明治時代になると建築に関する封建的な規制もなくなり、資力に応じて住宅を造るようになった。この時期に大火に遭遇した東京や川越、高岡など、東日本を中心とした多くの町では、防火のために総土蔵造の店倉が立ち並ぶ豪壮で華麗な町並みが形成され、現在まとまった形で残るものは観光資源ともなっている。欧米から伝来した西洋建築に対し、日本在来の伝統的な様式を踏まえた建築は和風建築としてまとめられるようになる。大工道具の質も上がり、明治宮殿建設などの大規模な公共事業を通して職人の交流も活発になったことなどで、建築の質は全体に向上していった。

明治時代には、他の分野と同様に住宅においても「近代化=西欧化」の動向が進むが、実際に洋風の住宅(西洋館)を建てるのは、政治家、実業家など限られた階層の一部の者に限られ、その場合でも、ふだんの生活は併設された和風住宅で行う場合が多かった。明治後期から昭和初期の富裕層により立てられた住宅建築は、当時の日本の豊富な木材と職人の高い技術に支えられ、最も優れた品質を持っている。

大正時代以降、サラリーマン、都市知識人ら都市部の中流層が洋風の生活に憧れ、一部洋風を採り入れた和洋折衷の文化住宅が都市郊外にも多く造られるようになった。しかし、家の中では靴を脱ぎ、畳でくつろぐといった生活スタイル自体はほとんど変わらなかった。これは関東大震災後のモダンな集合住宅である同潤会アパートや、都心部の店舗兼住宅(看板建築)でも同じである。

 

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