8月がもう終わりますね。
日常に流されて、
ブログに向き合う気力が薄くなってる母です。
よく読んでたブロガーさんも、
別のSNSに移ってたりして、
SNSが苦手な私は、取り残されてしまった。
時代に取り残されてしまうのかも、、、と、
不安に思ったりする事もあります。
でも追い付こうとすると息切れしちゃうので、
“コレが私”と諦めて、ボチボチやっていきます。
ココは、夏の水遊びスポットらしく、
夏休みに入ってからは、親子連れで溢れています。
川の木陰にアウトドア用の椅子とテーブルを置いて、
川に足を浸けながら読書してる男性を発見!
テーブルには缶ビール。
いいなアレ。アレやりたい
地元でも知らないとこ、まだまだありそうです。
昨年末辺りから、
色々ネガティブな出来事を見聞きしたり、
自分自身や家族に起きたりしてたけど、
感情を手放して〜
問題を仕訳けして〜
現実に対処して〜
流れるままにやり過ごして来た母。
結構うまく回ってるんじゃない?と
悦に入ってましたが、
5月のブログを書いた日から
感情の乱高下が激しくなりました。
すんごい楽しいとか、嬉しいとか、感じてる最中に、
訃報が舞い込んで来るんです。
5、6、7月と1件ずつ。
訃報って、続く時は続くんですよね。
人は必ず死ぬものだから、
自然な事だからと思ってはいても、
感情の乱れは、起こります。
実の姉より姉のように慕っていた
年上の友人が亡くなった時は、
“哀しい” “寂しい” “もっと会いたかった” と
毎日溢れて来ました。
たくさんたくさん泣いて、
残った感情は、“感謝”と“尊敬”。
家族にも友達にもとても愛されていて、
闘病中も大好きなビール飲んでラーメン食べて
旅行に行って楽しんでいたそうです。
感情豊かで懐の深いとても素敵な女性でした。
出会えてよかったと心から思う。
ありがとう。
その方の葬儀の翌日が、
おじいちゃん(私の父)の
90歳の誕生日だったりして。
コロナ禍で集まるのを控えていた親族も、
あと何回集まれるか分からないとの事で、
お祝いを決行しました。
おめでたい事なんだけど、
母の胸の内は、ちょっと複雑でした。
悲喜こもごもって、こういう事?
ライブで幸せ感じた翌日の訃報、
パパさんの誕生日当日の訃報。
感情の切り替えって難しいね。
ってゆうか、
切り替えたくないんだな、私。
色んな感情を感じるに任せて、
川にアーシングしに行ってました。
自然に委ねる
生きてるだけで、いい。
で、
どうせ生きるなら、
少しでも楽しく生きたいなと、
ビール片手にアーシングする男性を見て思う母でした。
ぼちぼちマイペースに、
こっそり楽しく生きて行きます。