小野寺昭憲オフィシャルブログ - 破壊と創造の記録 - -164ページ目

清拭の儀 - 声帯ポリープ闘病記 Vol.7

小野寺昭憲オフィシャルブログ - 破壊と創造の記録 --病床.jpg

 初入院、初病院食、初点滴、初断食、初断水、初全身麻酔、初手術、初沈黙療法、・・・数々の初体験に酔いしれた入院生活も、流石にこれ以上私を驚かしめる初物は登場しまいと高を括ってはいましたが、昨日は最後の大物が待っておりました。――清拭(せいしき)であります。

 清拭とは即ち、清める、そして拭くという文字の表す通り、医学上の理由で入浴出来ぬ患者の身体を、看護師がタオル等で拭き清める処置でありますが、流石に五体満足で何ら不都合の無い私には縁遠いものだと思っておりました。

 重病で寝たきりの患者や骨折などで手足の不自由な患者にこそ施されるべきであり、例え手術直後で点滴針が突き刺さっており入浴が禁じられた身とは云え、声帯以外は満身健康体であるこの私如きの為に清拭が許されるとは予想だにしておりませんでした。

 『お体、お拭き致しましょうか』――永作博美似のキュートな看護婦さんの口から我が耳を疑う台詞が飛び出しました。発声を禁じられた私は言葉に窮した筈もないのに、ただ身じろぎもせず、純然たる母性の前にあっては黙して頷く他はありませんでした。

 風に揺らぐカーテン一枚が裡と外を隔てる狭い病床の中、看護師と患者の二人は対峙しました。彼女はお湯の並々と注がれたステンレス製の洗面器に真紅のタオルを浸し、小さな両拳でその感触を確かめるようにゆっくりと絞り上げました。不自然に静まり反った昼下がりの病室に、文字通り水を打った音が響き渡ります。

 私は指示通り下着一枚になりベッドに腰掛け、澱みなき彼女の仕草を見つめていました。何か他愛もないことでも喋れたならどんなに場が和んだか知れませんが、この言語による対話を超越した神聖なる母性の享受において、白々しく軽んじた言葉を口にすることは総てを瓦解に導きかねません。

 彼女はやや人肌より温かいお湯を含んだタオルを私の背に宛てがいました。・・・10秒か、それとも20秒か、長い停滞の後、肩甲下筋から広背筋に掛けて丁寧に拭き始めた白衣の天使は、高熱を出して寝込んだ或る日、私の火照る体を優しく拭いてくれた妻の手を想起させました。

 何と云うことでしょうか。――献身と母性と情愛に満ちたる様式美の世界であります。映画「おくりびと」に見られる儀礼に則り死者を霊界に送り出す納棺師の諸作、湯潅から死化粧へ至る一連の様式美の世界が、この清拭には体言されていたのです。

 生と死に違いはあれど、そこに一切の言葉はなく、ただ一心に清める者と、ただ黙して語らぬ者が対峙する空間の中に顕現したのは、紛れもなく様式美の世界であり、私は“生きながらにして送られた”のです。

 ――やがて最終楽章の終りを告げるタクトを振るかの如く、彼女はどこからか取り出したるハンケチ大の黄色い手拭いを私の眼前に差し出しました。そしていつものキュートな笑顔で一言、こう云ったのです。

 『御下(おしも)はご自分でお願いします』

 ――嗚呼、当然ではないか! 私は一体全体散々心中で語った様式美の先に、云わずもがな何を期待していたのか! そこには低俗なエロティシズムなど凌駕する完全なる美の世界が具現していた筈だのに。何者にも汚されぬ清廉なる白無垢に墨滴を落としたるは、まさか愚かにも己自身だったとは! ・・・

 病院という禁欲の房に軟禁された強欲な映像作家は、口から言葉を発することを禁ぜられた代わりに、日々脳内に妄想が溢れております。

 要するに、今日もすこぶる元気だということです。