平沢進曲解釈『ホログラムを登る男』「アディオス」篇
アルバム『ホログラムを登る男』で歌われているテーマは、「社会の裏に潜んで人々に偽りの現実を見せ彼らを無限に働かせる存在とその監視の目からの脱却」だと思われます。『アディオス』はその序章で、「さあ目を覚まし嘘の世界にさよならを言おう」というようなものなんじゃないでしょうか。それでは歌詞を追いながら一つずつ解釈していきましょう。千年の断章を閉じ ああ憂える弁士 うなだれはしゃいでは まろびつ落ちる ああ人科の晩夏 終章まず少し難しい言葉の意味から。「断章」は「詩や文章の断片/詩や文章から抜き出した一部分」「弁士」は「話し方の上手な人/演説や講演などをする人」のことです。では最初のフレーズですが、「千年」というのは『ロタティオン」でも用いられているように具体的に千年間を表すのではなくて、「とても長い期間」という意味合いで使われています。ここでは「長い歴史の物語」と解釈するのがいいように思われます。では長い歴史の断片を閉じるとはどういうことでしょうか。ここで使えそうなのが「断章取義」という言葉で、「詩や文章の作者が込めた意味に関係なくその中から自分の役に立つ章句だけを取り出して用いること」という意味です。つまり最初のフレーズの意味は、これまで語り継がれてきた長い歴史の物語から、民衆の指導者にとって都合がいい断片だけを取り出し、そこから彼自身が作り出した存在しない悲劇に憂いうなだれて人々にも存在しない焦りを植え付ける。「いまのままではだめなんだ」と。そうやって慌てふためいては転げ落ちるを繰り返すばかりの人間は、もう生物としての終わりを迎えているんじゃないか。こんな感じで解釈できるのではないでしょうか。「罵詈喝采~」は後程取り上げるとして、次の歌詞晩年を悔恨に染め ああ怯える尊師 号泣叫んでも奇跡は来ない ああ長者の跋扈は連綿ここも言ってることはさっきとほどんど一緒じゃないでしょうか。存在しない悲劇への憎悪と恐怖で尊ぶべき人(聖職者)は泣き叫ぶが奇跡など起きやしない(起きる必要もない)。社会の長(権威者)が為すこのような好き勝手は今もまだ続いている。ではじゃんじゃん進みましょう。罵詈 喝采 罵詈 喝采アディオス 順風 多難 イリュージョンこれは一体なんでしょう。この「罵詈喝采」こそが民衆を洗脳する呪文なのです。「罵詈」とは「汚い言葉で悪口を言うこと」「喝采」とは「大声で褒め称えること」です。つまるところ「飴と鞭」のことではないでしょうか。民衆を従わせるための呪文、行動・思考が思い通りに操作できなければ罵詈、自分の信奉者になれば喝采。そんな呪文で作られた順風と多難のイリュージョンからは「アディオス」しよう。私たちは生きている中で必ず山や谷に直面します。ですがその多くは指導者により作られた虚実なのです。その作られた「失敗」と「成功」の錯覚こそが私たちを従順な存在へと成り下がらせるのです。ところでこの曲のタイトルである「アディオス」という言葉ですが、これはスペイン語で「さようなら」という意味です。どうしてあてスペイン語なのでしょうか。まあ普通に日本語で「さようなら」や「グッバイ」はなんとなくダサい感じがしますし、「アディオス」のほうが平沢っぽいですよねw雰囲気で、っていうところもあるでしょうが、「アディオス」をあえて使った理由はもう少しありそうです。「アディオス」は実はあまり日常で使うような言葉ではありません。私たちも日常会話で「さようなら」ってあんまり言いませんよね。「さようなら」よりも「じゃあね」とか「また」とかのほうが軽くて頻繁に使うと思います。英語で言うところの「グッバイ」と「シ―ユー」ですね。さらに、「アディオス」の語源は「aduieu(アデュー)」で、その意味は「神のもとへ」です。これらを考慮すると、平沢さんが敢えてスペイン語の「アディオス」を使ったのもわかる気がします。さて、サビのところは最後にするとして、次の歌詞です。煌々と燃え上がる塔 ああ驕れる人士 逃亡荒んでもキミはまだキミ ああ人科の本義 堂々一番二番で現状を嘆いて、三番ではその打破といったところですかね。「人士」とは「地位や教養のある人」のことです。せっかく建てた塔はきらきらと光輝きながら燃え上がり、自らの地位に驕っていた指導者たちは逃げ出す。一度は彼らに染め上げられ荒んだキミだが、キミはまだキミである。今こそ人間の本当の意義を堂々と胸を張って誇示する時だ。塔とはおそらく指導者たちが民衆を従えて作り上げた「常識」や「普通」という共通意識のことでしょう。そのような、人にとってまったく意義とならないような塔が燃えることは良いことで、それゆえにきらびやかに燃えるのだと思います。行こう キミが住む 如実の街 家 家 家アディオス 置いて行こう悲劇の遺影行こう どこかでは 荒んでもキミはまだキミアディオス 濡れて行こう 清廉の雨最後です。今住んでいる街は指導者たちが見せている偽物の街だ(インタライブ「WORLD CELL 2015」で登場した「光学都市」)。虚実の悲劇など置いて本当の故郷に帰ろう。大丈夫、ここじゃないところならキミはキミだ。さあアディオスと言って、雨に打たれて今までの汚れを落して行こうじゃないか。なんといってもサビはやっぱりきれいですね。ブログを書いていてこの曲の良さに改めて気づかされました。次の曲の「アヴァター・アローン」が絶望の曲なのに対して、この曲では現実の恐ろしさと同時にそこからの脱却が歌われているために希望を持てますね。ちなみに余談ですが、私が高校生だったころ全国統一テストで「跋扈」の読み問題が出題されて、僕はその時すでに「アディオス」を知っていたおかげで余裕で回答することができました。平沢さんの曲を聴くことは語彙力をあげる勉強にもなりますね。長くなりましたがいかがだったでしょうか?私の初めての曲考察ブログです。もう少し詳しく説明してほしいところ、ここは違うんじゃないかと思うところなどございましたらコメントをお願いします。色々と至らぬ点があると思いますが、これからも曲考察の記事は投稿させていただくつもりですので、ぜひ今後ともよろしくお願いいたします。曲考察のリクエストなども受け付けます。理解できない曲もたくさんあるので全部が全部引き受けられるわけではありませんが、できるだけがんばりますので。ここまで読んでくださった方々、どうもありがとうございました。では、次の記事でお会いいたしましょう。