いまのぼくらはコンピューターを使って文章を書いているけれど、基本的には紙とペンさえあれば書くことが出来る。かっこよくいえば紙は盾、ペンは剣だ。

同じように歌も旋律と歌詞があって成立する。旋律という盾に守られて、ぼくらはメッセージを投げかける。けれどそれは決して誰かを責めるものではなく、未来を切り拓こうと攻めるためのものだ。

そしてまた音楽があるから人は歌え、踊ることが出来る。なくても生きてはいけるものかもしれない。けれど音楽がない世界ほど味気ないものはない。つらい困難に直面した時、人はいつも音楽に救われてきた。貧しくても、音楽でほんの少しでも日々の生活を豊かにできたはずだ。そしてそれを守ろうと必死になって戦ってきたつもりもある。

いま、その戦いが極めて厳しい戦局に直面している。もはや攻めるべき相手は未来ではなく、同じ志を持ったもの同士が生き残りをかけて内紛を繰り広げているようなものだ、なんて最近思うことがよくある。つくづく悲しいことだよ。

確かに疑問に思うことは数え上げたらキリがない。こうなった原因を作り出した誰かがいるのも否定できない事実だろう。

でもぼくの戦い方は少し違うのかもしれない。

モノがあふれかえるこの時代、人々が音楽を必要としないというのなら、ぼくは潔くこの希望の剣を置くだろう。

だって、なくなりゃ欲しくなるだろう?

そしたらいつかまた蘇るんだ。

たとえその時もう自分がいなかったとしても。

希望は剣、絶望は糧、想い出は盾、未来は自由

ほんとうはそう伝えたかったんだ。

でも、まだかざした剣の刃が希望の光を映してきらめく瞬間がある。

だからもうしばらくは剣をおさめることはないだろう。

いまはまだそれがこの手に握られてるんだ。

そう信じているから。

いつまで信じていられるか、正直あまり自信はない。

引き際が近づいているのかもしれない。

畏れはない。

ぼくはその時、己の美学を貫き通すだろう。

そんな時が来ないことを祈る。

君の心に、

祈る。

神ではなく、

君の心に。