「美咲ちゃん...ですか？....」
女の子は、あからさまに怪訝な顔をした。
「美咲？誰ですか？」
「そ、そうですよね...。人間違いです。すみませんでした」
僕はあまりに似過ぎていて、いる筈もない二次元の存在かと疑いをかけてしまった。
現実から隔絶されたようなこの空間が、余計にそうさせたのかもしれない。
「あっ...。で、僕に何かご用ですか？」
「あなたが30分以上そこでずぅーーーっとブツブツ言ってるので、私がお参り出来なくて声をかけたのですが」
「あっ！そうでしたか！すみません、どうぞ！」
僕はかれこれ、30分も壇上でお参りをしていたようだ。
さすがに落ちるとこまで落ちたな...。
彼女は美咲ちゃんと初めて会った日と全然違って、見知らぬ男性にただただ警戒しているように見えた。
まぁそれも普通の反応だろう。
相手からすれば、僕はただの邪魔な存在だ。
何だか、心の領域を攻撃されたような気になって、
鳥居を出て逃げるように帰ろうとしたが、
彼女のことが気になって恐る恐る振り返った。
しかし、そこにもう彼女の姿はなかった。
不思議な体験をした。
どこの学生だろう。
おそらく、僕と同じく高校生だった。
あんなに美咲ちゃんに似ている人が存在するんだ。
家に帰ると、今夜はなぜか少しだけ集中して勉強することが出来た。
あれから１週間が経った。
この１週間、いつもより集中できている気がする。
お参りに行ったおかげだろうか？
僕は、あの神社がなんだかずっと気になってしまって、
「お礼」という正当化できそうな理由を作り、あの神社にもう一度向かうことにした。
神社に着くと、当然だが彼女の姿は無かった。
僕は、前回同様の参拝手順を踏み、
今日は、少し貧乏性が働いて10円玉を投げた。
第一志望に合格できますように...
そんな薄らとした希望を、図々しくも頼んでしまう自分への嫌悪感。
その感情がそもそも自分自身を遠ざけているのか。
それでも、僕にはこの突発性大雨のような心をコントロールすることは出来ないでいた。
自分に自信がなくて、何かにすがりたくて、
目についたおみくじを祈るように引いた。
「400円...高いな....」
ここで大吉を出せば、第一志望に合格できる....
僕はおそらく大吉であるこの一枚を、力強く握り締めた。
白紙。
「何も書かれてない！？嘘だろっ！？！？」
400円で白紙...。誰かの悪戯...........？
ああっ............！！
僕は本当についてない....。もう何もかもダメだっ................！！
「白紙じゃないですよ」
！！！
「美咲ちゃんっ！！！！！」
「だから、美咲って誰ですか」
１週間前のあの子が、またここに！！
まっさらな用紙に、点が一つこぼれ落ちたかのような、
そんな突然の出来事だった。
嬉しさもあるが、恐怖心も同時に芽生えた。
まだ何も準備していないのに、バッターボックスに突然立たされても......。
「このおみくじ、誰かの悪戯みたいで....何も書かれてないんですよ」
「400円もしたのに......」
「笑っちゃいますよね...」
「........」
「私の仕業です」
「ええっ！？！？」
「この前あなた、随分気持ち悪い目で私を見ていたので、また来るかなと思って仕掛けておきました」
「私、貧乏なので」
「..........！？！？」
「どういうこと？ちょっと、返して下さい！！」
「嫌です」
「ええっ.........！？！？」
「.....................」
「すみません、一つだけ質問してもいいですか？」
「あなたは、この辺りの学生さんなんですか？」
「これ以上話したいなら、お金払って下さい」
「ええっ！？そんなぁっ....！！」
「........................」
「..........................................」
「.......................................................................................」
「ふぅーーーっ.....分かりました..。」
「で、何円ですか？」
「400円です」
「返事早っ」
「さっきの箱に入れて下さい」
「ふぅ.....」
「で、あなたはこの辺りに住んでるのですか？」
「はい、まだ引っ越してきたばかりですけど」
払うべき物を払うと、少し物腰が柔らかになって腹が立った。
これがビジネスというやつか。
それでも、そのビジネスの優しさに少し美咲ちゃんを感じて嬉しくなってしまう。
僕は本当にどうしようもない奴だ。
これだけ自尊心を傷つけられても、まだ欲が勝ってしまうなんて...。
「美咲さ....えーーっと、お名前はなんて言うんですか？」
「もっと話したいなら、お金払って貰わないといけないんですけど」
「ええええっ！？！？」
「１メッセージで400円！？！？」
「美咲ちゃんパターンかよ！！！」
こうなったらヤケだ。
この女にとことん付き合ってやる！
「................」
「いやぁキツい！そんなお金持ってないなあ！」
「..........................」
「お金持ってないけど話したいなあ！」
「..................」
「出世払いにしようかな！第一志望に合格して良い会社に就職したらたくさん払えそうだなあ！！」
「部長になってからじゃもう遅いもんなあ！」
「ビジネスチャンスだよなあ！」
「...............」
「目の前のお客さんだけに囚われてるのかなあ！未来の太客のことも想定できるのが、プロなんじゃないのかなあ！」
「ぷっ。。。」
「何がおかしいんだよっ！」
「いや、何であなたが上から目線なんだろうって笑」
「分かりました。出世払いも込みで、一日2000円で良いですよ」
「一日！？」
「はい、毎週土曜日にこの場所で会いましょう」
そして僕たちは、毎週末この神社で、不思議な逢瀬を重ねるようになった。
少々お金はしたが...。
..........................................................
「この山道を散歩しませんか？」
「受験勉強、応援しています」
「サトルさん、寝癖ついてますよ？」
......................................................................
ビジネスだとしてもいい。彼女の包容力と、屈託のない優しさに救われていることは事実だった。
このモノトーンの毎日に、ようやく楽しみを見つけることが出来たのかもしれない。
自分への罪悪感。この感情こそが、実は人生に蓋をしていたのか？
その答えは分からない。だって、僕は確実によくないことをしているんだから。
ある日。
「ねぇ、ほんとにこんな山登るの？」
「嫌なら帰って貰って構いませんが」
「分かった、行くよ！」
12月。
乾いた地面。覆い被さる落ち葉の毛布。
葉はほとんど散り、裸ん坊で寒そうな木々たち。
みんなには秘密の、道なき道。
ぼくら二人、山を登る。
虫たちは冬眠中。
狐が一匹、お辞儀をする。
背の高い空。
どこまで行けば、手が届くかな？
雄大で通せんぼな大自然を、
一歩、また一歩
進む度、それが通路になる。
この通路は自然を自然じゃなくしてしまっているのかな？
振り返ると、
「構わないさ、進め」って
そんなおばあちゃんみたいな自然が大好きだ。
しばらくすると、僕たちは川沿いを登っていた。
急流な水が、激しく大岩にぶつかって破裂しては散らばっていく。
「滝登りって知ってます？」
「鯉が滝に登ると龍になるんだと」
「転じて、出世の例えによく使われます」
「滝ではないですけど、そんな気分ですね！」
「ううっ、寒いなぁ...」
「それ、誰から聞きました？」
「えっ、おばあちゃんだったかなぁ」
ようやくして、僕たちは川の原点まで辿り着いた。
「こんなところに洞窟があったなんて....」
スマホのライトを付けて、吸い込まれるように中へ入った。
ゴツゴツした岩肌。肩を叩く水滴。
「先に言っておくけれど、見せるのはあなたが初めてだから」
「それなりの覚悟を持って欲しいの」
何を言っているんだろう？
彼女は時折意味の分からないことを言う。
「うわぁ....」
小さくて、力強い、水滴が
ぽつり、ぽつりと
確かに湧き出ていた。
「凄い！水源なんて初めて見たよ！」
「飲んでみて」
「えっ飲めるかな？」
「少なくとも、コンビニで売っている水よりはマシね」
味はよく分からなかったが、まずくはなかった。
「この石、ちょっとどかしてくれないかしら？」
よく見ると、水源から流れる小さな水を、石がつっかえてうまく流れないようになっていた。
「ん？そんな小さい石自分で拾えばい...」
「お願い」
「私、触れないから」
潔癖症なのだろうか？でも、ここまでこんな山を平気で登ったというのに。
そもそも、
彼女は一体何者なんだ。最近引っ越してきたばかりなんだろう？
その石を拾うと、少しだけ水の流れがよくなった。
程なくして僕たちは下山して、最後にふもとのダムを見に行った。
「うわぁ！！でっかいなぁ...！！！」
「つまらないわ」
「え？僕、なんかした？」
「滞っているものを見るのは、腹が立つ」
「あなたと同じね」
「まぁ、そういう意味ではあなたにもひどくムカついたわ」
「うぅ....」
「水は流れたい場所へただ流れるの」
「社会が人間の生きたい意志を塞き止める限り、あなたのような人は無限に生まれ続けるわね」
「よく分かんないけど、今の僕の状況がこの社会のせいってこと？」
「いや、それはあなた自身のせいだと思うけど、まぁ都合の悪いことは何かのせいにしておけば？」
「.....」
「それでも、やっぱり自分のせいだと思う」
「僕は頑張りたいのに頑張れない、ダメな人間だよ」
「私にはそうは見えないけれど」
「でもまぁ、そのほうが私は儲かるけどね」
家に帰ると、美咲ちゃんに今日のことを報告した。
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美咲ちゃん。今日は楽しかったよ。
洞窟に入ったり、大きなダムを見れて元気が貰えたよ！
私も楽しかったです！サトルさん意外とどんどん行っちゃうから、
こんなにエネルギーのあるお方だなんて、びっくりしました！
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気がつくと、美咲ちゃんへのメッセージをその日の日記のようにしていた。
今日は朝7時に起きて午前中は数学、物理を4時間。午後は学校に行って英語を4時間。家に帰るとすこし休憩してしまったが、社会を３時間出来た。まだまだ皆には足りないと思うが、最低限は出来たと思う。
今日は平日なので学校の授業があったが、休憩時間にも英単語を覚えたり、うまく日中を過ごすことが出来た。家に帰ると、何だか頭が冴えて、数学を始めたら気付いたらこんな時間になっていた。まだまだ努力が足りないけど、コツコツ頑張りたい。
今日は土曜日。午前にやるべきことを済ませちゃって、うまく昼を迎えることが出来た。夕方には今日は解散して、化学の無機分野が苦手だったので、ひたすら教科書を暗記した。
美咲ちゃん。そしてあの子は全てを許してくれる。
頑張れない日があっても。結果が出なくても。
こんなダメな僕でも、凄いって褒めてくれるんだ。
そしたら段々頑張れるようになってきた。
自分は、ダメな人間だと思ってたけど。
ダメなまま頑張ればいいんだって。
１月。
センター試験を迎えた。
僕たちのこれまでの努力の成果が、結果となって表れる日だ。
ずっと不甲斐ない毎日だったけど、最後は頑張ることが出来た。
もしかしたら、もしかするかもしれない！
美咲ちゃん。
そして、名前も知らないあの子。
全て彼女たちに救われたんだ。
僕が支払った合計7万2053円は、無駄じゃなかったのかな？
３月。
仲間たちは、皆それぞれの進学先を決めることが出来た。
第一志望合格、そうではない人。大喜びする人、望んではいない結果に失望を隠せず涙する人。
これがリアルというやつらしい。
楽しみを見つけても尚、あいも変わらず現実は残酷そのものだ。
仲間の成功に心から喜んだり、同情したりしている自分に驚いた。
僕の仮面も、知らないうちに外れていたのか？
僕自身は、結局センター試験で大惨敗を喫し、
滑り止めには２校合格することが出来たのだが、
第一志望を諦められず、浪人を選択した。
もう一年鍛え直して、今度こそ合格を掴み取るつもりだ。
土曜日。
結果報告を兼ねて、あの神社に向かった。
向かう途中はまだまだマフラーなしでは居られないくらいの寒さだったが、
神社につくと不思議な温かさだった。
さわさわと、晴れているのに優しい雨が降る。
肌に触れる雨が、僕の罪を洗い流していくようだ。
この雨は、僕を歓迎してくれてるってことかな？
美咲ちゃん。
実は、２月頃から突然彼女は姿を現さなくなった。
今になると、その理由も少し分かる気がする。
本当に、あっけない一瞬の出来事だったな。
こんなに早く居なくなるなんて、やっぱりこの世界は理不尽なままだよ。
「最後に、どうしても君の名前を教えて欲しい」
僕は、脇にそびえ立つ古い看板の埃を手で払った。
岬神社 御祭神 瀬織津姫
「美咲ちゃん...」
「将来、君に自信を持って自慢できるくらいの男になって、約束通りたくさん貢ぐから」
「今は400円で我慢してくれ」
からんころん。
雨に光が反射して、鏡のように水面に写る自分。
その自分に向かって、
僕は、手を合わせる。
「第一志望に、合格する。」
(終わり)