双極性障害と診断されたのは、はじめに重症うつ病と診断されてからだいぶ後だ。


今になって情報が沢山あるから判断もしやすいのだろうけど、医師でも双極性障害を見極めるのはそう簡単ではないらしい。


基本的には躁と鬱を繰り返す病気と言われているが、ぼく自身はそんな自覚はなく、鬱の方が長いと思う。人によっては鬱が辛いから軽い躁状態を望む人もいるなんて書いてあったけど、実際はそんなことは言ってられないと思う。躁転は極端に辛いけど、軽躁状態もそんなに良いものではない。


いずれにしてもとてもじゃないけど気分良く過ごせる状態ではない。


後々書くつもりではあるけれど、思い返せば日常の何気ない行動が、実は病気の影響だったのかも、と思うことがある。


例えば、車を買うとしよう。今乗っている車を下取りに出すために、買取業者を巡ったり、ディーラーを回って見積もりを取るなんてことはごく普通の動きに思える。


だけど、必要以上に立派な車を乗ろうとしたり、見積もりを取るたびに気持ちが大きくなって、グレードをアップしたりするといった行き過ぎた行動に出たとしたら、それは単に気持ちが大きくなっているのではなくて、もしかしたら躁状態のなせる業かもしれないのだ。


同伴者がいなければ、さっさと話を進めてしまい、結果的に無理な買い物を無理とも思わず、買い物欲求だけが満足されてしまう。結果支払いにも困っていくという構図だ。


躁転はこうしたことがきっかけになって起こることもあるようだ。もちろんそれだけではない。日常のお金の使い方やその価値観にまで影響を及ぼしてしまう。しかも一回で終わらない、多岐に渡ることもある。


今回は買い物を例にしてみたけど、日常生活の中のあらゆる場面に躁転の危険は潜んでいる。だから周りの人間の観察はとても大事だと思う。そして医師の判断と投薬は必然と言える。


実はこれ、本人にとっては快感のようであるが苦しいことでもある。特に躁から鬱に落ち込んだ時、自分をただ責める要因になるからだ。実際本人にはどうにもならないことだと思う。お節介と思われても、周囲の人間の制止が必要なとき、ためらわずにそうする方がいいと思う。