京都の出張も無事に終了して、
やっと静かな朝を迎えています。
子供も出かけたので瞑想していました。
瞑想は、やはりある程度の、時間
邪魔が入らない環境が必要ですね。
廃品回収が始まるみたいなので、周りが騒がしくなってきました。
また、夜にしたいと思います。
さて、慈悲について書いておりますが
以下、1、2のリンクです。
今回は第3回慈悲の「発動」ついてです。
慈悲の心は、言葉ではよく聞きます。
あの人は、慈悲深い、、
あの人は、無慈悲だ、、等等
でも、慈悲の心はどうやったら出でくるのでしょうか。
よく言われる場面です。
電車でお年寄りの方が席が無く、
激しい揺れに、今にも倒れてしまいそう。
そんな時に、勇気を持って席を譲って見ようと
声をかけてみたりします。
こんな時には、慈悲が発動しているようです。
仕事で、同僚が終わらない残業に
辟易している様子をみて、自分も予定があるのを差し置いて、「大変そうですね、お手伝いしましょうか?」と、声をかけてみる。
これも、慈悲が発動しているようです。
私の思いつく範囲では、困った人を見かけると
慈悲の心は、場合によって、自動的に発動しているようです。
人にもよりますが、困っている人がいても
自分も困っている、急いで帰らないといけない用事がある場合などは、慈悲の心よりも、状況に対して怒りの心が湧いて来てしまう場合もありそうです。
つまり、もともと情け深い人以外は
慈悲の心は発動されないとも言えそうです。
私はどちらかと言えば、情け深くなく
困った人たちがいると、却って、
「困ったな、どうやったら、冷たい人間だと思われずにこの場面から抜け出せるのか(^_^;)」
と考えていました。
最近のわたしは、こんな時にまず、
こうしています。
「お年寄りの方の悩み苦しみが無くなります様に」
「同僚の方の悩み苦しみが無くなります様に」
この様に、困っている方の、その困った状況が無くなれば良いなと、心の中で念じます。
そうすると、不思議な事に
慈悲の心が発動するのです。
長くなりそうですので
次に続きます。