大人の階段登っていないおじさん



ふとふと今思うと、私の父でもあるあの糞独文学者トマイ サンカは
『大人の階段登っていないおじさん』
だったんじゃないか・・・と思う。
あの糞独文学者は二階の書斎から東隣の家の城北高校のお姉さんが、デニムショートパンツで家から出で行くのを見ては
「まったく目障りだっ!」
とよく毒づいていた。
「あんな格好しやがって・・・。」
「タレント気取りで・・・。」
と、あの糞独文学者は年中階下の居間兼食堂で言っていた。
一方の城北高校に通う東隣のお姉さんは、同じようにショートパンツのお姉さんたちと町に出かけてこうして大人の階段を登っていった。

中学に入ってわたしはB部に入った。どうしてB部にはいったかというと、好きなF先生が顧問でそして好きなT橋先輩S木先輩が居たから・・・だった。
B部という部活は文学者トマイサンカの知らない世界、未知の世界だ。午後の日差しが当たるB部の部室のオーラは今でも覚えている。そこから先、大人の世界が広がっていく・・・教室にはない世界だった・・・。
顧問のF先生も、そしてT橋先輩S木先輩もどこか共通するオーラがあって、それが私憧れだった・・・。F先生もT橋先輩もS木先輩もその青春の青く輝く風の中に佇んでいた。

しかし家に帰るとそこには何か無機質的でそして潤いも彩もない灰色のオーラが漂っていた。私の父糞文学者はずっと朝から晩まで家にいて、なんでかヘンテコなクラシック音楽を三軒先に聞こえるほどの音量で流していた。そのヘンテコなクラシック音楽というのはカルミナ・ブラーナとかモーツァルトミサ曲レクイエムとかバッハのミサ曲屋台受難曲とかだ。このヘンテコなクラシック音楽は、あたかも生理前でイライラしている奥さんが、さらに旦那が台所を勝手にいじっては菜箸をヘンなとこにしまったことでイライラが頂点に至っって大ヒステリーを起こしている様子を歌い上げた大規模声楽曲のように聞こえる。
こんなヘンテコなクラシック音楽が朝から晩まで流れているだけでもどうにかなりそうなものだけど・・・。しかし私は糞文学者が私がB部にビロングしてといることが不快であることが明確にわかった。そして糞文学者は
「B部はやめたほうがいいな。」
「他に文芸部とかあるだろう。」
と言い出した…。
私は糞文学者の放つあの石灰のような無機質的なオーラ漂う世界に、徐々に引き込まれていくのを感じていた。
そしてある日も、ついに大好きなF先生に
「B部辞めます。」
と告げた…。

夕日に染まる体育館の前…。
私とF先生はさ膝を並べて座っていた。

「・・・なんで辞めるんだ…ほんとは辞めたくないんだろう…何かわけあるのか・・・?」
「・・・。」
「本当に自分の意志で辞めるのか…。」
「うん。」
「誰にも言わないから先生にだけわけを話してくれないか・・・。」
「・・・」
「ほんとうに自分の意志か?」
「うん。」
「じゃあもうこれ以上きかない・・・。」
「・・・」
「香織、辞めちゃうの・・・?」
とT橋先輩がきた。F先輩は無言で頷いた。
「香織、ほんとになやめたくないんだよね。」
「・・・。」
「何があったの…話してくれない?」
「・・・。」
こうして私は退部届を書いたのだ・・・。

そして石灰のような無機質的なオーラ淀む糞文学者宅・・・
「B部辞めてきた。」
と糞文学者にていうと、文学者は
「よし。」
といい、
「歴史部とか、文芸部とかそういう部もあるだろう…」
と来た。
こうして私は超マイナーでその存在すらも知られていないネクラな部、文芸部の部員になった。文芸部は三年の先輩二人、二年の先輩一人、一年生は私と向さんの二人…三年の先輩に男子生徒一人いるだけであとはみんな女子。顧問は佐藤早苗先生。部活は図書室でただ各自黙々と本を読んているだけ・・糞詰まんない。元来本なんて読まない私が図書室の本を読めるはずもない、図書室に私の大好きな『嗚呼!!花の応援団』や『ガラスのわら人形』などがあるはずもない。なので私はそのうち放課後図書室で部活に行かなくなりもー、家に帰ってきていた。

で家に帰ってくると二階からとんとんとんと糞文学者が下りてくる。そして
「これでもむ読んでみろっ」
とケイストナーの飛ぶ教室などの
と糞詰まんない本を薦める。
その頃すでに糞文学者は書店古書店図書館など読書層では有名だったらしい・・・。文芸部顧問の佐藤早苗先生もうちの二階にいるヘンテコ霊長類糞文学者の話をしていた。


そして季節はめぐり、二年になる。担任は男の先生で、野球部顧問のI先生。自らを野球バカ、野球きちがいを自称するほどの野球好き。そんなこともあり、夏休みの廃品回収の時には生徒の監督をせずに近くの民家から聞こえてくる甲子園の音声に釘付けになり、ついにはその家に上がりこんでは麦茶を飲みながら茶の間でその家の主人と甲子園を見ていた始末。そんな中生活指導のО先生が
「おい、I先生探した来いっ。」
といってもどこにもいない。みんなで大きな声で
「I先生、I先生・・・。」
というと、とある民家からI先生が出てきて、
「すまんすまん、この試合終わったら行く。」
なんて言ってはまた茶の間のテレビの前に釘付けだった・・・。

さて、そんなことがあったけど、I先生の担任の二年…ここでユッコやケコタンと出会う。一年の時にユッコやケコタンは私をへんな子としてリジェクトしていたのだけど、初夏の中体連の応援で一緒になり、B部時代のT橋先輩やゆS木先輩とも合流しては私たちは中体連の応戦もせずに「週刊セブンティーン」を見ながらギャル服の話をしていた。それで中体連の応援が楽しみになった。
そして応援の帰りに、東原町の・・・パティスリーコウシローの向かいにあった立花歯科の隣の大判焼き屋に立ち寄った。そこでみんなで女子トークして盛り上がった。
こうして私にもようやく人波に友達が出来て人並みにみんなの世界に溶け込めたのだ…、それでみんなとKスポーツに行ってはマゼンタピンクのジャージの上着と濃紺サテンの短パンをスポーツ店のお姉さんに選んでもらった。
「うわ、似合う!」
とスポーツ店店内で、スポーツ店のお姉さんも含めてそう言われたその時のオーラは今でも覚えている。きらきらと空中にパールをまき散らしたような輝きだった。
「彼女、基本美少女だから、この色似合うよね。」
とスポーツ店のお姉さんはみんなに言った。

そしてそれが普段着にもなったんだけど、しかしよくあのときマゼンタピンクのジャージ見てあの糞独文学者は何も言わなかったものだと思う…。

がしかしその歳の秋、糞独文学者は私から友達もマゼンタピンクのジャージも取り上げてしまう・・・、そして自分のふの灰色で石灰のような無機質的なオーラの世界に閉じ込めてしまう…。その後I先生などが糞文学者に
「本人の好きなようにさせてあげないと…。」
と言ってらしいけど、糞文学者は
「うちにはうちのやり方がある。余計な口出しはしないでくれ。」
と突っぱねたという。




そして幾歳月が流れた。

B部の先輩だったS木先輩はとある商店に嫁いでいった。私が時折その見せに行くと、先輩はあの頃のようにため口で応じてくれるのがうれしかった。でも先輩と私との間には目に見えない大きな溝が出来てしまい、その溝を超えて先輩のところに行くことはできなかった。


そして独文学者は死去し、私が私の運命を紡ぎ続けた山大裏下小白川に家に帰ってきてみると、そこは糞文学者のいる灰色オーラの世界を共有していた中村睾作や湊臭二といったおじさんたちが支配していて、私を見て実にいな顔をしたもんだ。私はこの二人を必死になって追っ払ったもんだよ