ぼくの公式サイトをよく読んだ事がある人なら、
この言葉に憶えがあるかもしれない。

バベルの塔、
それは世界中の人が結集して創り上げようとした、
神の住む天空の世界を目指して創り上げたといわれる、
旧約聖書「創世記」に出てくるあの塔の事だ。

人間のこの行動は神の逆鱗に触れ、
天空という境界線を超えようとしたこの塔を
たたき壊したともいわれている。

そして塔に居た人々は世界中に散り散りになり、
それぞれ別な言語を持たされて、
二度と再び集結する事のないようにされた。

ぼくはいまでも、
このバベルの塔が言葉で創りあげられていた、
そう思っている。

だからたたき壊された時、
千切れ、ゆがみ、世界中に飛び散った言葉が、
その地で拾われ、
繋ぎ合わされ、
言語ができた、
なぁんて思ったりもする。

その根拠は?

たとえば、
英語で犬小屋をkennelというけど、
犬寝ると日本語で書くとケンネルになる。

いやいや、
駄洒落じゃないんだ。

たとえば、
日本語でも英語でも、
寝る時にみる夢をdreamというけど、
未来に描く希望や願いもまたdreamというでしょ?

どちらも確実に異なるものなのに、
おなじ単語で表現しているじゃない?

こういうのって、
他にもいくらでもあるんだよね。
言語学的にとか、
疫学的な見地からみるとどうなのか?
なんてこたぁわからないけど、
すくなくともどんなに違うように思える言語でも、
どこかにかならず似たような意味や響きがある。

これって、もしかしたら、
かつて世界中の人々が、
おなじ言語を用いて、
バベルの塔を建てようとしていた名残なのかも、
とか思ってしまったりするわけよ。

ってことは遥か昔は世界は一つだったって事?

戦争の原因を作ったのは、もしかしたら神さまって事?

言葉の壁が厚いのは、国を超えて仲良くするな、って事?

わからん・・・

そしてわからぬまま、
いつかぼくらは朽ちていく。

でも、
朽ち果てるまで、
ぼくは夢を見続けていたいと思う。

どちらのゆめも。

「眠れぬ夜の戯言」より