小野寺昭憲オフィシャルブログ - 破壊と創造の記録 - -162ページ目

さらば点滴 - 声帯ポリープ闘病記 Vol.9

小野寺昭憲オフィシャルブログ - 破壊と創造の記録 --点滴.jpg

 手術直前から私に突き刺さっていた点滴から、昨夜漸く解放されました。

 針が容易に血管に至らず3度も刺し直し、結局は左手首直近に刺し込んだ衝撃の出会いから早や4日――1回目に刺し違えた針は左手神経を侵し、左手首から左人差し指に掛けては未だに痺れが取れぬ有り様です。

 今となっては笑い話ですが、最初チューブの中に気泡が入っているのを見た時(※画像参照)には『血管に空気が入ると死ぬ』という噂に過剰反応して逐一無意味な焦燥に駆られたものでした。

 またかつて点滴に筋弛緩剤を混入する殺人事件を思い出してからは、私の命を狙う左巻きの暗殺者を警戒するあまり夜もおちおち眠れませんでした(嘘)。

 しかし手術前の地獄の断食・断水の中では水分と栄養分を、手術後も止血剤や抗生剤で傷の回復を促すなど、寝ても覚めても飯を食うにもトイレへ行くにも点滴が片時も傍を離れぬ心強き相棒であったことは事実です。と同時に、やはり自ら動かぬガートル台(点滴台)をどこへ行くにもガラガラと引き摺らねばならぬ毎日は苦痛以外の何ものでもありませんでした。

 昨夜は点滴の針が抜けぬよう気にしながら寝相さえ姿勢を正した神経質な夜から解放され、久々に安眠というものを取り戻しました。チューブを気にせず平然と寝返りが打てるという至福に、ベッド上を右へ左へ訳もなく体を転じてみては、ささやかな、それでいて大いなる自由を謳歌したものです。

 点滴一つに一喜一憂したこの夜、もし腕一本、もし足一本を欠いたならその不自由さは如何許りかと想像すると、闇然たる不安に戦慄を禁じ得ませんでした。

 健康である人はそれが当然であるが故に意識すらしなくなります。まさに灯台下暗し、どんなに大切なものでも身近過ぎると逆に見え難くなるものです。それが“健康”であっても“自由”であっても“大切な人”であっても同じこと、人間は失ってみて初めてその重大さに気がつく後悔の生き物です。

 気がつき取り戻せるのならそれに越したことはありません。しかし間に合わなかったとしても、その“気づき”は一生の糧になるに違いありません。声帯に引き続き点滴までもが、私にその明白なる事実を改めて示してくれました。

 ――幸運にも私は、間に合ったのです。