沙也夏は高校へは行っていない。そのかわり、一般の高校生が経験できないような世界で生きてきた。それはまさに生きてきたという言葉がピッタリだった。
光太郎はレーシング・メカニックの仕事をしていた。F3000というレースで、ヨーロッパ各地を転戦するものだ。F3000は日本でも行なわれているが、レベルが違っていた。それはヨーロッパ各地で行なわれているF3000が,、モーター・スポーツの最高峰といわれる、F1の登龍門と称されているのでもわかる。
もし、このレースでチャンピオンになろうものなら、F1のチームからお呼びがかかる。ところが日本で行なわれるF3000ではそうはいかない。
いくらチャンピオンになったとしても、それは日本国内で勝ったとしか判断されない。ヨーロッパのレースは世界各国から腕利きのドライバーが集まってくるのだ。その違いは歴然としている。
光太郎はそんなイギリスのチームのメカニックだった。そのチームは表彰台の常連の成績、つまり二、三位をいったりきたりしていた。
ではなぜ光太郎はそんな一流(表彰台が常連なら一流のチームである)のチームにメカニックとして入れたのか。
それは夢のような話だった。光太郎はレーシング・メカニックになる前は、整備工場を営んでいた。その頃は景気も良くて、従業員も三名雇って結構忙しかった。
夢のような出来事は、八月の大雨の日に〝降って〟きた。その日は天候のせいからか、さすがに客も少なく、光太郎は従業員の若い連中と車談義をしていた。
その時である。一台のステーション・ワゴンが整備工場の前に止まった。そしてひとりの紳士が傘もささずに走って工場の中へ入ってきた。入ってくるなり、その紳士はこう言った。
「ここの責任者にお会いしたいのですが・・・」
光太郎は怪訝な顔をして、答えた。
「私ですが。何か・・・」
「突然お伺いして申しわけありません。単刀直入に申しあげます。実はある車を修理してもらいたいのです。修理というよりも、再生と言ったほうがいいかもしれません。あっ、失礼しました。私はこういう者です」
紳士は名刺を光太郎に差し出した。名刺には〝基レーシング〟と小さい字で印刷してあり、さらに中央に〝代表 基和義〟とあった。光太郎は状況が読めなかった。