松平秀康と松平春嶽 | 小野寺昭憲オフィシャルブログ - 破壊と創造の記録 -

松平秀康と松平春嶽

 本日6月2日は、我が故郷・福井に纏わるふたりの偉人の命日であります。


 初代福井藩主・松平(結城)秀康公、そして第16代福井藩主・松平春嶽(慶永)公──奇しくもお二方ともに福井藩の藩主であることに運命的なものを感じますが、今回はご存知無い方に簡単にお二方のご紹介を。


小野寺昭憲オフィシャルブログ - 破壊と創造の記録 --松平秀康


 江戸幕府初代将軍・徳川家康を父に、2代将軍・秀忠を弟に持つ松平秀康は、慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦後、越前国68万石へ加増転封され越前松平家を興しました。血統を見ても分かる通り、徳川御家門筆頭の大名家であります。


 初代福井藩主となってからわずか6年後、34歳の若さで病に斃れた秀康でしたが、今なお福井県庁にはその堂々たる御姿を象った石像が聳え立ち、福井の歴史を見守り続けているのです。


小野寺昭憲オフィシャルブログ - 破壊と創造の記録 --松平春嶽


 徳川御三卿の一つ田安徳川家3代当主・徳川斉匡の子として生まれた松平春嶽は、11代将軍・徳川家斉の子である第15代福井藩主・松平斉善の元へ養子に入り藩政を任されました。よって春嶽は12代将軍・徳川家慶の従兄弟にあたり、幕末の四賢侯の一人として幕府の重鎮としても歴史に名を残しています。


 また春嶽は明治6年(1873年)、福井城内に越前東照宮と呼ばれる佐佳枝廼社(さかえのやしろ) を創建し、先述の藩祖・松平秀康をお祀りしています。そして春嶽の死の翌年──明治24年(1891年)には、また自らも同じお社に合祀されたのです。


 廃藩置県までの福井藩主は17代に亘りますが、初代と16代のふたりだけが、しかも283年の時を隔てて同日に亡くなったふたりの福井藩主が同じ神社にお祀りされていることは、やはり何かしらの運命を感ぜざるを得ません。・・・


 さて今回はふたりの歴史のほんの一部だけをご紹介しましたが、故郷・福井での取材を経てまた詳細に書き記したいと思います。お二方の命日に、合掌。