「いい選手がいい監督になるとは限らない」とよく言われますが、それをもじって僕は「いい先生が優秀な学生になるとは限らない」という言葉を作らせていただきました。
今で約2年こっちで勉強しておりますが、こっちでトップになるのは容易ではありません。
その言い訳を以下書いてみます。
最初は「たぶん2学期目からは全科目トップだろう。」と容易に考えてました。(10年前に中国に留学した時は3回目の試験から全部トップでした)
でも、こっちではトップになるのは容易ではないと感じています。
確かに、こっちの制度と語学に慣れてきたので、全体での相対的順位は上がってきている(最初は下20%ぐらい、現在は上30%ぐらい)とは思うのですが、トップになるのには、まだまだかかりそうだし、なれないかもしれません。
今でもたまにトップを取りますが、最下位の時もあります。
これは、こっちの評価制度に大きく関係していると思います。
日本ではペーパー試験でいい点を取れば、いい成績を取れますが、こちらでは、口答試験が大きな比重を占めます。すなわち、先生によってかなり主観的に評価されます。
だから、最初の言葉に戻りますが、おそらく日本のその分野の第一人者がこちらで試験を受けても、たぶんトップを取るのは難しいと思います。
そうに違いありません。いや、そう思わないとやってられません。
例えば、日本の免疫学の権威がこっちで勉強して、免疫学の科目を履修したとして、その学者が絶対トップの成績になるかといえば、それは分からないと思います。
先生が主観的に評価しますから(先生によってはかなり客観的に評価する方もいらっしゃいます)
僕もたまに「この先生より、俺の方が詳しいよう。俺があっち(教えるほう)にいても、おかしくないなあ。」と思ってしまうこともあるのですが、そういう科目に限っていい評価はもらえません。
そういう思いが態度に出て、先生に嫌われているのだと思います。
こっちでいい評価を取る学生は、盤外戦〔試験以外での工作)が得意です。普段から、なんとか「自分はできる学生である」ということをアピールして、いい評価を与えざるを得ないような雰囲気を作ってしまいます。
ある意味すごいです。
よく「場の雰囲気が読めないやつ」という表現が使われますが、一般的にはこの「場の雰囲気が読めない奴」はだめだという風潮があるように思いますが、僕はこの「場の雰囲気が読めない奴」が結構好きです。
普通、30人いて、他の29人が「イエス」と言ったら、自分自身「ノー」だと思っていても、「イエス」って言ってしまいます。それが人間の心理だと思います。
この場の雰囲気に乗せられるという心理を悪用して、犯罪などに使われることも多いと思います。
でも、「場の雰囲気が読めない奴」は、他の29人が「イエス」と言っても、自分が「ノー」だと思ったら、「ノー」と言えます。さすがです。
話を元に戻しますが、いい評価を取る学生はこの場の雰囲気を作る(自分はいい評価をもらって当然だという風に)のが得意です。
しっかりしている先生は、そんな雰囲気に飲まれないで平等な評価をしてくれるのですが、いい加減な先生はまるっきり飲まれてしまっています。
確かに、社会に出れば、この「場の雰囲気を作ってしまう」というのは非常に有効な手腕だと思うのですが、学問の場では勘弁してもらいたいです。
いろいろ書きましたが、これらは、僕が未だトップになれない言い訳に過ぎません。
僕は、そんなにトップになりたいわけではないのですが、盤外戦とかカンニングとかで不当にいい成績を取るやつを引き摺り下ろしたくなるんです。僕って、たぶん”S”だと思います。
こういう状況でも、トップになります。ご心配なく。まだ41歳です。まだ頭の方は大丈夫です。
将棋の谷川名人も44歳でまだトップでがんばっています。羽生も35歳ですが、「20代の時に比べると、読むスピードは落ちたけど、それを経験がカバーしているから、弱くはなっていない」と言っています。
頭脳ゲームは他のスポーツと違い50歳ぐらいまで第一線でがんばれるようです。
それから、こっちで新しく留学を始めた日本人のブログを読んでいたら、こっちの言葉の語学の授業が教え方がだめだと書いてました。以前僕が書いたのと同じです。やっぱり同じ日本人です。同じことを感じていました。