「好きですよ」
俺の言葉に、イムジャの動きが止まった
俺はふう、と息を吐き出す
この方が自分の妄想で一人合点をすることは前から気がついていたが
こうも断定的に言われると真実味が帯びていて
当事者の俺ですらそうだったか?と一瞬思ってしまった
「好きか嫌いか、と言われれば好きですよ。
小さい頃遊んでもらったヌナです。」
イムジャの手が俺の近くにあった酒瓶を捜す
俺はその酒瓶を手に取るとイムジャの茶器を取り上げ
幾分小さい杯を握らせるとそれに酒を注いだ
「小さいのにしなさい」
「また、小言?
私、酔いたいの。酔わなきゃいられないの」
手にした杯をくいっとあおると、おかわりを催促する
「あなたはそもそも勘違いしている」
俺は酒を催促するイムジャにいやな顔をした
「なにをよ」
俺の顔色などお構いなしに俺から酒瓶を取り上げ
イムジャは茶器を手繰り寄せると自分で酒を注ぐ
そしてあおる
酒瓶は3本目だ
「私がヌナと会っていたのは二十数年前です。
まだ恋と言う言葉も知らぬほんの童のころです。
母のところに来る、綺麗なお姉さんという記憶しかありません。
やけぼっくいに火がつく、というのは
過去に関係を持っていた間柄の男女が再会して
再び恋に落ちる、ということでしょう?
俺とヌナはそんな関係じゃそもそも、ない」
イムジャは、小声でへ?とつぶやいた
ぽかん、とした顔をする
その顔が可愛くて思わず上がりそうになった口角を必死でとどめる
「・・・そうなの?わたしはてっきり・・・」
「ヌナは婚姻がきまり、花嫁修業のために刺繍を教わりに来ていたんです。
しばらくして姿が見えなくなったなので母に尋ねたところ
婚姻した、と聞かされました。
まだ俺が5歳か6歳のころ・・・まだどうにか母が起き上がることができる時期でした。
それきりの縁です。」
「・・・」
ほんとにびっくりしたのだろう。口を半開きにしたまま俺を見つめる
俺は話を続けた
そもそも、俺がちゃんとヌナとの関係をイムジャに話しておかなかったのがいけなかったのだ、と思い知らされる
しかし、イムジャがこんなにも俺に興味を持っていたとは知らなかったのだから、致し方あるまい
まさか、イムジャが・・・
アンジェの言葉が真実ならば
俺と同じ気持ちのはず、だなんて。
「父上のつながりがあるので、ヌナがどちらに嫁いだのか聞いたことがありました。けれどすっかり忘れていました。
王宮にあがるようになってから御夫君には何度かお会いしたことがあります。
仕事がらみでしたが、何かのはずみで奥方が鉄原の出身、と聞いて
もしかしたら、と思ってはいましたが、あの日王妃様のお部屋の傍でお会いして私も心底びっくりしたのですよ」
ヌナが現れた時、あまりな偶然にキ・チョルとつながっているかと勘繰るのはいたしかたないだろう。スリバンを使い調べたがその気配はなかった。
単純に王妃様が指導者を捜しているときに
令監の一人が出世欲などない部下の文官の夫人を推挙したらしい
お役目に忠実な実直な男だが、夫人との間に子宝には恵まれず
それでも第二夫人を娶ることなく仲睦まじく暮らしていると聞いた
母としても幸せは得られなかったが
妻として女としての幸せを十二分に享受しているのは
変わらぬ美貌と優しさで察することができる
それをやけぼっくいに火、など・・・
妄想を言いふらしていなかったから良いものの
ヌナに対しても、夫君に対しても失礼にもほどがあろう
「じゃあ、じゃあさ」
つまみの干し肉を手に取ると真剣な目で俺を見る
「ほんとに、夫人じゃないの?
恋に気づく時を教えてくれた、あの言葉。
ふだんいつも一緒にいて、ある日突然気になって
悩んで、これが恋なんだ、って気付く。
テジャンのあの言ってた言葉の意味は?
夫人に再会して、気づいたんじゃないの?」
「ちがいますよ。どうして、そう思ったんですか?」
「だって、すごく、言葉に真実味があったから・・・」
険しかった表情が嬉しそうな表情に代わる
「そうかあ、夫人じゃないんだ。そうかあ~」
そうかそうか、と何度もうなづく
「じゃあ、誰なの?
テジャンが気づいた恋の相手は?」
「誰だと思いますか?」
俺は酒瓶と茶器をイムジャが取り上げると
なみなみと酒を注いだ
ごくごくと飲みほしても、なぜか酔えなかった
干した肉をのつまみを指で小さくちぎりながら
イムジャはそうねえ、と宙を仰ぐ
「もしかして、メヒさん、かな?
いいなづけさんの・・・」
メヒ・・・
申し訳ないくらい自分の中からその名前が出て来なかったことに
自分自身でびっくりした
草葉の陰で怒っているだろうか?
俺が新しい恋に出会ったことを喜んでいるだろうか?
胸がチクリと痛んだが、それを振り払うと
いいえ、と大きくかぶりを振った
「違うの?
じゃあ、やっぱりテジャンの経験じゃなかったのね。」
ほっとしたようにイムジャが言った
「いいえ、俺自身です」
俺の言葉に、とたんに目を見ひらく
そうして、鳶色の眸がゆっくりと下を向いた
「へえぇ、やっぱりテジャン、恋したんだ。
で、気づいて、テジャンはその人に告白したの?
私の知ってる人かなあ?
どこかの姫?
まさか、ムガクシさん?
テジャンはなんて告白するんだろう?
テジャン、男前だもん、絶対成功する。
私が保証するから!」
うつむいたまま、視線をあげないでぺらぺらと喋るイムジャ
そうして顔を上げたかと思うと
俺の手から酒瓶と茶器をとりあげ、茶器いっぱいにした酒をぐいっと一気飲みした
ぷはー、と大きな息を吐きながら
俺を見る眸は悲しいような切ないような
何とも言えない表情をしていた
その眸を見て、俺は決心した
イムジャの手の中の酒瓶と茶器を取り上げ、なみなみと酒を注ぎ
俺も一気に飲み干した
手の甲で唇についた酒を撫で拭くと
俺はじっとイムジャを見つめた
「もしイムジャだったら、なんて言って男に告白されたいですか?
天界とここでは風習が違うのでしょう?」
目をそらさず、イムジャはたんたんと言葉を紡いだ
「・・・天界にいた時はおっきなダイヤモンドの指輪と薔薇を持って
ひざまづいてプロポーズされるのに憧れていたわ。
でも、ここにはダイヤの指輪もないし、薔薇の花束もない」
半分は意味がわからない
「だから、もし、私がここで好きな人ができて告白されるとしたら、
そうね、ただ、名前を呼んで欲しい。
ウンスヤ、ウンス、可愛いウンス。
ここでは、私の名前を呼んでくれる人がいないから・・・
そうして、ただ、好きだよ、って心から言って欲しい」
イムジャは俺の手からまた、茶器と酒瓶を取り上げた
3本目の酒瓶は、もう空だ
懸命に酒瓶をひっくり返して酒を注ごうとするが
一滴も流れて来ない
「テジャン、もうお酒がないわ。」
そう言って、卓の上に頬を載せる
「テマナを呼んで、持って来させてよ。
あ、向こうにハニさんがいるかな?」
そう言って、ふふふ、と笑う
「テジャンは、好きな人になんて言うの?
なんだかうらやましいな、その人が。
あ、テジャンがその人と両想いになっちゃったら
もう私とこんな感じで会えなくなっちゃうね。
いやだな、淋しいな。」
「そうですか?」
「そうよ~。だって、だって・・・」
酔った赤い目が、俺を見つめる
目は口ほどにものを言う、とは真実のようだ
俺は魔法にかかったように、その眸に吸い寄せられた
いつの間にか俺の手はイムジャの頬を両手で包み
やわらかなイムジャの唇に俺のそれをあてがった
「あ・・・」
小さな声が、唇から洩れた
その声が余計に俺を燃え立たせた
押さえていた気持ちが、すべて吐き出されるようだった
触れるだけのつもりが、角度を変え何度もついばみ
小さく開いた唇から深く潜り込む
イムジャの体が椅子から落ちそうになった
手を伸ばし、体をささえる
幾度となくはなれようとする唇を追いかけ
つながることをやめることができなかった
どのくらいたっただろうか
俺の胸をイムジャの拳がとんとんと叩いた
俺は我に返るとやっと唇を離す
立ち上がり、イムジャの腕を取って、立たせ、髪を撫で整える
「どうして・・・」
目の端に涙をたたえながら俺を睨むイムジャに
髪を撫でながら俺は言った
「ウンスヤ、ウンス、可愛いウンス。
俺が気づいた相手が自分だとは思わなかったのですか?」