沙也夏はグラスを上にあげた。健太も何の抵抗もないようにグラスを取った。ふたつのグラスが軽やかな和音を奏でた。健太は自分で言ったことを忘れたかのようにグラスに口をつけた。
ふたりとも乾杯してから、一言も話していなかった。


健太は絵を見ながら、違和感を感じていた。
〝何かが違う。この絵を見るのは初めてではないのに、前に見た時と違う格別の美しさがある。なんだろう・・・。そうか。わかった!光だ!太陽の光がこの絵の美しさを引きだしているんだ。このあいだ見たのは電気スタンドの光だった。だから違うんだ。この絵には自然の光がよく似合う。それにしてもスピード・スターの曲線が美しい。車の絵はどうしても直線的になりがちだが、これは曲線がはっきりと描かれている。本当にきれいだ〟


 一方の沙也夏は健太と絵を交互に見ていた。
〝やはり、この部屋を選んだのは間違いではなかった。英人の絵には太陽が一番似合う。英人の絵をひとことで言うなら明るさだ。だから、夕方を描いた絵はあっても夜を描いたものはない。それと光の反射を好んで描く。この光の反射というのが絵の世界では一番難しいのではないだろうか?光の反射を表現しようとするなら、白を用いなければならない。画家が一番嫌う色だ〟沙也夏はそう思いながら、健太の嬉しそうな表情に満足していた。


「健太さ・・・」
 沙也夏は健太に絵の感想を聞こうと思い声をかけようとしたが、やめた。それは健太の目を見ればわかった。
〝歌ってる時と同じだわ。どこか遠くを見ている感じで、目が澄みわたっている。やはりエディが童話のことを話している時とそっくりだわ。こういう人とめぐり逢うとは思わなかったのに・・・。その人から告白されたのに、私はそれを断ろうとしている。でも、私には決まった男性がいるのだから・・・〟


 沙也夏は健太とは今日で最後にしようと思っていた。
だからこそ、自分の好きな絵の素晴らしさを健太に知ってほしかった。だが、最後の最後に迷いがあるのも事実だった。
 沙也夏は絵に目を戻し、健太が口を開くまで自分は黙っていようと思った。
 窓から吹き込んでくる風が健太と沙也夏の頬をなで、時間がゆっくりと流れていった。