十年 人生の正念場 | ヨーロッパの片隅で

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実家に帰って来て、早くも半月が過ぎた。


二週間が限度だろうと思ったが、なかなか動けない。


欧州留学時代前半八重山旅行時代には、いろいろとやることがあって、あまり考えなかったことも考えてしまう。


10年というものはいろいろと変わる。


私は10年前は32歳だった。今は42歳である。私の生活に根本的な質的変化はない


いや、もちろん、この10年でいろいろと経験はしたが、私の生活が大幅に変わるということはなかった。


しかし、次の10年を経ると、次は52歳だ。


52歳で今と質的に同じ生活というのは、それは人生がおかしい


さすがに52歳なら、結婚もして、子供もいて、定職についているのが、普通の人生だろう。


今までの人生自体も、ちょっと一般的な日本人とは違っているとは思うが、それでもまだ正常範囲である。


しかし、次の10年で上記のことが行われてなかったなら、それは確実に人生がおかしい。さて、どうなるのだろうか?


それから32歳のちょっと前に姉の娘、私のが生まれた。しかし、彼女を家族として意識しだしたのは、僕がアフリカから帰ってきたとき、彼女が小学校1年の時だ。


”最初は家族じゃない人がいる”という感覚だったが、今は”家族”として認識している。


姉は35歳45歳になった。詳しいことは知らないが、姪がまだ小さいときに離婚したようだ。


これも姉にとって、大きい出来事だろうなあ。


そして、姉は次の10年で55歳になる。まあ、それほど変わっていないとは思うが、もう完全に若さで勝負できない歳になるなあ


それからは次の10年で20歳になる。これは大きな変化だなあ。


36歳の時に父が亡くなった。これは僕の人生でかなりなインパクトのある出来事だったのだけど、なぜか今ではもう悲しさとかはほとんどなくすっきりしている。


60歳から70歳になった。質的にはそれほど変わらない歳だけど、父が亡くなったことと、姪を半分育てたことは大きな生活の変化だろう。


そして、次の10年で80歳になる。これは質的に変わりそうである。80歳では普通の主婦のようには働けないだろう。


母親の性格はあまりすぎではないが、実家というのは母がいるから存在しているようなもので、母がいなくなったら、家族がなくなる。実家がなくなる。想像がつかない。


いや、どう考えても、僕にとって、次の10年は人生の正念場になるなあ。