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血のつながった親とは思えなかった幼少期の母の言動。
私は物心ついた頃から、
「この人は絶対本当のお母さんじゃない」
と思っていました。
のっぴきならない事情があって、本当のお母さんはこのおばさんに私を預けているだけに違いない、と。

そう思ってからは、母の言動も納得。
赤の他人の子どもを引き取って育てているんだから、それだけでも感謝しなければ、と思うようになりました。

中学に上がった頃、やはり実の母であるとわかり 愕然としました。
それ以来 母とはあまり口をきかくなくなりました。

そんな冷え切った関係でしたが、母の日などは 友達に「母の日のプレゼント買いに行くから一緒に行かない?」などと誘われてお供したので せっかくなので私も買う、という感じになりました。

うちはお金がなかったので、たいした物は買えません。
ハンカチ1枚とか、花一輪とか。

でも、母はまったく喜ばないんですけどね。
お年玉をチビチビ使った残りとかだから、予算は数百円 笑

でも バスに乗って近くのデパートまで買いに行って、残り少ないお小遣いを母のために使う…。
普通の親ならナミダちょちょぎれると思うんですけども滝汗

非情な人なんですよ真顔

でも 今思えば、母の日とか誕生日、とかプレゼントしている自分に酔っていたのかなと思うのです。

社会人になり、周りの同僚はそういうイベントを当たり前のようにしている。
なんとなく自分も周りに対して普通に育った人間ですと思われたかったのかもしれません悲しい

母が還暦になった時は、確か新宿の伊勢丹のワコール?で、高級肌着を買いました。

店員さんに色々相談しながら買う、という買い物そのものが楽しかったのかもしれません。

誕生日には数万円するバッグも買いました。
(←ほとんど使われませんでした)

ブランドの日傘なども買いました。(←こちらもほとんど使われず(TT))

これならきっと 喜んで使ってくれるだろうと思いながらも本当は 普通の親子だと思いたかっただけなのでしょう。

そして、実家に戻った時、私があげたプレゼントの数々が無造作に押入れに放り込まれていたのを発見した時の怒りと悲しみ悲しい

どうして使わないのか、と聞くと「使いにくい」とか「忘れとった」とか。「あれは もう捨てた」というのもありました。

存在そのものを忘れている時もありました。
まだ60才頃の話です真顔

そんな事が重なり もうプレゼントするのは辞めようと思いました。
私があげたもので私が使えそうなモノは私が回収しました。

まったくプレゼントをしなくなると 今度は「◯◯が欲しい」などと要求してくるのですが、それはたいていがなのです笑

それこそ自分で足に合うものを買った方がいい代表的なモノじゃないですか笑

結婚してからは夫の手前 お中元とお歳暮をし始めましたが、同様に何をあげても文句しか言いませんでした。

食べ物をあげると「糖尿病なのに💢」と怒る。
辛子明太子をあげると「兄ちゃん(長男)がほとんど食べるからお母さん(←母の事)の口には入らん!💢」(兄に見せなきゃいいだけ)

コーヒーをあげると「砂糖入れんと飲めないから糖尿病が悪化する💢」

もうね、何をしても気に食わないみたいです。

そしてついには洗剤、シャンプー、など消耗品をあげるも
「こんなんいっぱいいらん、よう使わんわ」と言って、近所の人や兄に配る始末。

こんな事ずっとやられて怒らない人はいないのではないでしょうかムキー

で、もう中元お歳暮もやめました。

本当はとっくに辞めたかったのだけど、結婚してからは夫の手前していただけかも。
母との親子関係が最悪な事を知られまいとしててへぺろ

大型スーパーやデパートなどに行った時にちょっと良さ目のものがあった時についでに買って渡す感じです。

なので年に一度の時もあれば、二度の時もありました。

ショッピングカートだったり、帽子だったり…。

バーゲンやとてもお買い得なものばかりなので、たとえ使われなかったとしてもあまり怒りも湧きません(安価なモノなので)

ほんとにどうして母という人は人の気持ちがわからない人なのでしょうか。

ま、考えても仕方ないですが。

私は先天的な脳疾患を抱えているのでは?!と思っています。

今入所している施設の方もだんだんわかってきてくれて、私の言うことが真実だと信じてくれたようです。
普段の母をみていればわかりますよね。

母の異常な性格を理解してくれる人がいて ようやく最近救われたと思います。




ではまたパー

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