兼六園に見る男女の違い

兼六園に見る男女の違い

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石川県人は転勤を嫌がる傾向があるといわれています。

 

そして、北海道出身の人も概して転勤を嫌う傾向があるといいます。

 

転出率は47都道府県で最下位であり、地元を離れる人が少ないのですビックリマーク

 

いまの北海道民の大半は明治の開拓時代以降に移り住んできた人の子孫であり、本州以南の各地から開拓民が移住してきてから、たかだか150年くらいしか経っていません。

 

自分の先祖が血と汗と涙を流して開拓した土地だけに、ことさら愛着が強いのではないでしょうかはてなマーク

 

それでも若いうちは北海道を離れて、高校を出てから東京あたりの大学へ行く人がいたりしますが、その多くがいつしか帰巣本能に支配されるようです。

 

大自然のなかで生まれ育ち、のびのびとした鷹揚さを身に着けた北海道人にとって、故郷とはあまりに環境の違う東京の喧騒や息苦しさは耐えられないものがあるでしょう。

 

愛知県人も地元を離れたがらない人が多いそうですビックリマーク

 

健全経営で安定した企業が県内に数多くあるので、地元での就職に困ることはありません。

 

高校を卒業して県外の企業に就職する人はほんの数パーセントにすぎず、ほとんどが地元の企業を選ぶのです。

 

東京などの大学に進んでも、就職となると名古屋に戻ってくる人がほとんどだといいます。

 

 

フランスに移り住んだ女性で、ノイローゼ症状を訴える人が多いといいます。

 

とくに20~30代に見られるそうです。

 

これは、専門家の間でパリ症候群といわれている適応障害の一種です。

 

日本で昔から花の都パリと言われ、ファッションなどの流行や芸術、料理など世界的な中心地として憧れを抱く人が多く、パリに移住して勉強したり働いたりする日本人も急増したのですが、実際に暮らし始めてみると現地の習慣や文化などに適応できないということになります。

 

日本で多少フランス語を習っていても実際に通じなかったり、狭い屋根裏暮らしになじめなかったり、男女関係のトラブルにあったりします。

 

だんだん外出するのが嫌になってきて、精神的なバランスを崩して鬱病に近いような症状を起こす人が続出しました。

 

日常生活のストレスで妄想や幻覚などの症状や自律神経失調症になることもあります。

 

憧れが強いのでカルチャーショックも強いのか、パリ症候群になる人の数は、ロンドンやローマ、ニューヨークなど他の都市よりも多いようです。

 

そして何か問題が起きて、生気を失った顔で帰国する人も多くいますが、帰国すると家族や友人に対して恥ずかしいと考えてしまい、なかなか帰国しようとしないケースも多いといいます歯4

日本の鉄道車両は通常、20年以上経た段階で大幅な改修がおこなわれ、さらに10年以上使われます。

 

ステンレス製の車両だと腐食に強いため、改修すれば50年以上は使用できるといいます。

 

近年は技術革新がどんどん進んでいて、旧型車両は維持費がかかるということもあり、比較的早く引退することが少なくないようです。

 

引退した後は残念ながら、ほとんどの車体は解体されてしまいますが、地方の私鉄や途上国の都市鉄道の車両不足解消のために売却されることもあります電車

 

たとえば、インドネシアの首都ジャカルタには「海浜幕張」行きと書かれた電車が走っています。

 

これは、ジャカルタから千葉県の海浜幕張へと走っているわけではありません。

 

ジャカルタの首都圏を走る鉄道では、かつて日本の首都圏を走っていたJRや東急、東京メトロ、都営地下鉄などの車両が使われているのです電車

 

行き先が「海浜幕張」となっているのは経費の問題が大きいからで、行き先を変更したり塗り替えたりするとコストがかかるため、日本で使われていたときの姿そのままで運行しているのです。

 

インドネシアのほかにも、アルゼンチン・ブエノスアイレスの地下鉄では名古屋市営地下鉄と東京メトロ丸の内線の車両が走っています電車

石川県小松市に「安宅」(あたか)という地名があります。

 

この地は歌舞伎の18番「勧進帳」の舞台である安宅の関で全国に知られています。

 

源義経が兄・源頼朝の怒り触れ、従者とともに奥州平泉の藤原氏のもとへ落ちのびようとする途中に安宅の関にさしかかりますが、関守・富樫某にとめられます。

 

そのとき弁慶が一計を案じ、いつわりの勧進帳を読んで難を逃れたという逸話です。

 

安宅の関のあった場所は安宅公園となっていて、弁慶と義経、富樫の銅像が建ち、観光客が訪れるスポットです乙女のトキメキ

 

安宅の地名は、むかしは「寇が浦」(あだがうら)と呼ばれていましたが、「寇」は他人の土地へ押し入って略奪や暴力を働くことの意味があります。

 

モンゴル人の襲来である元寇も「寇」の字が使われていますね。

 

寇が浦は住民たちの願いにより安宅の地名に変えられたそうで、安宅もかつて異国人による襲撃を受けたと想像できます。

 

「安」と「宅」の字はどちらも安らかにとどまる、身を寄せて落ち着くというような意味があります。

 

この地で、異国人の襲来による危険がなく心安らかに暮らすことを望んだ住民の願いが込められているのでしょう。

 

現在の安宅は、日本海有数の港町、漁港として栄えています船

お辞儀は、腰を曲げて上半身を前方に傾け、頭の位置を下げる動作です。

 

 

 

日本人は挨拶をするとき、知り合いとすれ違ったとき、分かれるとき、お礼を言うとき、謝罪するとき…数え上げると切りがないほど様々な場面でお辞儀をします。

 

それほど、お辞儀は日本人の生活に浸透しています。

 

欧米にもお辞儀に相当する儀礼はあり、相手の前で片膝を地面について頭を下げます。

 

王や貴族など、高貴な人の前で敬意を示す行為として使われています。

 

それに対し日本のお辞儀は、目上の人はもちろん対等の者、目下の者にさえ使われるのが特徴で、しかも1度だけでなく何度も繰り返すことが多いです。

 

この、何度もお辞儀を繰り返す仕草が外国の人には不思議に見えるといいます。

 

なぜ何度も繰り返すのか、というわけです。

 

 

幕末に来日して西洋医学を日本に伝えたシーボルトは、将軍徳川家斉に謁見する際、何度もお辞儀をさせられ閉口したそうです。

 

日本人が何度もお辞儀を繰り返す理由は、お辞儀を終えて頭を上げたときに相手がまだ頭を下げていたら、再び頭を下げるためです。

 

それが日本人の礼儀なのです。

 

それを繰り返していると、結果的に何度もお互いにペコペコとお辞儀をすることになってしまうのです。

日本への外国人観光客、特にヨーロッパの人々が、「日本だ」と感じる街中の光景は、意外にも道路沿いに立つ電柱の存在だといいます電柱

 

日本人にとってはあまりにも当たり前なので気づきませんが、ヨーロッパでは電線が地下に埋められているため、ほとんど見かけることがありません。

 

電柱を地下に埋めると、道路の幅が広まり景観がよくなります。

 

さらに、台風や突風、地震などによる断線や倒壊の危険もなくなります。

 

ところが、なぜか日本では進みませんあせる

 

最も大きな要因はコストですビックリマーク

 

ヨーロッパでは20世紀初頭の早い時期から無電柱化を推進してきましたが、日本が無電柱化を始めようとしたときには、すでに高層ビルや住宅が乱立していて、電柱を埋めようにも埋められませんでした。

 

しかも、電柱は電力だけでなく、電話やケーブルテレビ、インターネットなどにも利用されいるため、地下に埋める際にはすべての事業者に了解を得なければなりません。

 

この調整が非常に難しいのです。

 

国土交通省によると、1キロメートル当たりの埋設費用は、なんと約5億3000万円だそうですショック!

 

国は無電柱化を進めていくといいますが、電柱は減るどころか年々増えているといいます。

 

https://jiko-ask.com/search/pid:17

 

銅像、といえば…東京は上野の西郷隆盛像は、よく知られていますね。

 

この銅像は明治31年、1898年に作られたものです。

 

戦前には、わが国には銅像が940基あまりあったのだそうです。

 

ちなみに、この数に仏像は含まれていませんよ。

 

しかし戦時中、銅鉄の回収によって、そのほとんどがなくなってしまったといいます。

 

940基あまりあった銅像の中で最も古いものは、石川県金沢市の兼六園にある日本武尊(やまとたけるのみこと)の銅像なんだそうですキラキラ

 

この銅像は、西郷隆盛像と同じく今も残っています。

 

西南の役で亡くなった石川県出身の戦没者の慰霊を目的として建てられたものなんだそうです。

 

明治13年、1880年に完成しました。

 

そしてこれが、わが国の銅像の第一号なのですきらきら

 

日本武尊は伝説上の人物ですが、銅像に選ばれたのは日本武尊が戦いに強い人物だったからだといわれています。

 

西郷隆盛像は三番目に古い銅像になります。

 

日本武尊像に次ぐ二番目に古い銅像はなにかといいますと、東京・九段の靖国神社にある大村益次郎の銅像だそうです。

 

この銅像は明治26年、1893年に建てられています。

 

銅像が銅で造られるのは、銅が耐食性があり、安全性が高いからなんだそうです。

 

日本で最初に製品化された生理用品のアンネが発売されたのは、昭和36年のことでした。

 

当時から不便でならなかったということもあり、女性たちの間であっという間に広がり、歴史的ともいえるベストセラー商品となりましたビックリマーク

 

それほど有名になったこともあり、生理用ナプキンの始まりはアンネだと思われているようです。

 

が、生理用ナプキンの歴史はとても古く、奈良時代以前にナプキン式のものも、さらにはタンポン式のものまで使われていたというので驚きですおーっ!

 

当時のものは、草や木の繊維や海綿などの吸水性の良い素材が用いられていたようですね。

 

その後は、時代とともに綿や紙が使われるようになっていき、明治、大正時代になると脱脂綿になり、そしてアンネが登場したというわけです。

 

ところで、草や木の繊維や海綿は、精液も吸い取るということで、避妊具としても奈良時代以前から重宝されていたんだそうです。

 

中でも海綿は、世界的にも使われていたそうで、古代ヘブライにも使われたという記録があり、18~19世紀のフランスでも広く使われていたと考えられているようです。

 

ちなみに、アンネという名前の由来はアンネ・フランクの「アンネの日記」です音譜

 

古いアニメのタイトルを目にする機会がふえています!

 

アニメに限らず、むかしのお菓子やおもちゃなど、さまざまなリバイバル商品が売り出されています。

 

ファッションも、むかし流行ったスタイルが、ふたたび注目を集めるという現象が繰り返されています。

 

そのひとつが、ここのところ人気が続いているヒョウやヘビなどのアニマル柄です豹柄

 

それに加えて、リアルファー(本物の毛皮)も流行しています。

 

そのアニマル柄は、過去2回、1965(昭和40)年頃と、1994(平成6)年頃に流行しました。

 

そして不思議なことに、このふたつの時代はいずれも不況の只中だったという共通点があるのです。

 

1960年代半ばは、企業の倒産が相次いだ「昭和40年不況」、1990年代中頃はバブル景気後の大不況です。

 

そして現在は、世界的な金融不安が日本経済にも暗い影を落としています。

 

不況になると、アニマル柄が流行るという法則は、たんなる偶然ともいえますが、深読みすれば、不況の時代に癒しを求める深層心理が働いているとも考えられます。

 

じっさい、疲れたときは、動物のしぐさに癒やされたり、ペットの手触りに慰められるものですねこ

 

先行きの見えない不安から、無意識のうちにアニマル柄を手に取る人が増えているのかもしれません。

 

俳句は、「5・7・5」の17文字でつくる世界一短い定型詩であり、季語が入ることが特徴のひとつですビックリ

 

季語は平安時代に成立したといわれますが、現在の俳諧では、季語に対する見方はさまざまで、季節を表す言葉をかならず入れなければならないという人もいれば、句全体に季節感が出ていれば、それでよいという人もいます。

 

また、季語は、「歳時記」に掲載されているものを使わなければならないという人もいれば、季節を感じる言葉なら掲載されていなくてもいいという人もいます。

 

その季語に「サザン」や「ユーミン」、「山下達郎」などを積極的に使っている人たちがいます。

 

それは、黛まどかさんという俳人が主宰し、女性ばかりがメンバーの「東京ヘップバーン」という句会です。

 

局のイメージから、「サザンは夏」、「ユーミンは冬」、「山下達郎は夏と冬、両方」の季語としています嬉しい

 

同会では、昔からの季語を大切にしながら、時代の変化に合わせて新しい季語を生み出していきたいようですが、「サザン=夏の季語」などという新ルールに俳句界全体が納得しているわけではなく、俳句世界にはサザンやユーミンを季語とすることに批判的な人たちもいるようです涙