僕は、めがねを一応持っているが、ほとんどかけない。
でも、ここ一週間ぐらい講義の時にかけている。
今日は、そのメガネを見て、いろいろ考えた。
そのメガネは、僕が高2、17歳の時、父親と近鉄デパートに一緒に行って買ってもらったものだ。
もう30年使っていることになる。
レンズの度も何も変えず、30年同じめがねを使っている人も珍しいと思う。
それに今でもかけたらよく見える。ばっちり合う。
僕の理論では、メガネをかけて、その度に慣れたら、またその分筋肉が弱くなり、そのメガネでもあまり見えなくなる。
そして、だんだんとレンズの度数を上げていかないといけなくなる。
だから、必要な時以外、メガネをかけない。
実際、僕は裸眼でも、両目で0.7あるので、自動車の運転もメガネなしでいける。
しかも、僕の場合は、パソコンなどしていると視力が落ちるが、検査前に準備すれば、もっといい視力もたたき出すことができる。
準備というのは、遠くを見たり、目の運動をしたりすると、かなり目がよくなる。まあ、いわゆる仮性近視だ。
だから、メガネはほとんど必要ない。
でも、準備もなしで、黒板のすごく小さな字(今は、ほとんど講義は、パワーポイントなので、実際はパワーポイントのすごく小さい字)を読むにはメガネが合った方がいい。
話を元に戻す。このメガネを買ったのが僕が17歳の時、
そして、10年後の27歳の誕生日は、タイのバンコクで迎えた。
17歳の時が、高2。その10年後には、大学を卒業して、獣医として2年ほど病院で働き、世界旅行に旅立って、2ヶ月目ぐらいの時である。
10年ごとに自分が何をしていたか。思い出すのが、僕の趣味なのだ。
それから、10年後の37歳の時は、アフリカの最貧国で獣医として働いていた。その半年ぐらい前にアフリカにたつ前に17歳の時にメガネを買ってくれた父親が亡くなった。
17歳から37歳までの20年間、長かったと言えば長かったが、短かったような気もする。
それて、あれからさらに10年、 僕はここ欧州で学位目指して勉強している。前途は多難だが、まだあきらめていない。
さあ、10年後、僕はどこで何をしているだろうか?
めがねから、いろいろ思いをはせてしまった。