午前中は今回京都に来た目的の用足しを済ませるため、
12時過ぎまでの時間が使われてしまいました。
その後、「人食い地蔵」と呼ばれている地蔵がある積善院準提堂へ。


↑寺の敷地内で大規模な改修工事をしていて、近くでの撮影が出来なかった。
崇徳上皇の呪いを鎮めるために安置されたとのことです。
元はもう少し西寄りの場所にあったらしい。
その後、近くのバス停からバスに乗り、「東山安井」のバス停で降りる。
そこから徒歩で安井金比羅宮、崇徳天皇御廟などに参拝する。
徒歩の移動は続き、六道珍皇寺、そして昨年買うことが出来なかった
幽霊子育飴をついに手に入れる!!そして六波羅蜜寺へ。
その後も徒歩の移動となり、
鬼女伝説が残る縁切神社「鉄輪ノ井」で参拝

↑「鉄輪の井戸」がある神社の入口はこんな感じ。民家の入口のようだ。

中に入って細い道を進むと鳥居とお社と井戸がある。

また少し徒歩で移動し繁昌社で参拝。


五条道祖神も参拝。

結局、安井金比羅宮から3時間近くかかって
京都駅前まで歩いてしまった。
駅前で喫茶店に入って少し休憩し、
近鉄電車で東寺駅まで行く。
そこからまた徒歩になり、西へと歩く。
東寺は以前何度か拝観しているから今日は立ち寄らず
更に西へあるく。
すると羅城門跡がある。


羅城門とは794年の平安京遷都の時に建てられた正門のことです。
今では跡地に碑が建っているだけですが・・・
更に西へ行くと近所の子供たちが遊んでいた大きな公園があります。
そこは東寺が創建された当時にあったとされる西寺の跡があります。


西寺は創建当時は東寺と同様、大規模な敷地の寺院で、重要な役割を担ったいたという。
衰退原因は定かではないが、火災が繰り返し起こり
周辺から住民がいなくなり、朝廷の支援も受けられなくなったからだと言われる。
西寺跡を見物した後は日も傾いてきたので
バスで宿泊場所近くまで戻り、今日の観光を終えました。
12時過ぎまでの時間が使われてしまいました。
その後、「人食い地蔵」と呼ばれている地蔵がある積善院準提堂へ。


↑寺の敷地内で大規模な改修工事をしていて、近くでの撮影が出来なかった。
崇徳上皇の呪いを鎮めるために安置されたとのことです。
元はもう少し西寄りの場所にあったらしい。
その後、近くのバス停からバスに乗り、「東山安井」のバス停で降りる。
そこから徒歩で安井金比羅宮、崇徳天皇御廟などに参拝する。
徒歩の移動は続き、六道珍皇寺、そして昨年買うことが出来なかった
幽霊子育飴をついに手に入れる!!そして六波羅蜜寺へ。
その後も徒歩の移動となり、
鬼女伝説が残る縁切神社「鉄輪ノ井」で参拝

↑「鉄輪の井戸」がある神社の入口はこんな感じ。民家の入口のようだ。

中に入って細い道を進むと鳥居とお社と井戸がある。

また少し徒歩で移動し繁昌社で参拝。


五条道祖神も参拝。

結局、安井金比羅宮から3時間近くかかって
京都駅前まで歩いてしまった。
駅前で喫茶店に入って少し休憩し、
近鉄電車で東寺駅まで行く。
そこからまた徒歩になり、西へと歩く。
東寺は以前何度か拝観しているから今日は立ち寄らず
更に西へあるく。
すると羅城門跡がある。


羅城門とは794年の平安京遷都の時に建てられた正門のことです。
今では跡地に碑が建っているだけですが・・・
更に西へ行くと近所の子供たちが遊んでいた大きな公園があります。
そこは東寺が創建された当時にあったとされる西寺の跡があります。


西寺は創建当時は東寺と同様、大規模な敷地の寺院で、重要な役割を担ったいたという。
衰退原因は定かではないが、火災が繰り返し起こり
周辺から住民がいなくなり、朝廷の支援も受けられなくなったからだと言われる。
西寺跡を見物した後は日も傾いてきたので
バスで宿泊場所近くまで戻り、今日の観光を終えました。