すべての試験が終わって、日本のワールドカップも終わって、解放感はあるが、脱力感もある。
学期中は常に試験のプレッシャーを感じていたが、それがなくなり、ワールドカップでは、ワクワクとハラハラ感を味わっていたが、それもなくなり、なんか寂しい。
ジーコもブラジルに帰ってしまって、なんだか師を失った弟子のような不安な感じがする。ジーコは戦術家ではなかったが、世界のトップレベルの技術とプロフェショナリズムを日本に教えたという点では、日本サッカーに多大な貢献をしたと思う。
今度はオシム監督という典型的なヨーロッパ的な人みたい。(写真でそう思っただけ)
ジーコは性格がよすぎて、試合で戦術を駆使できなかった(ジーコは個人技術が優れているので現役時代、戦術はあまり必要なかった。戦術家は相手のいやなところをついていかないといけないので、性格の悪い人が向いている)
その点、今度のオシム監督は、戦術家っぽい。ちょっといやらしそう。いいかも。
それにしても日本って、昔から海外の優れている点を吸収するのが早いし、それに対して熱心だ。
今のサッカー界の状況は、明治維新の時に似ている。
明治維新では、海外(アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、ロシアなど)から多くの先生を雇って日本の発展を促進した。
今のサッカーの状況はそれに似ている。明治維新では、それらの海外からの教師の給料は当時の日本の総理大臣より高かったそうだ。
今では、スポーツのトップレベルの選手の給料が総理大臣より高いのは、当たり前なので、海外からのサッカーの教師の給料が首相より高いのに何の違和感もないが。
日本は海外からの教師に払う資金のために佐渡などの金山の金を使い尽くしたらしい。それまでは日本は黄金の国と呼ばれていた。
しかし、金を使い尽くした代償としての技術の発展は、それにあまりあるものだっただろう。
これって、簡単なようで他の国はなかなか真似できないと思う。
技術を学ぶために資金を使い尽くす。日本はお金より技術なんですよね。でも、結果的に技術を発展させたおかげで、お金も手に入れた。
それから、外国の留学生によく言われるけど、日本は明治維新の時、海外に留学生をたくさん派遣したけど、みんな帰国して日本の発展に貢献している。
私たちは、それは当然と思うけど、そのことをアラブの留学生とかは感心している。彼らは海外で留学して、技術とかを身につけて、海外でよりよい待遇の就職先があれば当然そっちに就職してしまうが、明治維新の時の日本人はそうではなかったって感心している。
私たちには当たり前のように思うが、それが、実はすごいことなんだと思った。