ブログご訪問ありがとうございます。


今回は、3年前の宮崎県を中心とした牛豚の口蹄疫事件について述べます。


先日”ひとりごと、ぶつぶつ ”さんのブログに『そっぺさんの日記』 が転載されていましたので改めて転載させて頂きます。


<転載開始>

ぼくは牛です。

普段はしゃべることはできないんだけど、今日は特別に人間語を話せる魔法をかけてもらったんだ。

今ね、日本の宮崎県っていうところで、口蹄疫という病気が流行ってるよね。

ぼくら牛とか友達の豚とかヤギとかキリンとかシカとか…。

足の爪が偶数に割れてる動物の間で感染する病気なんだ。自然界に生きる僕らの仲間が感染してもさ大病にはならないんだけど、家畜として飼育されてるとさ、なんせ人口密度?家畜数密度?が濃いからさあ、すぐにドバーっと感染しちゃって、症状は口とか足とかが水ぶくれになって食欲が落ちるから体重が減るんだよね

そしたら人間にとっては肉質が悪くなるとかで価値が下がるみたいで、そうなると育てる意味がなくなるみたい。

そして感染速度の速い病気だからもう、殺すしかないんだって。

一緒に住んでる仲間の1人でも感染してたら全員殺されるんだって。

もしも人間界でさあ、クラスに1人でもインフルエンザに感染したら、その学校の生徒全員殺します。

社内で1人でもインフルエンザに感染したらその会社の社員全員殺します。町内で1人でも感染者が出たら

その町の住人全員殺します、って決まりができたらどうだい?


ぼくらはそんな決まりの中で生きて、殺されていくんだ。

もっとも、その理由で殺されなくったって、ゆくゆくはもっと恐ろしい目に遭うんだけどさ。

ぼくらを育ててくれてる農家さんは泣くんだよ。ごめんな。ちゃんと育て切らないうちに殺してしまうことになって。ごめんな、怖い思いをさせて、ごめんな。元気なおまえまで巻き添え食わせて、ごめんなって、涙を流して泣くんだよ。

その光景はきっと日本中の多くの人にぼくらのことをかわいそうだと思ってもらえたと思う。

ぼくらはさ、どの段階が人間の言うちゃんと育ち切った状態なのか知らないけどさ、やっと一人前になったかなって思った頃に突然トラックがやってきて育ててくれた人に手を振って見送られて知らないとこだけど恐ろしくて怖いってことは感じ取れる場所へ連れて行かれて怖くて足がすくんでると電気棒でお尻を叩かれて前へ進まされて額に電気ショックを当てられて気絶して目が覚めたら足の1本をヒモで縛られて逆さ吊りになってて、なんだよやめてくれよってもがいてもとれなくて、のどをズバッと切り裂かれて血がどくどくと流れ出して、ぐるじい、、だずげで…と訴えてるのに、足とか腕をどんどん切り落とされて体がバラバラになっていって意識はいつまでも残っていて…。

こんな一大事なのに誰も助けてくれないし育ててくれた人はもう知らん顔だし日本中の誰もが知らん顔。

みなさんにお初にお目にかかるのはスーパーのパックの中、ちなみにどんなにバラバラにされても意識はちゃんと残ってるんだよ。

だれがどんな風にぼくらを飲み込んだのか見届けてるんだ。胃袋の中に入って消化されたって意識は残っているんだよ。

まあそれは今はいいけれどともかくそんな切ない最期よりも育ててくれた人が涙する目の前で血を出さずに殺されて運がよければ焼いてもらえ、その手間がかけられない場合でもちゃんと埋葬してもらえる。手も足もくっついたまま埋葬されて手を合わせてもらえるんだ。

日本中の人からもかわいそうね、って思ってもらえる。

この病気で死ぬ方がぼくらにとっては穏やかな気持ちで成仏できるんだ。

今回のできごとはさ、世界中にいるぼくらの仲間で話し合って決めたことなんだよ。この方法しかなかったんだ

ぼくらの気持ちを伝える方法はこれしかもう思いつかなかったんだ。どんなにたくさんの人間たちに迷惑がかかろうとも、もうぼくらにはこれしかなかったんだ。

ただ、わかってもらいたい一心だったんだ。日頃、ぼくらがどんなに悲しい思いをしているのかってことを…

だからおねがい。被害額がいくらだとか、損失がどうだとか、保障がどうだとか、畜産業がどうなるとか、他の業界への影響がどうだとか、責任は誰にあるのかとかその心配をしながらでもいいです

どうか問題の本質に目を向けてください。いくら保障をしても畜産農家を支援しても地域を支援しても募金をしても問題の本質から目を逸らさないでください。

人間という生物は本当に栄養学的に、ぼくらを日常的に食べないと生きていけないのか。ぼくらに対するこのような残虐行為が人間どうしの争いに影響を及ぼしていることはないのか。ぼくらを食べるために飼育することは、地球の環境にとって最善なのか。地球上では全ての人に行き渡る充分な量の穀物があるのに、ぼくたちを養うためにそれが行き渡っていない、ということはないのか。

ぼくらをこんな風に扱うことによって人間としての魂の成長は得られるのか…。

援助や募金をするのなら畜産農家さんたちが別の職業につけるようにどうか支援してください。屠殺業者さんが別の職業につけるように支援してください。精肉業者さんが別の職業につけるように支援してください。ぼくらが家畜制度から解放されるように環境を整えてください。ぼくらを食物として扱わない新しい文明をつくる努力をしてください。

ぼくにしゃべれる魔法をかけてくれてありがとう。ぼくらの気持ちをブログや日記、ツイッターなどで伝えてくれている多くのみなさんありがとうございます。

追伸:

ひとつ言い忘れてたことがあったんだけど、というか、本当は言ってたんだけど取り消してたことがあるんだ。

でも大切なことだからやっぱり言うことにしたよ。

それはね、ぼくらは人間が大好きだってこと。ぼくらはね、人間が大好きなんだよ。人間のために働くことが大好き。重い物だって力持ちだから平気だし退屈な作業だって飽きずにできる。一生懸命働いて人間の役に立って喜んでもらってかわいがってもらえるとすっごく嬉しいしもっと役に立ちたいと思うんだ。

ぼくらが人間にできない仕事をやって、人間たちがぼくらのお世話をしてくれるなら、ぼくらは死んだあと人間たちに食べてもらうことも喜びのうちなんだよ。ぼくらをかわいがってくれる大好きな飼い主さんが、食べ物がなくてお腹を空かしているならば、ぼくは喜んでこの身を捧げるよ。

ぼくらと人間はそういう関係だったんだと思うんだ。大好きな人のためなら死ねる。

人間のみなさんもぼくらもその気持ちは同じだよ

<転載終了>


改めて、あの時、犠牲になった多くの牛や豚のご冥福を改めてお祈り申し上げます。


最近、私は殆ど食肉を食べなくなりましたが、それでも外食すれば食べます。頂く時には
日頃から感謝の気持ちを持って食したいと思います。


最後までお読み頂きありがとうございました。