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『黄金の塔~Frightening~』


なにかよからぬ予感がする時
そこには必ず理由がある
畏れを感じるのは
ただぼくらがその理由から
目を逸らしているからなのかもしれない


 この作品を現像する上で抱いていたイメージはバベルの塔。当時の全人類が結託し神のいる天にまで届くような塔を建設しようとして神の逆鱗に触れ、叩き壊された塔。その結果人類は世界中に散り散りバラバラに吹っ飛ばされ、神さまはその場所ごとにそれぞれ違う言語を持たせて二度と結託できないようにしたんじゃないかというようなお話。

 公式サイトにある小説ゼロの中で主人公「ぼく」が恋人の月子に「バベルの塔はなにを積み上げられて創られていたのか?」と問いかける場面があるんだけど、「言葉で創り上げられていたんじゃないか?」という結論に至ります。

 めちゃめちゃCrazyなDrug storyなんだけど、その中で主人公「ぼく」はいくつものはちゃめちゃな哲学観を紡ぎ出していきます。統合失調症に苦しむ「ぼく」は顕在意識と潜在意識の熾烈な争いを思考の中で繰り広げ、いつしか顕在意識が潜在意識に呑み込まれていくというという破滅的な物語なんだけど、その中で繰り広げられる哲学観はすべて聖書や仏典、古事記、日本書紀、万葉集、ギリシャ神話、アポリネールの「アルコール」という詩集なんかから引き出されていきます。

 この物語のベースにあるのはラカンというピカソなんかの主治医だったフロイト派傍流の精神分析学者が唱えた鏡像段階論という人格形成過程に関する独自の論文なんだけど、だから鏡がたくさん出てくるちょっと不気味な物語。とてもじゃないけど映画になんて出来ない物語です。

 異なる言語を持たされた人間は民族を形成し、宗教を創り上げ、その後民族間紛争、宗教論争を繰り広げそれが戦争に繋がっていくわけですが、これも神さまが自分の潜在意識の中に作り上げた「人間界」という世界に棲む「人類」という別の人格が自分の顕在意識の壁を破って来るのを畏れるあまり、人類の矛先を神さまの中にある顕在意識と潜在意識=「人間界」の境界線である空ではなく地面という平面上に閉じこめるためにやむなくとった行動ではないかという持論に変わっていきます。小説を書く「ぼく」は自分が登場人物にとっての神ではないかという妄想から、戦争を創り出したのは自分の一つ上の階層にいる神さまの苦し紛れの抵抗だった=神さまにも統合失調症がある、というむちゃくちゃな結論に達するわけですが、それを書いたぼく自身、あながちそれも間違えとはいえないんじゃないかという予感がしています。

 え?わけわからないって?

 そうだよね、わけわからないよねー。あの小説自体、Morning after pillなんかと比べると遥かに難解な作品だと思います。でも、好きな人は好きかも。一度足を踏み入れたらなかなか出てこられなくなるし、書いてる方もおかしくなりそうになるけど。

 そこまでして宇宙を目指すことに価値があるのか?宇宙を目指すことよりも先にやるべきことがあるんじゃないのか?征服することより守るべきものを守ることの方が大切なんじゃないだろうか?

 そんなことを思ったりするわけです。それでこんな作品に創り上げてみました。本当はもっと明るくて優しい教会なんだけど、すみません、神さまm(__)m

 ぼくがいつか開くこの写真展で伝えたいのはそんなことなんじゃないかと思います。もうあとわずかでこのMind diaryも終わりを迎えますが、世界中を旅していく中で感じたそんなぼくの漠然とした思いのほんの一かけらでも伝えられればいいんだけどね。そこまでうまく写真で伝えられるのかどうか?正直自信はありません。

 残りあと3作品、おつきあいくださいね。

Kenn