいんだ!なんて思い始めて成績はがた落ち!
確かボンバージャケットにデニムショートパンツなんか着初めてなんか不良ぶっていた。
で気かつくとバンバン授業中ふけって(サボって)喫茶ソレイユでバイト三昧💦
それでも山形のドイツ文学者は私は『読んでほしい本』を次々と送ってきたもんだw
ちなみにバイト先ソレイユではスパゲッティーやピラフを作っては私の父でもある山形のドイツ文学者ぐらいの歳のおじさん(お客さん)に出していたけど、こう言うおじさんのなかには私がJKであること(T女の制服の上にエプロンしてたりして)心配してくれた人がいた、
当時は
『ぅるせぇな』
とおもっていたけど、今思えば尊い...
でソレイユのそばに木村建設工業というイカにも土建屋さんと言う雰囲気の土建屋さんがあった。
土建屋さんって前のある人たちを住み込みで抱えて面倒見ているんで、ガラは悪いけど独特の人情味はある、
気がつけば木村土建の事務所というか資材置場でおっちゃん(社長)と反射式ストーブでアタリメ食べていた、
おっちゃん
「おい、カーちゃん、マヨネーズ持ってきてくれ!」
「何言ってんだい!こっち忙しいのわかってるだよ!じぶんで持っていきなよ!」
「かーうちのかーちゃんこえぇな(怖いな)💦」
「でねーちゃん、これアタリメっていうの知らなかったんかい、スルメをアタリメっていうんだよ。」
そうそう、山形は小白川のドイツ文学者ではそんな話は間違っても出てこないし
仮にそんな話をしようものから
「うるさい!そう言う次元の低い話はやめろ!」
と怒鳴られる。
でJK三年の年末年始、山形は山大裏下小白川にボンバージャケット(年末年始の山形ではボンバージャケットは寒い!)で帰ってきて、たぶんドイツ文学者は目障りだと思ったし期待を裏切ってくれて...という気持ちだっだろうし、
私を遠縁のSさんに預けたことを後悔したのかもしれない。
ドイツ文学者よ!
あたしがあんたの頭の中にあるドイツ文学科教室にふさわしいお嬢さんに仕立て上げようとすることが間違っているんだよ!
で T女出てから四年目の春に阿佐ケ谷のK山荘に来た。
大家さんのご子息が高学歴(早稲田中退、米大中退)でさらに難しい本を読み本の話ができる人ということでK山荘に預けられ、そして南青山のS社に入れられたのだと思うけど...
K山荘の息子は早稲田中退してアメリカの大学も中退して帰国後鍼灸学校に入学して喧嘩してやめたり劇団に入ってはそこもケンカでやめていたらしい💦
その経歴って今振り替えると私の父でもあるあの糞文学者とよく似て居るのだ。
『青い鳥症候群』
っていうのか...
K山荘大家の息子は早稲田のお利口(理工)学部だったらしいけど、そのお利口学部で一緒だった◯筒さんという千葉県民が、時おり阿佐ケ谷のK山荘にやって来た。一目見て変わり者とわかる人で、実際にすごく変わり者だった。
こう言う変わり者は初対面の人にいきなりフレンデリィというか馴れ馴れしく話しかけてはヘンテコなところに誘ったりする。
そのヘンテコなところっていうのは銭洗い弁天なんだけど、そこで銭洗い弁天に関してヘンテコな解説をする、
恥ずかしかったし、今思い出して恥ずかしい。あの千葉県民は銭洗い弁天で初対面の人にもヘンテコな解説をしているんだ!
アホか!
当時の私は白いブラウスにヒラヒラスカートでお嬢さん格好だったんだ。一緒に歩きたくない、そして一緒にされたくない!
あーあの大家の息子にはそう言うヘンテコな人しか知り合いがいない!
んで私はK山荘にいた当時は現役早稲田JD(女子大生)のA野さんと、阿佐ケ谷北モスバーガーで、大家の息子やその知り合いの千葉県民の◯筒の悪口をぶち撒けなければやっていけなかった!A野さんもきれいな人でおしゃれのセンスも良かった。
そしてA野さんと私は同時にK山荘を脱出したのだ。
そしてK山荘を脱出しても再び海図の無い航海に投げ出されても四分の進むべき行路を案内してくれる水先案内人を探すのだけど、それが私の場合は山形の糞ドイツ文学者だったりしたのだ💦
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