ってさ、

なんか夢がなくない?

憲法で平和を謳ってるけどさ、

結局政治家同士の争い、言い換えれば戦争で終わっちゃってるような気がするんだよなぁ。

後世になにかを残すための戦いならまだしも、議席数という領土を奪いあってるだけのような気が・・・

20世紀は競合の時代、21世紀は共存の時代、とかいうじゃない?

奪い合いからはなにも生まれて来ないよね?

ともに生きていこうっていう気持ちがどうして持てないんだろう?この国って。

例えばオーストラリアとかはさ、はっきりと詳しいことは覚えてないけど、年収確か400万円くらい超えると一気に税率が上がっちゃうんだよね。なのに休みを取ると休日手当て、ってのが支給されるらしいのさ。「国民よ、働き過ぎるな、人生を楽しめ!」って事がいいたいんだと思うのだよ。

だからみんなとてものんびりしてる。家族を大切にするし、だからリゾート産業が発達する。当然雇用は確保されるし、消費も極端に減退することがない。収入自体は多くなくなるからインフレもなくなる。自然というあの国独自の文化も守られる。

そりゃ確かに国土の違いとか国際上の立場とかいろいろあるさ。でも同じ島国でしょ?

ヨーロッパに行けば馬に乗った警察官とか、まるで競輪選手のようにカラフルな自転車とユニフォームで町を走り回る警察官とかがいるじゃない?やってることは同じ警察官なんだけど、公務員になりたいなー、とか思える空気があるわけさ。でもそれは決して見てくれだけじゃなくて、歴史が築いてきた都市景観を守るとか空気を汚さないように、っていう発想の基盤があるわけだ。

ぼくの生まれた国、人種的な問題を抱えたアメリカには肌の色を越えた世界という夢があって、それが実現したことであの国の可能性は大きく広がったんだと思う。いろんな人が活躍する舞台が拓けたでしょ?もちろん大きな所得格差という問題はあるけど、それが逆に生きるために働くという考え方をあの国に根付かせている部分もあって、そのためにセイジがあるという発想が成立しているんだと思う。もっともドルの垂れ流しはいただけないけどね。

文化は時代のパフォーマンスだと思うし、歴史は時代の物語。だから真の意味でのエンターテイメント的な要素がなきゃいけない。

確かに二ホンは戦争で焼け野原になったのかもしれない。

守るべき歴史や文化を喪失してしまったのかもしれない。

でも思うんだ。

なくしてしまったのなら、創ればいいじゃないか、って。

それって、夢、じゃない?

ぼくらの次の世代が、心からぼくらにありがとう、って言ってもらえるような世界を創造すること。

もちろんいろんな事情があるんだろうし、セイジはキレイゴトじゃないのかもしれない。もしぼくが政治家になってもなにもできないかもしれない。「ならおまえがやってみろ」といわれたってできないだろうよ(ヒラキナオリデス)。

だけどさ、目に見える文化財といわれるものはほとんど消滅してしまったけど、そんな日本には技術っていう目には見えない立派な文化が継承されている、とぼくは思っている。

ハイブリットカーや電気自動車を創る発想がある。

ならば、例えばの話ね?

選挙で当選した政治家には移動車にハイブリッドカーを支給する、とかさ。

毎年何パーセントのCO2削減を実現している、とかいう実績は数字として讃えられるべきなんだろうけど、そういうんじゃなくて、もっと他の方法で日常生活の中に取り込んでアピールすることで国民に環境問題を根付かせるっていうことはできんもんなのかな?数字でいわれても環境問題に対する意識向上には繋がらないと思うんだ。

そういう所にも政治と国民がしっかりと繋がっていない脆弱性が現れているんだと思う。国民は政治の土台だという意識の薄さ、とでもいうのかな?バブルの時のように国民だって自分がよければ、いまがよければなにも考えないみたいな無責任さがあるでしょ?でも弾けたら途端にものをいうようになってしまう身勝手なところがある。

責めるべきは政治家だけじゃない、ぼくら国民だって問題意識が欠如し過ぎてるんだ。

政治とともに国民の問題意識も育っていくような国が理想なんだろうなぁ。

ニュースを見る度に思うのさ。

政治家が黒塗りの大排気量の車から降りてくるでしょ?

見てる方からしたらいい思いするわけないじゃない?

ただでさえ不景気だっていうのに。

政治家はなにも国会議員だけじゃない。地方議員までいれたらいったい何台のあの高級車が使われているのか?あれが全部政治指針をテーマにしためっちゃかわいいデザインのプリウスとかになったらすごいオシャレじゃない?なにも有名なデザイナーのものである必要はないんだ。有名無名に限らずコンクールで選ばれたものにすればいい。日本のグラフィックデザインは世界でいま最も注目されているほどの感性と才能が満ちあふれたジャンルなんだから。それに芸術なら子供たちだって参加できる。

とか、

定額(低額?)所得減税でどれだけの有効需要が創出されたのかわからないけど、¥12,000の使い道って、もっと他になかったんだろうか?とか考えちゃうんだよね。

働いている人は一月に一度ランチ代を全額支給するとか。まあいうても¥1,000だけどさ。その一日をいつにしようか?その時はどこに行こうか?とか誰といこうか?とか考えるわけじゃん。それって楽しみにもなるし、食文化の向上にもなる。食文化も日本の代表的な文化だし。

なーにアホみたいなこといってんだ!って怒られるかもしれないけど、例えばの話だからね。ぼくがいいたいのはその一瞬で終わってしまうお金じゃ意味がないんだということ。日常生活の中に継続して存在することで「考える楽しみ」という付加価値がふくらんでいくお金の使い道が他にあったんじゃないか?って。


かつて政府専用機の機内仕様を企画させてもらったことがあるんだけど、ある問題に直面して困惑したことがあるんだ。

赤絨毯・・・国側から指定された赤絨毯を機内に敷くと飲み物や食べ物を収納したカートの車輪に絨毯の毛が絡みついて動かなくなる。それを説得させるのにえらい手間取った記憶がある。

その時は気づかなかったけど、あれぜーんぶ税金だったんだよね。

はぁ。。。選挙っていわれてもねぇ。選びたい政党はないのにどこかに入れなきゃならない。正直な話、どこに入れても、誰に入れてもきっと変わんないんだろうなー。とぼやいているのは、ぼくだけかい?

ぼくは政治家に知人はいないけれど、個々人を見ればそういう発想を持った政治家だってきっといるはずなんだと信じている。でもなぜか集団になると個性は消されるのがこの国のお国柄。

日本に文化がないっていってるわけじゃないんだ。

日本の政治には文化がない、ような気がする。

こういう言い方じゃダメか、

政治家の皆さん、

日本の政治には文化がある、と世界に胸を張れるような国にしてくださーい!