洋楽と洋画と洋菓子が大好きな関西人の爺が、愚痴、ボケ、ツッコミ交えて独り言綴ります。フォロワー目標2万人まであと19980人??
私は若いころからソウルやR&B系の女性歌手の歌をいろいろ聴いてきたが、2000年ころから登場してきたアリシア・キーズは衝撃的だった。アリシアの父親はジャマイカ人、母親はイタリア人。2歳の時両親が離婚。母親と暮らしながら7歳からピアノを習い始め、クラシックからジャズまで幅広く音楽を学び、コロンビア大学に進むが芸能活動の関係で、1か月で退学。(冷やかしか?!)以降アルバムが立て続けに大ヒット。 2001年「Songs in A Minor」、2003年「The Diary of Alicia Keys」、2007年「 As I Am」、2009年「The Element of Freedom」、2012年「Girl On Fire」、2016年「Here」、そしてコロナ禍の中2020年「ALICIA」と着実にアルバムを発表し続け、ヒットし続ける。グラミー賞15冠、ディスク売上6500万枚、楽曲再生65億回に輝く実力派女性シンガーソングライター、アリシア・キーズ。私は「If Ain't Got You」が大好きだが、2009年にはジェイ・Zとの共演し大ヒットした「Empire State of Mind」はスケールの大きな作品で私も大好きな歌だが、どうしてもビリージョエルの「ニューヨークの想いNew York State Of Mind」とカブる。どちらもピアノの弾き語りで「ニューヨーク愛いっぱい」の歌だ。(多分そう思う)ちょっと横道にそれるが、ニューヨークをタイトルや題材にした歌は多い。フランクシナトラやライザミネリ「Theme From New York New York」ビリージョエル「ニューヨークの想いNew York State of Mind」アート・ガーファンクル「A Heart In New York」スティング「Englishman In New York」クリストファークロス「ニューヨーク・シティ・セレナーデArthur's theme」2009年発表のアルバム「The Element of Freedom」の中の「Empire State of Mind (Part II) Broken Down」はジェイ・Zと共に大ヒットした「Empire State of Mind」のいわゆるアンサーソングである。アリシアが大ブレイクするきっかけは大物プロデューサークライブ・デイヴィスに見いだされたのが大きい。クライブはジャニスジョプリン、ホイットニーヒューストン、カルロスサンタナ、ブルーススプリングスティンを見出したレジェンドだ。クライブはアリシアを見て「アレサフランクリン、ディオンヌワーウィック、ホイットニーヒューストン」は素晴らしいが、アリシアはその上ピアノを弾き作曲ができる能力を高く評価した。以下の、ニューヨークライブでジョンメイヤーが出演したのには驚いた。すごい才能の激突だ。「 If I ain't got you」超贅沢な最高の路上?ライブだ。ところでアリシア・キーズの「キーズ」は本名ではない。当時マネージャー的存在だったマイケル・モウルディンが書類の入ったブリーフケースの鍵を失う夢を見て「キーズ」にしてはどうかと提案し、ピアノの「キイ」にも通じるので「アリシア・キーズ」になったそうだ。天は二物を与えずというが、アリシアは歌手として、ピアニストとして、クラシック音楽の素養もあり、ソングライターとして、そして美貌・・・三物、四物も与えられたスーパースターだ。ひょっとしたらアレサフランクリンを超えてしまうかも??(個人の感想です)本日のネタ元・・・「もっと、わたしらしく(アリシア・キーズ自伝)」文響社1750円より引用。
好きな男女デュエットソングは?と聞かれたら、古くはポールとポーラの「ヘイポーラ」に始まり、フランクシナトラとナンシーシナトラ「恋のひとこと」、ジョーコッカー&ジェニファージョーンズ「愛と青春の旅立ち」、パティオースティン & ジェームスイングラム「あまねく愛で」、ピーチズ&ハーブ「恋の仲直り」バーブラストレイサンド とニールダイアモンド「愛のたそがれ」、ピーボブライソン&ロバータフラック「愛のセレブレーション」など「愛」だの「恋」だの邦題についた歌が好きだ。さらにリンダ・ロンシュタットとアーロン・ネヴィル「ドンノウマッチ」、セリーヌディオンとアンドレアボチェリ「ザプレイヤー」もスケールの大きな名曲だ。最も粋で洗練された曲と言えば、私はマイケルマクドナルドとパティラベルの「オンマイオウン」だと思う。パティラベルは、1960年代初頭、ブルーベルズとか言うグループと歌っていた。女性ソウルシンガーといえばアレサフランクリンやグラディスナイト、ティナターナー、ロバータフラックなどが有名で、パティラベルは日本では少々影が薄かった。私がパティラベルの存在をはじめて知ったこのデュエットソングは、キャロルベイヤーセーガーとバートバカラックの作品だ。一方の「ドンノウマッチ」はシンシアウェイルとバリーマンの作品だ。どちらの作品もご夫婦のコンビが作ったデュエットものだ。「ドンノウマッチ」と「オンマイオウン」は、曲を作った人、歌っている人、共に最高のコンビだ。どちらも私の大好きなデュエット曲だ。カレーに例えると、前者は甘口~中辛、後者は辛口~激辛か?カタカナでタイトルを書くとちょっとマヌケな感じになるが「Don’t Know Much」と「On My Own」なのである。最近のデュエットソングはあまり知らないが、印象に残ったものを紹介。レディガガとブラッドリークーパーの「シャロウ」カルムスコットとレオナルイスの「You Are The Reason」A Great Big World & Christina Aguilera – 「Say Something」これはなかなか味わい深い作品だがア・グレイト・ビッグ・ワールドは2人組ユニットなのでデュエットと言うよりは三角関係だ。Pablo Alboran - Donde Está El Amor ft. Jesse & Joy最後に。スペインのシンガーソングライターパブロアルボランの作品で、ちょっとマニアックだが質の高い美しいアコースティックデュエットソングだ。古今東西男女デュエットソングは不滅だ・・・おしまい。
何かとお騒がせ、世界を大混乱させているアメリカ大統領。今日はそのアメリカの話。今日はサイモン&ガーファンクルの名曲「アメリカ」の話である。この歌はベトナム戦争や人種差別に対する問題提起の歌だ。私の若かりし頃、このハーモニーの美しい名曲がどんな内容の歌詞なのか知りたくて、辞書を駆使して訳そうと志したことがあった。しかし結局中身は謎のまま今日まで来てしまった。最近知った話だが1971年シングル発売された曲だが、出来たのは、ずっと以前だったらしい。歌の中に出てくる「So we bought a pack of cigarettes and Mrs. Wagner piesタバコのパックとミセス・ワグナーのパイを買って」と言うフレーズがあるが、聞いた話で記憶は定かでないがミセス・ワグナーのパイはいくつかの店舗を持つパイのチェーン店だったが1966年に閉店したそうだからその前後に作曲されていたと言う事だ。ただウィキペディアには「They were made until July 11, 1969, by a company named Mrs. Wagner's Home Made Pies that was originally located in Ocean Grove, New Jersey and later in Brooklyn, New York.」と書いてあるが、いずれにしても1971年には閉店していたようだ。歌詞を訳していて最初に行き詰まったのは「She said the man in the gabardine suit was a spy I said “Be careful his bowtie is really a camera彼女は、ギャバジン生地のスーツを着た男はスパイだと言った。私は、気を付けて!彼の蝶ネクタイは本当は隠しカメラだと言った」と言うフレーズである。なんでこんな美しい曲にスパイだの隠しカメラが出てくるのか意味不明であった。結局は全体的にはベトナム戦争や人種差別などアメリカが抱えていた問題を提起した歌なのだが、アメリカとは何なのだと言うことを恋人とともにグレイハウンドのバスに乗って捜し求める歌なのである。「I’m empty and aching and I don’t know whyぼくは空虚で苦しいのに何故だか分からない」このフレーズがこの歌のポイントだと思う。そして最後の「All gone to look for Americaみんなアメリカを探しに出てきたんだ」で終わる。このサイモン&ガーファンクルの「アメリカ」と言う歌は深い。
あす2026年6月1日(月)開演:19:00(開場 18:00)会場:グランキューブ大阪 メインホール結局ライブに行くことにした。私も足もとが覚束ない高齢の客だが、出演するボズスキャッグスだって81歳。全盛時の声が出るのだろうか?私が初めてボズスキャッグスを聴いたのはAORと呼ばれていた「シルクディグリーズ」あたりからである。AORはAdult-Oriented Rock(アダルトオリエンテッドロック)の略だそうだが、これは日本だけで通じる英語で、アメリカでは普通にアダルトコンテンポラリーと呼ばれるジャンルの音楽である。たとえば、スティーリーダン、ボビーコールドウェル、ルパートホルムズ、ピーターセテラ、さらに探せば、クリストファークロス、アルスチュアート、ケニーロギンス、バリーマニロウ、ジェイグレイドン、デヴィッドフォスター、マイケルマクドナルド、ビルチャンプリン、スティーブンビショップ・・・そもそもボズスキャッグスはスティーヴミラーらと活動してきたブルース、R&Bの歌手であるが、1970年代半ばに入ってバラードがあまりに美しかったのでいつの間にかAORの代表歌手のような扱いを受けてきた。「シルクディグリーズ」には次の10曲がおさめられているが、名曲ぞろいだ。1. What Can I Say2. Georgia3. Jump Street4. What Do You Want The Girl To Do5. Harbor Lights6. Lowdown7. It's Over8. Love Me Tomorrow9. Lido Shuffle10. We're All Aloneこのアルバムに参加したスタジオミュージシャン デヴィッドペイチ、デヴィッド・ハンゲイト、ジェフ・ポーカロ達が後にTOTOを結成する。ちなみにTOTO結成時のメンバーは ジェフ・ポーカロ(ds) スティーヴ・ポーカロ(key,vo) デヴィッド・ハンゲイト(b) ボビー・キンボール(Vo) スティーヴ・ルカサー(g,vo) デヴィッド・ペイチ(key,vo) 今思えば凄いメンバーだ。私はこの「シルクディグリーズ」のアルバムジャケットが大好きだ。とにかくカッコイイ。サングラスをかけ、海から目を背け、そしてジャケットを良く見ると右の方にそっと出ている女性の指先。これは一体どう言う状況なのだろうか?人生に行き詰まって海に飛び込もうと思ったが寒そうなので恋人にとどまるよう説得されているのか?それとも「ヒロシです」のヒロシが新しい一発芸を開発中に愛人が励ます姿なのか?ボズスキャッグスを一言で言うとしたら「今も歌い続ける静かなるレジェンド」つーところか?
1970年7月8日生まれのベックはすでに55歳。オルタナティブと言うべきかヒップホップと言うべきか微妙なジャンルの歌手である。アルバムも10数枚発表している。Golden Feelings(1993年)Stereopathetic Soulmanure(1993年)Mellow Gold(1994年)「ルーザー」 がシングルヒットOne Foot in the Grave(1994年)Odelay(1996年)このアルバムが高く評価され存在感が増す。Mutations(1998年)Midnite Vultures(1999年)Sea Change(2002年)ローリングストーン誌で年間アルバムランキング1位を記録Guero(2005年)The Information(2006年)Modern Guilt(2008年)Morning Phase(2014年)脊椎損傷で苦しみ手術で回復。6年ぶりに発表したアルバムで第57回グラミー賞最優秀アルバム賞と最優秀ロックアルバム賞を受賞。Colors(2017年)第61回グラミー賞最優秀オルタナティブ・ミュージック・アルバム賞、最優秀アルバム技術賞などを受賞。Hyperspace(2019年)ファレル・ウィリアムス等との共同プロデュースアルバムBeckの「モーニング・フェイズMorning Phase」を時々聴く事がある。同じアルバムでも爽やかで心地よく感じるときと鬱な気分になるときがあるが、どちらの場合もベックの独特な音世界に包まれてしまう、不思議な音楽だ。ギンギンロックを聴くのも良いが、アコースティックなストリングスや歌声を聴くのも良いものだ。このサウンドの中にゆっくり浸っていたい心境になる音楽だ。ただ一つ気になることがある。「Blackbird Chain」と言う曲がどこかで聴いたような気がして、気になっていたが、先日なぜか風呂の中でシャンプーしていた時に思い出した(トイレの中ではない)。そうだ!この曲はビートルズのジョンレノンの名曲「アクロスザユニバース(Across the Universe)」に似ている。出だしの歌詞にもジョンレノンの方は「Paper Cup」が出てくるがベックの方は「Loving Cup」出てくる。相通じる宇宙観があるのかもしれない。Beck の魅力は「ジャンルを自由自在に横断する変幻自在さ」にある。フォーク、カントリー、ヒップホップ、ロック、エレクトロ、ファンクなどを“ごちゃ混ぜ”にしながらも独自の世界観にまとめ上げる才能がある。しかも歌詞の仲にユーモアな皮肉が含まれている。「Loser」「Where It's At」などはその象徴的な曲だ。2026年4月20日に新曲「Ride Lonesome」を発表、2026年9月16日〜10月31日まで、北米25都市を巡る大規模ツアーを発表するなど、現役バリバリのミュージシャンである。 ベックの内省的アコースティック路線がたまらなくイイ。
1960年代後半、バーズのデヴィッド・クロスビーとバッファロースプリングフィールドのスティーヴン・スティルスとホリーズのグラハム・ナッシュの3人が結成したグループがあった。グループ名は何のヒネリもなく、そのまんまクロスビー スティルス&ナッシュ 略してCS&Nである。・・・美しいハーモニーのカントリーグループだった。メンバーのスティーヴン・スティルスがグループを進化させ、ロック色を強めたいという希望があり、バッファロースプリングフィールド以降ソロ活動をしていたニール・ヤングをグループのメンバーに入れ、結成したのがあの伝説のクロスビー スティルス ナッシュ&ヤング、略してCSN&Yである。1970年に発売された彼らのアルバム「デジャヴDéjà Vu」は後にロックの歴史に残る素晴らしい作品だ。才能のある4人のそれぞれの作品がアルバムの中に入っており、ブルースあり、カントリーナンバーあり、アコースティックギターあり、ロックあり、様々な個性が凝縮された素晴らしいアルバムだ。1.Carry On Sスティルス作2. Teach Your Children Gナッシュ作3.Almost Cut My Hair Dクロスビー作4.Helpless Nヤング作5.Woodstock ジョニ・ミッチェル作6.Déjà Vu Dクロスビー作7.Our House Gナッシュ作8.4+20 Sスティルス作9.Country Girl: (I Think You're Pretty) Nヤング作10.Everybody I Love You Sスティルス、Nヤング共作1970年前後、フラワーミュージック、反戦、Woodstock、理想郷、幻想、サイケデリック・・・そんな言葉が飛び交った年代だ。スティルスの作品で名曲中の名曲「Carry On」と「4+20」、ナッシュの作品で、ポップで美しい「Teach Your Children」「Our House」、クロスビーの作品で、サイケデリックな少々意味不明の「Almost Cut My Hair」「Deja Vu」、そしてヤングの作品「Helpless」「Country Girl」「Everybody I Love You」特にHelplessはコード進行が単調なのにものすごくインパクトのある曲・・・そしてジョニ・ミッチェルの名作「Woodstock」・・・実質的には彼らが一緒に活動するのは1年間程度であった。しかし、その後に4人そろってのCSN&Yで1988年「アメリカン・ドリーム」、1999年に「ルッキング・フォワード」の2枚のアルバムを発表している。CSN&Yで思い出したが、その頃から長いグループ名は略されることが多い。ピーターポール&マリーはPPM、デーブクラークファイブはDC5、クリーデンスクリアウォーターリバイバルはCCR、モダンジャズカルテットはMJQ、ブラッドスエット&ティアーズはBST、グランド・ファンク・レイルロードはGFR、エマーソン・レイク&パーマーはELP、エレクトリック・ライト・オーケストラはELO、アースウインド&ファイアーはEWF・・・KFC??・・・ケンタッキーフライドチキン?
1990年以降windows3.1と言うOSを使って仕事をしていた。それまでワープロという物を使っていたがパソコンでWordを使い始めて、漢字変換が面白かった。「扶養家族」が「不要家族」だったり、「癒やし系です」が「いや死刑です」、「寝台車」が「死んだ医者」、「薬剤師」が「やくざ医師」、「隠し事」が「書く仕事」・・・などきりがない。ジャズが好きだった私はミュージシャンを漢字変換して遊んでいた。「世路に明日文句」「お酢可ぴ他孫」「松子痛いな」「歯美判子苦」「鵜隠遁蹴り」「祖に色凛図」「丸魚るドロン」「あっと手痛む」「地区懲りあ」「雷お寝る半布団」「蚊運と米紙」音楽ファンなら若いころ一度はジャズが好きになる時期があるものだ。私も20歳前後のころジャズが大好きで、その当時は結構ジャズファンの友達が多く、ジョンコルトレーン、マイルスデイビス、キャノンボールアダレイ、セロニアスモンク、バドパウエル、ウイントンケリーなど好んで聞いたものだが、当時のジャズファンはオスカーピーターソンをかなり過小評価していたように思えるし、「僕はオスカーピーターソンのファンだ」と言ったら、かなりバカにされたような風潮があった。ポップなヒット曲のカバーやスタンダードナンバーがたくさんあったことにも原因があるかもしれない。私個人的にはオスカーピーターソン(p) レイブラウン(b) エドシグペン(ds)のトリオでリリースされた「カナダ組曲CANADIANASUITE」が大好きで、何度も何度も聴いた。小麦色のアルバムジャケットも大好きだ。近年、ある日本のミュージシャンが「オスカーピーターソンはピアノの音が大きくて下品で大嫌いだ!」「どれを聴いても同じ」と評価しているという話を聞いたことがあるが、評価は人それぞれで、どうでもいいことで、逆に私は最近になって、オスカーピーターソンは実は素晴らしいピアニストだったのだと再認識している。とにかくミスタッチがほとんどなく、完璧で、ピアノの88鍵をフルに使い、時に激しくスイングし、時に優しく語りかける神がかり的なテクニックの持ち主だったと思う昨今である。
大相撲は高齢者が見るスポーツと言う認識が一般的だが、「スー女」最近若い女性ファンが増えてきているような気がする。しこ名も最近はキラキラネームのようなものがあって面白い。ファンでなければ読み方が難解な力士のしこ名を列挙安青錦(あおにしき)、美ノ海(ちゅらのうみ)、阿炎(あび)、翔猿(とびざる)、一意(かずま)、阿武剋(おうのかつ)、尊富士(たけるふじ)、羽出山(はすやま)、日翔志(ひとし)、宇瑠虎(うるとら)爆羅騎(ばらき)、冨蘭志壽(ふらんしす)今若い女性ファンが一番多いのは大阪出身のピンクのまわしが似合う宇良だろう。若い女性と言えば先日テレビで映画「奇跡の人」を久々観た。これに主演していたのがパティデュークである。アメリカの女優パティデュークは映画「奇跡の人」で子供ながらにヘレン・ケラー役を熱演し、1963年に16歳でアカデミー賞を獲得したことで有名だ。この映画があまりにも有名だが他にも年代は前後するが1969年女性の成長を描いた名作、アルパチーノも出演した「ナタリーの朝」1992年メグライアンが出演したラブコメディ「キスへのプレリュード」1978年キャサリンロスが出演したSFパニック映画「スウォーム」1967年シャロンテートが出演したちょっと怖い映画「哀愁の花びら」に、出演した。パティデューク私にとってパティデュークはアイドル歌手と言う印象が強い。1965年ビルボードヒットチャート8位を記録したデビューシングル「やさしくしてねDon’t Just Stand There」と言う歌が日本でもヒットした。歌唱力は下手?な部類に属するが、切ない歌い方に心ときめいた。そんなパティデュークが2016年3月29日69歳の若さで亡くなったのは悲しい。「奇跡の人」はある意味教育的な映画だったが、5年後1967年にシドニーポワチェ主演の教師をテーマにしたイギリス映画「いつも心に太陽を」が日本でも流行った。同名のテーマソングを歌っていたのが風邪薬みたいな名前のルルである。理由はわからないが、私はパティデュークとルルをなぜかよく混同する。パティが1946年生まれ、ルルが1948年生まれだから年齢も近い。ルルと言えば、1974年公開の「007黄金銃を持つ男」の主題歌を歌った歌手だ。
私は1996年だったと思うが大阪でkd Langのライブを観た。客席は一種異様な熱気で、客席の前列付近は熱狂的な女性ファンが大勢いた。何だ!これは?・・・1992年にカミングアウトして以来、彼女はLGBTQ+アイコンとしての活動が中心になってきた。LGBTQ+の権利活動、社会的メッセージの発信に重きを置くようになり、音楽活動より社会活動が前面に出る時期もあった。kd Langはとにかく圧倒的な歌唱力がある。ロイオービソンやトニーベネットなどの大物とデュエットしても、全く負けていない。ロイオービソンとの「Crying」のデュエットに対しグラミー賞の最優秀カントリー・ヴォーカル・コラボレーション賞を受賞しているし、ヒット曲「Constant Craving」でグラミー賞の最優秀女性ポップ・ヴォーカル賞さらにトニーベネットがグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞した「MTVアンプラグド」で「Moonglow」をデュエットしたのも良かったが、トニーベネットの「デュエッツ:アメリカン・クラシック」という素晴らしいデュエットアルバムで歌った「Because Of You」はまさに最高級のジャズテイストのデュエットだ。「Constant Craving」は素晴らしい・・・と言うか難曲?哲学的?・・・この歌について調べてみた。暗闇の時期でも厚くても薄くても(良い時も悪い時も)皮膚の下で勇敢に進む“誰か真実へと魂を引き寄せる巨大な磁石これらはすべて、「人間の内側にある、止められない衝動」 を象徴しているようだ。「どうしようもなく訪れる欲求」「満たされない渇望」「人間を前へ進ませる生命力」 ややこしい話だが、つまりこの曲は、「欲望=悪いもの」ではなく、生きるために必要な、聖なる衝動として肯定している という点が非常にユニークな歌だ。仏教的解釈をするなら「輪廻転生」・・・益々難解!!とにかくkd Langは普通の人気歌手ではない。もしCDの売り上げやライブの観客動員を図ろうと思えば、大衆に媚びるのが正解だが、ある機会にベジタリアンと発言し、肉食反対キャンペーンに参加して地元畜産組合から猛反発を食らった事もあったそうだ。いろいろお騒がせアーチストではあるが、存在感ある歌手である。その彼女が、2021年5月リミックスアルバム「makeover」を発売したのにはちょっと驚いた。私はそもそもリミックスアルバムというのは「賞味期限切れの食材を巻き直しで使う」ようで嫌いなのだが、このアルバムはちょっと異質で大変気に入っている。「愛を紡ぐ優しい歌声が、軽やかなダンス・ビートを身にまとい、世界に響き渡る。」とかキャッチフレーズに書いていたがk.d. langは確かに歌唱力のある実力派歌手であることは間違いない。カナダを代表する?いや世界を代表する歌手なのだ。「makeover」は「彼女が1992年から2000年の間に発表した愛すべきラヴ・ソングの数々に新たな魅力をまとわせたクラシック・ダンス・リミックス・トラックを全14曲収録した企画アルバム」なのだ。彼女の歌で私が大好きな曲を選べと言われたらやっぱり、あの怪しげな不思議な魅力を醸し出している「ミスシャトレーンMissChatelaine」だ。kdラングは1961年11月2日生まれの64歳。・・・また年齢ばらしてしもた!
ビートルズが終末を迎える少し前、あの名盤「アビーロード」がチャートの1位を占めていたころ、1位の座から引きずり下ろしたのがレッドツェッペリンの「ツェッペリンⅡ」であった。ハードロック、ソフトロック、サイケデリックロック、フォークロック、フラワーミュージックなどいろんなジャンルの音楽が混在していた時代、異彩を放っていたのがレッドツェッペリンである。レッドツェッペリンはブルースとハードロックとアコースティックミュージックを組み合わせたグループだと言える。グループ名Led ZeppelinはREDではなくLEDである。由来は「Lead Balloon」という言葉からきている。「鉛の風船」が転じて面白くないギャグの事を言うが、風船を飛行船にひねって、Led Zeppelinにしたそうだ。このグループを語るときまずジミーペイジの名前が出てくる。1965年ジミーペイジはヤードバーズのマネージャーのジョルジオゴメルスキーからエリッククラプトンが抜けた後のかわりにヤードバーズに参加しないかと誘われたが、友達のジェフベックを推薦した。しかしその後ジミーペイジもヤードバーズに加入することになる。ここでの経験がその後大きく花開く。レッドツェッペリンのメンバーはギターのジミーペイジ、ベースのジョンポールジョーンズ、ヴォーカルのロバートプラント、ドラムスのジョンボーナムである。1969年リリースされた「レッドツェッペリンⅠ」はアルバムチャート10位が最高だったが、何よりも73週間チャート内にとどまり続けたのは驚異的だ。サイケデリックな雰囲気の「ハウメニーモアタイムズ」、ブルースそのものと言える「ユーシュックミー」、アコースティックな「ブラックマウンテンサイド」、そして「幻惑されて」はテレキャスターと言うエレキギターをバイオリンの弓で弾くと言う実験的な試みも行っている。「ツェッペリンⅡ」は何といっても、怒涛の如く押し寄せる「胸いっぱいの愛をWhole Lotta Love」のサウンドに度肝を抜かれた。当時のロックバンドは、ビートルズのリンゴスターのように、ドラムスはリズムキーパーとして脇役的存在だったが、Ⅱの「胸いっぱいの愛を」のスネアドラム、「ハートブレイカー」のバスドラを聴く限り、ドラムが主役になっているのが特徴的だ。ドラムスのジョンボーナムが32歳で亡くなったが、その時期を契機にグループが解散になったのも、彼の存在がいかに大きかったかを物語っている。これらのアルバムのうちⅣは便宜上Ⅳと呼ばれているだけである。表ジャケットには薪を背負った老人の絵が壁に掛けられこのジャケット全体を通じて、グループ名、アルバム名、レコード会社名などの文字が一つも印刷されていない。Ⅲへの一部評論家の悪評に対するアピールなのか、「中身で勝負」と言う主張なのだろうか?アルバムの中の「天国への階段 Stairway To Heaven」は後世に残る名曲だ。800万・1300万・650万・2320万・・・これは彼らのアルバムⅠ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ(無題)の全世界での販売枚数である。桁違いにすごい大物である。あの名曲中の名曲「天国への階段」はたぶん旧約聖書の創世記の中にあるヤコブの梯子を意識して作られたのだろう。レッドツェッペリンはヘヴィなロックのまさに元祖的存在だ。レッドツェッペリンを語るとき、マネージャーピーターグラント(Peter Grant, 1935年4月5日 - 1995年11月21日)の存在は重要だった。彼は、メンバーが音楽に集中出来るよう、対外的な問題をすべて対応してきた。シングルレコードを出さず、アルバムだけで勝負し、テレビ出演を極力控えライブにファンが来るよう配慮した。身長190cm、体重130kgで威圧感があり、プロモーターや関係者の不正は絶対許さなかった。収益の取り分も破格の「90%はバンドに、10%はプロモーターに」を主張し、バンドメンバーに巨万の富を残した。しかし、年月は前後するが、その後ジミーペイジが薬物中毒で死にかけたり、ジョンボーナムが太りすぎてドラムが叩けなくなったり、ロバートプラントが交通事故に遭遇したり、息子さんを亡くしたり色々あって解散するが、直接的な原因はやはりジョン・ボーナムの死であった。1980年9月25日、ドラマー ジョン・ボーナムがアルコール過多により急死。肺水腫とも言われている。享年32歳。彼の死後、メンバーは約2〜3か月の沈黙を経て、同年12月に 「彼なしではレッド・ツェッペリンとして活動を続けることは不可能」 と公式声明を発表し、解散を決断。解散後、それぞれがソロ活動を再開した。ロバート・プラントはソロアーティストとして大成功 「Big Log」「In the Mood」などヒット多数。2000年代はアリソン・クラウスとの共作『Raising Sand』が高評価。グラミー賞を総なめにした。ジミー・ペイジは1980年代は映画音楽やプロデュースなど幅広く活動。1984年、プラントと共に The Honeydrippers に参加。1985年の Live Aid でプラント、ジョーンズと再会。1994年、プラントと再びタッグを組み『No Quarter』を制作。1998年にはプラントと新曲中心のアルバム『Walking into Clarksdale』を発表。ジョン・ポール・ジョーンズは映画音楽、プロデュース、アレンジなど多方面で活躍。R.E.M.、ブライアン・イーノ、ダイアー・ストレイツなどと仕事。1990年代後半にはソロアルバム『Zooma』を発表。2000年代には Them Crooked Vultures(ジョシュ・ホーミ、デイヴ・グロールと結成)で再びロック界の中心へ。そして2007年12月10日、ロンドンで伝説のレッドツェッペリン一夜限りのライブを行った。チケット求めて2万席に対して2000万件の応募があったとか・・・。亡くなったジョンボーナムの息子ジェイソン・ボーナムがドラムスで参加した。
物価高で生活が厳しい。食品消費税を8%を0%にするという公約はどうなった?流通業のシステム変更が大変らしい。でも0%にするのには1年以上かかるが、1%に変更するのであれば3か月くらいで実現できるらしい。1%やったら許せる。早く減税しておくれやす。ラヴィ・シャンカルはいろんなミュージシャンと接点がある。バイオリニストのハイフェッツ、ジャズのジョンコルトレーン、ビートルズのジョージハリスン、そしてウッドストック出演など、いろんな重要な音楽シーンに「ちょこっと」顔を出すユニークな存在だ。ラヴィ・シャンカルと言えばシタール。インドの独特な雰囲気を醸し出す楽器で、1970年前後に流行したサイケデリック音楽には欠かせない楽器だ。サイケデリックって何や??現代では通用しない音楽ジャンル用語だが、当時、中期のビートルズサウンドに多く取り入れられ、ドアーズ、ジェファーソンエアプレイン、ピンクフロイド、ジミヘンドリックス、ヴァニラファッジ、クリーム、グレイトフルデッド、ソフトマシーン、アイアンバタフライなどのグループがその中心的存在だった。ラヴィ・シャンカルは、ノラ・ジョーンズの父親と言う事で、知られるようになったが、ノラ・ジョーンズ自身はラヴィ・シャンカルについて多くを語らないようであり、所謂、親の七光りでもなさそうだ。 ノラ・ジョーンズ特にビートルズのジョージハリスンとは長い間師弟関係のような付き合いがあったようだが、ビートルズの有名な曲「ノルウェイの森」でジョージハリスンが興味を持ってラヴィ・シャンカルから習ったシタールを演奏していたが、その音は当時斬新だった。(この「ノルウェイの森」という歌は森林や大自然の美しさを歌った歌ではない。)当時ビーチボーイズが「グッドヴァイブレーション」と言う曲をヒットさせたが、その中でテルミンという楽器が使われていた。洋楽ファンの私は、そのテルミンとシタールどちらも興味深かった。ラヴィ・シャンカルはウッドストックフェスティバルにも参加したが本人は気が進まなかったようで契約上やむを得ず参加したが、舞台で演奏途中に楽器を燃やしたり破壊したりする、ザフーやジミヘンドリックスを嫌悪していたようだ。「楽器は神聖なものだ」と私も思う。「水戸黄門」でお銀が三味線を武器に使うのは論外だが、音楽を作り出す楽器を破壊するのは、ミュージシャンとしていかがなものか?パーフォーマンスとして破壊する人、自己陶酔、短気、酒気帯び、自分の技術の未熟さに腹が立って抑えきれず破壊する人・・・そんな破壊行為そのものがロックンロールだと思っている人・・・世も末だ。ラヴィ・シャンカルは1920年4月7日生まれ2012年12月11日没。享年92歳
1979年ころイーグルスが発表した「ハートエイク・トゥナイト」(Heartache Tonight)という曲がある。この曲の作者はメンバーのドンヘンリー、グレン・フライ、そしてJDサウザー、さらにボブ・シーガーの4名の共作になっている。ボブ・シーガーは日本ではあまり知られてはいない?というより私はほとんど知らなかったミュージシャンだ。調べてみるとかなりの大物なのだ。ボブ・シーガーはイーグルスのグレン・フライとは同郷のよしみであったようで、フライが亡くなる2016年まで交流があったらしい。ボブ・シーガーは1945年5月6日生まれ、今日が81歳の誕生日。リトル・リチャードやエルヴィス・プレスリーの影響を受け、1968年ころザ・ボブ・シーガー・システムというバンド名で頭角を現す。1970年代に入って、ソロ活動をするがこの時代ハードロックやサイケデリックロックがもてはやされた中、ボブ・シーガーの音楽はパッとした成果もなかったが、1976年ボブ・シーガー&ザ・シルヴァー・ブレット・バンド結成し、発表されたアルバム「炎の叫び(Night Moves)」のヒットでようやくその実力が評価されるようになった。そして1980年に発表された「奔馬の如く(Against The Wind)」がヒットし、1980年のグラミー賞2冠を達成。ただ商業的には大成功とは言えなかった。このころはディスコサウンドやダンスミュージックが主流で、シンセサイザーなどを駆使したテクノサウンドが幅を利かせていた時代、そんな中で昔ながらのカントリーっぽいアメリカンロックは当時「古臭い」イメージだったのかもしてない。しかし、ブレずに貫いたカントリーロックアルバム「奔馬の如く」は、現代でもなお新鮮だ。ボブ・シーガーのアルバム1976年「炎の叫び」- Night Moves(全米8位)1980年「奔馬の如く」- Against the Wind(全米1位)1981年「嵐の呼ぶ声」- Nine Tonight(全米3位)1986年「ライク・ア・ロック」- Like a Rock(全米3位)2006年 「Face the Promise」(全米4位)2014年 「Ride Out」(全米3位)ボブ・シーガーは、新しいJ・POPSの中にあって、ど演歌を歌い続ける、演歌歌手の王道を行くようなアーチストなのだ。と私は思う。
2016年4月21日、鬼才、天才プリンスが亡くなった日である。1980年頃突然登場した感のあるプリンス。第一印象は目がギョロギョロしていて、背の小さい(157.5cmと言われている)奇妙な男という印象だった。(個人の感想です)ところが彼の残した音楽遺産は計り知れない。売上げではマイケルジャクソンの「スリラー」には全く及ばないが、「パープルレイン」がいろんなアーチストに与えた影響は計り知れない(と勝手に思っている)。彼を紹介するとき、何と表現したら良いのか?シンガーソングライター、音楽プロデューサー、アルバム制作者、俳優・・・そしてギター、ベース、キーボード、ドラムなど(誰が数えたか知らんけど)23種類の楽器を演奏し、それぞれが一流のテクニックだったとか・・・アルバム47枚のうち12枚が100万枚以上売上げ、グラミー賞7回受賞、まさに天才である。1958年6月7日生まれ~2016年4月21日57歳で没。20世紀中に発表されたアルバムも多数。★フォーユーFor You(1978年)★愛のペガサスPrince(1979年)★ダーティマインドDirty Mind(1980年)★戦慄の貴公子Controversy(1981年)私がプリンスの存在を最初に知ったアルバム。★19991999(1982年)リサ・コールマンとジル・ジョーンズ、二人の女性の声が印象的。★パープルレインPurple Rain(1984年)全米ポップチャート1位。全米で1千万枚以上売れたアルバム。「レッツ・ゴー・クレイジー - Let's Go Crazy」「テイク・ミー・ウィズ・U - "Take Me With U"」「ビートに抱かれて - When Doves Cry」「ダイ・フォー・ユー - "I Would Die 4 U"」そしてプリンスの代表曲「パープルレイン - Purple Rain」など印象的な歌が盛り込まれた最高のアルバムだ。ドラマーのシーラEもこのあたりからプリンスの音楽を支えてきた。そしてプリンスがなくなるまでいろんな関わりがあった。★アラウンドザワールドインアデイAround the World in a Day(1985年)80日間世界一周をもじったアルバムタイトル。ビートルズの「サージェントペパーズ・・・」を連想させるアルバムだ。★パレードParade(1986年)あまりにも時代を先取りしすぎた感があって評価はまちまち。★サインオブザタイムズSign ‘O‘ The Times(1987年)ヒップホップのアーチストに多大な影響を与えた作品。私はこのアルバムがプリンスの最高傑作やと思います。シーナイーストンと歌った「U Got The Look」は素晴らしい。★ラブセクシーLovesexy(1988年)サイケデリックなイントロが印象的だが評価が低く売れなかった。★バットマンBatman(1989年)映画のサウンドトラックを担当した。★グラフィティブリッジGraffiti Bridge(1990年)これも映画のサウンドトラック。★ダイヤモンズアンドパールズDiamonds and Pearls(1991年)ロージーゲインズのパワフルな歌が印象的。★ラヴシンボルLove Symbol(1992年)★カムCome(1994年)★ゴールドエクスペリエンスThe Gold Experience(1995年)★Girl 6(1996年)★Chaos and Disorder(1996年)★Emancipation(1996年)★Crystal Ball(1997年)★The Truth(1997年)★ザヴォルトオールドフレンズフォーセールThe Vault: Old Friends 4 Sale(1999年)★レイヴアン2ザジョイファンタスティックRave Un2 the Joy Fantastic(1999年)プリンスはなぜかジャズのマイルスデイヴィスとも接点があった。プリンスの作品「Can I Play With U?」が1986年発表されたマイルスデイヴィスのアルバム[TUTU]に収録されるはずであったが諸般の事情(どんな事情か知らんけど)で入らなかったのは残念だ。プリンスの「COMEBACK」と言う歌は悲しい。特に根拠はないけど、確か結婚して生まれてきた子供さんが病死した哀しみを追悼しているように私は思うのだが・・・?プリンスの音楽的変遷をざっくり私なりにまとめてみると80年代は革命児として大爆発した時代 「サインオブザタイムズSign ‘O‘ The Times」はプリンスの最高傑作で歴史的名盤なのだ。 多くのミュージシャンに音楽的影響を与えた。90年代は闘争と実験の時代 プリンスは所属レーベルのワーナー・ブラザーズと作品の所有権・リリースペースを巡って対立。 レーベルは「作品を出しすぎる」として制限をかけ、プリンスはこれを“創作の自由の束縛”と捉えた。 その抗議として、1992年以降、読み方のないLove Symbol(愛の象徴)を自らの名前とし、 「The Artist Formerly Known As Prince」と呼ばれるようになった。 これは奇抜な行動ではなく、アーティストの権利を守るための戦いであった。 当時ジョージマイケルもこれに賛同した行動をとっていたらしい。 確かグラミー賞の時のライブパーフォーマンスでプリンスを紹介する時、名前がないから紹介しようがなく「元プリンス」 と呼ばれていた記憶がある。プリンスと言う名前を捨てたのはレーベルとの闘いであり、アーティストの自由を守るための 行動だったと思う。2000年以降は精神性の深化と“静かな成熟の時代 プリンスは2001年頃にエホバの証人へ改宗した。宗教の話は別にして、 過激な描写が大幅に減少し宗教的・精神的テーマが増加し、 過激なライブ演出が控えめになった気がする。 歌詞にも「救済」「光」「信仰」といった語彙が増えている。今から10年ほど前惜しくも亡くなったが、鬼才プリンスの存在は忘れられない。
洋楽の世界で「Love」と名の付くものは星の数ほどある。ビートルズだけでも「Can't Buy Me Love」「She Loves You」「All My Loving」「And I Love Her」「All You Need Is Love」などある。ジャンルや時代はめちゃくちゃだが、思いつくまま並べてみよう。「Love」ナットキングコール「Baby, I Love You」 ロネッツ「I Love How You Love Me」 パリスシスターズLove potion number 9 サーチャーズ「Love is Blue」 ポールモーリア「My One & Only Love」 チックコリア「You don't have to say you love me」ダスティスプリングフィールド「This Guy's in Love with You」ハーブアルパート「What The World Needs Now Is Love」 ジャッキーデシャノン「Love Grows」 エジソンライトハウス「For Your Love」 ヤードバーズ「Love Street」 ドアーズ「I Love You More Than You'll Ever Know」ブラッドスエット&ティアーズ「A World Without Love」 ピーター&ゴードン「Never my love」アソシエーション「My Love」 ポールマッカートニー「Somebody To Love」 クイーン「Will You Love Me Tomorrow?」キャロルキング「Love will keep us together」 キャプテン&テニール「Lotta Love」 ニコレットラーソン「I'd Really Love To See You Tonight」 イングランドダン&ジョンフォード「Love is the Answer」 イングランドダン&ジョンフォード「How Deep Is Your Love」 ビージーズ「Inside My Love」 ミニリパートン「Lovin' you」ミニリパートン「Lost In Love」 エア・サプライ「I Need To Be In Love」 カーペンターズ「I Just Can't Stop Loving You」 マイケルジャクソン 「Will You Still Love Me?」 シカゴ「Glory of Love」 ピーターセテラ「I Just Called To Say I Love You」スティーヴィーワンダー「What's Love Got to Do with It」 ティナターナー「I Can't Make You Love Me」 ジョージマイケル「Because I Love You」 スティーヴィーB「After The Love Has Gone」 アースウインド&ファイアー「After The Love Has Gone」 ジェイグレイドン「Tonight I Celebrate My Love」 ロバータフラック&ピーボブライソン「I'll Never Love This Way Again」ディオンヌワーウィック「Saving All My Love For You」ホイットニーヒューストンGreatest Love Of All ホイットニーヒューストン「When a Man Loves a Woman」 マイケルボルトン「Vision Of Love」 マライアキャリー「Send Her My Love」 ジャーニー「All I Wanna Do Is Make Love To You」 ハート「Endless Love」 ルーサーヴァンドロス「Endless Love」 ダイアナロス&ライオネルリッチー「You Don't Love Me Anymore」 エディラビット「The Power Of Love」 セリーヌディオン「 I Can't Make You Love Me」 ボニーレイット「I'm Gonna Love You Through It」 マルティナマクブライド「She's In Love With The Boy」 トリシアイアウッド「Simple Love」 アリソンクラウス「Some Say Love」 リアンライムズ「The One I Love」 R・E・M「She Will Be Loved 」 マルーン5「Love Somebody」 マルーン5「Make You Feel My Love」 アデル「Love Story」 テイラースウィフト「Bleeding Love 」 レオナルイス「I Can't Make You Love Me」 ボンイヴェール「Who You Love」 ジョンメイヤー ft ケイティペリー「Love of My Life」 ジェニファーロペス「Love me Harder」アリアナグランデ&ザ・ウィークエンド「Love Is Everything」 アリアナグランデ彼女が22歳だった1986年第28回の授賞式で歌った「Saving All My Love For You」が大変印象に残っている。最初は緊張気味にシャイに歌い始めたが、最後は堂々と歌い上げ万来の拍手を受けたステージは素晴らしかった。その後1987年「Greatest Love Of All」、1988年「I Wanna Dance With Somebody」、1989年「One MomentIn Time」とその頃彼女はステージで歌を披露する「グラミーの顔」となっていた。かつてビートルズが発売した曲が連続6曲全米No1になった事があるが、ホイットニーの「Saving All My Love For You」「How Will I Know」「Greatest Love Of All」「I Wanna Dance With Somebody」「Didn't We Almost Have It All」「So Emotional」「Where Do Broken Hearts Go」で、その記録を塗り替え、連続7曲全米No1の記録は音楽の歴史に燦然と輝いている。
テレビでビリー・アイリッシュのライブを見た。高齢者が見るようなライブではないが、なかなか見応えがあった。ビリー・アイリッシュと言えばプロデュースやバックで演奏をする兄のフィニアス・オコネルの存在は大きい。そこで思うカーペンターズとリチャードとカレン・カーペンターとの類似点だ。一方は清廉なポップス、もう一方はダークなオルタナティブ。一見、対極にいるような彼らだが、実は驚くほど多くの共通点があるように思う。ビリー・アイリッシュとカーペンターズは全く音楽性も時代も違うが、やはり家族の絆と言うか、時代を超えた、兄妹ならではの「阿吽の呼吸」と言うものが何かしら同じに見えてくる。どちらも、楽器演奏やアレンジに長けた兄がサウンドの土台を作り、圧倒的な表現力を持つ妹がそれに命を吹き込むという、最強のタッグなのだ。「WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?」はビリーとフィニアスが実家のベッドルームで作り上げたのは有名だが、実はカーペンターズも初期は自宅のガレージなどで試行錯誤しながら、あの重厚なコーラスワークを生み出していた。カレンの「耳元でささやくような」深みのあるアルトボイスと、ビリーの「ウィスパーボイス」は、聴き手の心に直接語りかけてくるような親密さがある。スタジオという公共の場ではなく、家族という親密な空間で磨かれたからこそ、彼らの音楽には聴き手の耳元でささやくような、独特の「近さ」が宿っている。もし、時代を超えてビリーたちの「ダークでモダンな感性」と、リチャードが作るような「美しいメロディやハーモニー」が融合したらすごい作品になると思う。両者に共通する最大の武器は、その役割分担だと思う。卓越したアレンジ能力とプロデュース能力を持つ「兄」がキャンバスを描き、そこに「妹」が唯一無二の歌声を乗せる。リチャードが作る重厚なハーモニーも、フィニアスが作るミニマムなビートも、すべてはカレンとビリーの「声を最も美しく響かせるため」に設計されているのだ。カレン・カーペンターの、ベルベットのように滑らかなアルトボイス・・・そして、ビリー・アイリッシュの、吐息混じりのウィスパーボイス・・・二人とも、決して叫び散らすことはないが、その繊細な歌声は、どんなパワーボーカリストよりも深く、私たちの心に突き刺さる。控えめだからこそ、そこにある感情の揺らぎがリアルに伝わってくる。時代もサウンドも違えど、彼らが証明したのは「家族という最小単位のユニットが、時に世界中の耳を虜にする」という事だ。ビリーの『Happier Than Ever』の後に、カーペンターズの『Yesterday Once More』を並べて聴くと、数十年という時間を超えて、二組の美しい共鳴が聞こえてくる。 カレンカーペンターが、亡くなる前最後に録音した「NOW」.カレンはこの世にはいないが、ビリーアイリッシュはどんなミュージシャンになってゆくのだろう?
洋楽を永年聴いてきて、素晴らしい、美しい、最高だ、感動的だと思えた曲はたくさんある。★「Be My Baby」1963年発表されたロネッツが歌った切ないポップソング。この曲のアンサーソングと言われているビーチボーイズの「Don’t Worry Baby」も最高のポップスだ。1996年のビーチボーイズのアルバム「Stars and Stripes Vol. 1」の1曲目で、カントリーのロリーモーガンが、ビーチボーイズと一緒に歌っているバージョンもなかなか味わい深い。★「Alfie」1966年発表されたハルデヴィッド&バートバカラックコンビの最高傑作。★「Joanna」トニーハッチの作品で、1968年スコットウォーカーが歌った60年代最高のラブバラード★「Bridge Over Troubled Water」1970年発表されたサイモン&ガーファンクルの代表作。バックでラリーネクテルのピアノ、ハルブレインのドラムスらが支えている。★「What's Going On」1971年マーヴィンゲイがリリースしたR&B最高の歌★「Rainy Days And Mondays」1971年リリースされたロジャーニコルス&ポールウイリアムス作品でカーペンターズが歌った切ないバラード★「My Love」1973年リリースされた「イエスタデー」と同じくらい美しいポールマッカートニーの最高のラブバラード★「After The Love Has Gone」1979年アースウインド&ファイヤーが歌ったAORミュージック最高峰のラブバラード。エアプレイ(デビッドフォスター・ジェイグレイドン)のバージョンも素晴らしい。★「Songbird」1986年、ケニーGの甘いソプラノサックスが奏でる哀愁を帯びた美しい曲。★「I Just Can Stop Loving You」1987年リリースのマイケルジャクソンがサイーダギャレットとデュエットした、美しいバラード★「The Prayer」1999年リリースされた、デヴィッドフォスター・キャロルベイヤーセイガーの作品で、敬虔な気持ちになり、思わず涙してしまう歌。セリーヌディオン&アンドレアボッチェリのデュオが素晴らしい。★「Don’t Know Why」2002年ノラジョーンズが歌ってグラミー賞主要部門を独占した超おしゃれなバラード。ちょっとけだるいが、肩の力が抜けて癒やされる。昭和、平成、令和になっても、私は、ロネッツの「Be My Baby」か「ビーチボーイズの「Don't Worry Baby」が、この世で最高のポップスだと今なお思う。
地球は年々温暖化に向かっているようだ。でも我が家の近隣では桜とチューリップが満開で、まだまだ日本の四季は体感できる。今年も夏は暑くなりそうだ。25度以上が「夏日」、30度以上が「真夏日」、35度以上が「猛暑日」さらにその上を表現する言葉として40度以上が「酷暑日」と言う名称が先日発表された。また数年後、45度を超えたら「激暑日?」「熱暑日?」「狂暑日?」私はケニー爺と名乗っているくらいだから、当然ソプラノサックス奏者Kenny Gのファンであることは言うまでもないが、ほかにも好きなケニーはたくさんいる。カントリー界の大御所ケニーロジャースの「She Believes In Me」「You Decorated My Life」などのバラードは梅雨や猛暑の夏より秋の夜長に聴くには最高だと思う。ジャズギタリストのケニーバレルの名演奏「Midnight Blue」は都会的な上質のブルースだと思う。ジャズピアニストのケニードリューはやさしいタッチのピアノ演奏で、ベイシストのニールスHペデルセンとの絶妙のコンビは絶品だ。そしてケニーロギンス!1970年代ロギンス&メッシーナというデュオグループで活躍。「プー横町の家Return to Pooh Corner」「ママはダンスを踊らないYour Mama Don't Dance」や「愛する人Thinking Of You」が有名だ。ケニーロギンスは1976年以降ソロ歌手として次々とヒット。ケニーロギンスと言えば1984年の映画「フットルースFootloose」が有名だが、むしろ彼の真骨頂はバラードにあると私は思うのだ。1978年、スティーヴィー・ニックスと共演した「二人の誓いWhenever I Call You Friend」がヒット。作曲家としても、1979年第22回グラミー賞で、主要部門の最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞の2部門を受賞したドゥービー・ブラザーズの「ホワット・ア・フール・ビリーヴスWhat a Fool Believes」をマイケル・マクドナルドと共作したのがケニーロギンスである。1983年のアルバム「ハイ・アドヴェンチャーHigh Adventure」に収録されている「ハート・トゥ・ハートHeart to Heart」は美しいバラードだ。デヴィッドフォスターとマイケルマクドナルドとの共演は圧巻だ。1984年の映画「フットルースFootloose」のテーマ曲1985年アルバム「ヒューマン・ヴォイスVox Humana」の中の「Forever」も、美しく切ないバラードだ。1986年の映画「トップガン」の中で歌われた「Danger Zone」1987年の映画「オーバーザトップ」の中で歌われた「心の夜明けMeet Me Half Way」「For the First Time」「The Rest of Your Life」など、爽やかで、ちょっと悲しく、そして温かみのある素晴らしいバラードを歌うシンガーである。1985年あの「ウィアーザワールド」でもブルース・スプリングスティンとスティーブ・ペリーの間で一節歌っていたが、味わい深いものだった。1990年代以降も、地道にアルバムをリリース。2005年にはロギンス&メッシーナを再結成。大規模な全米コンサートツアーを行ない、アルバム Loggins and Messina Sittin' in Again をリリースした。1996年アメリカのテレビドラマ「素晴らしき日OneFineDay」で歌われヒットした「フォー・ザ・ファースト・タイムFor the First Time」・・・これが私の一番好きなロギンスの歌である。ジョージクルーニー、ミシェルファイファーのコンビが良かった。
ロックの歴史を語るとき、最初で最大のヒット曲はなんたってBill Haley & His Cometsの「Rock Around The Clock」である。この曲のタイトルの意味は不明だ。ロックとクロックの単なる語呂合わせなのだろうか?ラウンドつながりで、ジャズの名曲「’Round Midnight」は名曲だ。セロニアスモンクやマイルスデイヴィスの演奏は不滅だ。通常、Rの前に「‘」が付く。と言うことは「Around Midnight」と言う事のようだ。真夜中にウロウロ徘徊する高齢者の事ではなさそうだ。ミッドナイトつながりで、1970年代の曲で私の大好きな1曲がマリア・マルダーの「Midnight At The Oasis」である。何十回いや?何百回と聴いた。独特のリズムとちょっと気だるい切ない歌声がたまらない。真夜中つながりで、若い頃見た映画「真夜中のカウボーイ」で歌われたハリーニルソンの「うわさの男」は映画に見事にマッチした最高の歌だ。実はニルソン自身この映画のために「孤独のニューヨーク」と言う曲を作ったが、これは不採用となった。そしてフレッドニールの作品をニルソンが歌ってグラミー賞を取ってしまったのは面白い。夜中つながりで、シカゴの「25 Or 6 To 4」と言う歌がある。シカゴが反体制?のロックバンドだった頃の画期的な作品だ。何が画期的かといえば、当時ロックと言えばベースとギターとドラムスが当たり前だった。そこに管楽器を加え音に厚みを持たせた。当時ブラスロックともてはやされ、ブラッドスエット&ティアーズやチェイスなどと共に一世を風靡した。「25 Or 6 To 4」を日本語に直すと、午前4時25~6分前ということになる。ちょっと朝に近づいてきたが中途半端な時間だ。数字つながりでシーナイーストンの「モーニングトレイン9to5」。これは5時9分前ではなく、9時から5時と言う意味の歌である。旦那が9時から5時まで働いて家に帰ってくると言うほほえましい?歌だ。(逆に午後9時に寝て午前5時に起きる私は、真夜中というものを知らない。)シーナイーストンは007ユア・アイズ・オンリーの主題歌を歌う歌手に抜擢され、1981年度(第24回)グラミー賞では最優秀新人賞に選ばれ、1980年代大活躍をしたシーナイーストン。10数枚のアルバムを出したシーナイーストン、2000年以降私はあまり目立った活躍を知らない。 1959年4月27日生まれの66歳。発売したアルバム1981年「モダンガールTake My Time」「涙のブロークン・ハート You Could Have Been With Me」1982年「マシーナリーMadness, Money & Music」1983年「秘密Best Kept Secret」1984年「スペインの休日Todo Me Recuerda a Ti」「プライベート・ヘブンA Private Heaven」1985年「ドゥーユーDo You」1987年「ノー・サウンド・バット・ア・ハート」No Sound But A Heart」1988年「ラヴァー・イン・ミーThe Lover In Me」1991年「ホワット・カムズ・ナチュラリーWhat Comes Naturally」1993年「ノーストリングスNo Strings」1995年「マイ・シェリーMy Cherie」1997年「フリーダムFreedom」1999年「ホームHome」2001年「ファビュラスFabulous」シーナイーストンの正しい名前の覚え方嫁さんが旦那に「あんた、仕事もせんと、遊んでばっかり、エエ加減にしいな!いーすとん!」
今日はまず、頭の体操。次のひらがなを並べ替えてことわざを作ってください。答えを聞いてしまったら何でもない。考えるプロセスが脳の老化を防ぐらしい。①めをはにめ②たこひいねの③いしざのたん④らぬとしけがほ⑤になうかおぼに⑥いるいむくしっ⑦とかほうでんのう⑧をいとはよもぶる⑨あまやあにたりり⑩もにごまょしいう正解は文末に。昔、素晴らしい作詞家がいた。ハワードグリーンフィールドである。彼は主にニ―ルセダカとコンビを組んで数々のヒットを生んだ。二―ルセダカが歌った「悲しき慕情Breakin Up Is Hard To Do」「カレンダーガールCalendar Girl」「すてきな16才Happy Birthday Sweet Sixteen」「小さな悪魔Little Devil」「おお!キャロルOh! Carol」「恋の日記The Diary」コニーフランシスが歌った「間抜けなキューピッドStupid Cupid」「フランキーFrankie」「ボーイハントWhere the Boys Are」「ブロークンハートBreakin' in a Brand New Broken Heart」フィフスディメンションが歌った「パペットマンPuppet Man」キャプテン&テニールが歌った「愛ある限りLove Will Keep Us Together」など名曲がずらり!1936年3月15日生まれで、1986年3月4日49歳と言う若さで亡くなった。最近のポップスの世界で感じるのは、素晴らしい作品もあるが、中にはコンピュータを駆使して音を作り、コピペしたようなフレーズをちょいと加工して出来たような薄っぺらいポップスを、自称シンガーソングライターが発表、Youtubeにアップし、それがまた売れる時代だ。昔は基本的に作詞家、作曲家、歌手と分業されていた。餅屋は餅屋。ああ昔は良かったと愚痴を言う爺である。頭の体操の答え①目には目を②猫の額③他山の石④知らぬが仏⑤鬼に金棒⑥一矢報いる⑦伝家の宝刀⑧類は友を呼ぶ⑨山あり谷あり⑩馬子にも衣裳
アメリカの宇宙船オリオンが2026年4月、地球から最遠の406771キロを飛行した。凄いぞ!1970年のアポロ13号の記録を更新したそうだ。1969年アポロ11号が月面着陸したニュースは当時衝撃的だった。私もリアルタイムでテレビを見ていた。ただ、私は今でも月面着陸を疑っている。今から50年以上前に、本当にそんなことが出来たのか?ソ連(ロシア)に対抗するため、偽情報や映像を流したのではないか?国家ぐるみのフェイクニュースじゃなかったのか?月面着陸よりもう少し前、活躍したグループの話。キャス・エリオット&ミシェル・フィリップスって誰やねん??知らんわ。当然や。1960年代に活躍したシンガーなのだ。ジョンフィリップス、デニードハーティ、キャスエリオット、ミシェルフィリップスは1960年代中頃に大活躍したママス&パパスのメンバーである。「青空を探せGo Where You Wanna Go」「夢のカリフォルニアCalifornia Dreamin'」「マンデー・マンデーMonday Monday」「アイ・ソー・ハー・アゲインI saw her again」「愛する君にDedicated To The One I Love」などヒット曲がたくさんあった。「愛する君にDedicated To The One I Love」は素晴らしい曲だ。1941年9月19日生まれのキャスエリオットはグループの中心的存在で、歌も上手かった。グループは男女各2名で構成していたが、ママス&パパスは、イロイロ複雑な人間模様であった。そもそもジョンとミシェルは夫婦だった。そしてキャスはデニーが好きだった。ところがデニーとミシェルが不倫騒動を起こし、おそらくギクシャクした人間関係であったことが想像出来る。ミシェルは他でも不倫問題を起こしている。結局1968年事実上解散し、キャスはソロで実力を発揮する。「Dream a Little Dream」「Bubblegum, Lemonade, And... Something for Mama」「Cass Elliot」「The Road Is No Place for a Lady」「Don't Call Me Mama Anymore」など素晴らしいアルバム目白押しだ。ところが1974年7月29日、公演の為にイギリス滞在中だったキャスは心臓麻痺で亡くなった。彼女の名誉のために言っておくが、麻薬とは無関係で、ましてやサンドイッチを喉に詰めて死んだと言ううわさは嘘である。ハリーニルソンがオーナーをしているロンドンの俗に「Death Flat」と呼ばれているアパートで32歳と言う若さで死去。あまりにも若すぎる死だ。ちょっと怖い話だが、その4年後ザ・フーのドラマーであったキース・ムーンが同じアパートの同じベッドで同じ32歳で亡くなったそうだ。キャスエリオットは一般的にはママキャスと言う愛称で呼ばれていたが、本人はそれを嫌っていたようだ。最後のアルバムタイトル「Don't Call Me Mama Anymore」がそれを物語っている。ママス&パパスのメンバーだったキャスが1974年、ジョンが2001年、デニーが2007年に亡くなり、存命なのはミシェルだけになってしまった。ミシェルフィリップスの歌はそんなにうまいとは思わなかったが、ルックスに「華」があった。ソロアルバムはジャックニッチェらがプロデュースした「ヴィクティム・オブ・ロマンス」だけである。ただその美貌ゆえ、女優として別の道を歩んだ。どれも脇役だが「バレンチノ」「華麗なる相続人」「バニシングレッド」「スイートウォーター」「シザーズ氷の誘惑」などに出演。グループから女優に転身したソニー&シェールのシェールはアカデミー主演女優賞をとったが、ミシェルはそれほど成功したわけではない。最後に、昨年亡くなったソングライターのロジャーニコルスの2枚組アルバムの中に、懐かしいミシェルフィリップスの歌声が収録されていた。キャスエリオット程歌は上手くないが、名曲「No Love Today」は味わい深い。ミシェルフィリップスは1944年6月4日生まれの81歳。