私が文学者でもある私の父あの人から、山大裏下小白川の文学者宅を追い出されては、本八幡の古くて小さなアパート
「がらわら荘」
に島流しにされていたあの頃...
遠く山形の文学者は
「オモタゴ興亡史」
「東オタンコナス王国興亡史」
そして
「バルサン王国興亡史」
と、誰も知らない古代のヘンテコ王国の歴史考証を
『意欲的に』
発表していた。
本八幡駅ビルPATIO内書店『辺縁系書店』であの文学者の著したなんとか興亡史三部作を並べられているけど、それを見て、私は目の前が真っ暗になりそうな憤りを感じたものだ。
「アイツは私をこんな目に遭わせてでも、こんなものを発表したかったのか!」
...しかし私にはどうすることも出来ない!
このものだに島流しにされ、目に見えない鉄格子に囚われては誰とも対人関係を築けず世間との接点も断たれては遠く山形の文学者から送られて来るわずかな仕送りで1日千円で生活するというその運命からどうしても抜け出せない...
一方安アパート隣のUさん一家が楽しそうな家庭の団らんを築き上げていた。宵になるとそのUさん宅からNORITZの給湯器から例の「人形の夢と目覚め」が流れてきても、それはわたしには到底たどり着く事の出来ない、遠い遠い世界の幸福なのだ...。
一方で文学者宅では近くに住む大学教授の中村睾作や古書店脳書店店主の脳座礁たちと高級ワイン「シュロスヨハネスベルガー」を飲みながら本の話、教養話に花を咲かせていることだろう。
そもそもあの糞文学者は、本を読んでそして文章を書いてはそれを出版界読書界に発表することてしか社会との接点を持てない変わり者の刈り上げおじさんだ。
そんなヘンテコおじさんは私が自分の知らないところで誰かと接点か出来ると必ず割り込んできては対人関係を自分経由にしてしまう、それがたまらなく鬱陶しい。本八幡の町並みを思い出すと、あの糞文学者のねっとりした嫌らしさが不快感となってフラッシュバックしてくる...。
しかしあの頃は1日千円以下で暮らしていた。ドトールでブランドコーヒー飲むのが何日に一回の贅沢。そして週に一回、新宿や思い出のある阿佐ヶ谷や下北沢にやって来ては町をふらふらと歩き回った。私たちの家は、私が本八幡に島流しにされていようとも
「糞文学者の学問や文学が最優先」
の世界だった。
「貴女は今風の若い女の子見たいに生きていたかったでしょうけど、でも先生(糞文学者)は愛娘の貴女がご自分のところに帰ってくることを待って居たのですよ。」
「あの人の世界って本の世界知識の世界のでしょ、ピンクレディはアメリカの歌手になって、郷ひろみも松田聖子も知らない世界...」
「そういう世俗的なものから離れた、純粋な知識の世界、その世界に貴女が帰ってきてくれるのを待って居たのですよ。」
というのは図書館員のKさんだった。私はいつまでもうら若き乙女みたいなKさんが苦手だった。
あの糞文学者は本の知識だけの井の中の蛙でその井の中の蛙が次々とヘンテコ歴史考証であるヘンテコ興亡史や歴史が舞台のヘンテコ小説「モーツァルト弁当カビだらけ」「アレキサンドライトの指輪を落としてヒステリーを起こしている女」などを発表していた。それを見るたびに
「またか!」
と思った。
いい加減にしろよ!まだ糞小説で芥川賞もらえるって期待しているのか!
しかし1日千円でも十分に生活できたのは当時本八幡駅前に
ABS卸売りセンター
があったからだった。
ここには近くの不二女のギャルJKたちが店員としてバイトで働いていた。彼女たちはキラキラと輝いていたな...。
「香織ちゃん、貴女よく耐えてきたわね...。」
物心ついたときに部屋のなかにいたYちゃんが旧M会館のラウンジでコーヒーを飲みながらそういう。
「ほんとにね。もう来世ではあの人とは赤の他人で居たい。近所にも居てほしくない...。」
最近になってあの人が山大裏下小白川で嫌われていた事を知った、
それはそうだ、自分は朝から晩まで数検先まで聞こえる音量で特殊ヘンテコクラシック音楽「カルミナ・ブラーナ」が放出しているのに、隣近所から少しでもピンクレディが聞こえてくれば
「うるさい!」
と呪う。