AmebloDayDreamerinParis 『Day Dreamer in Paris~逃避~』

07.AUG.2003 PM1:46
華やかなパリの町の裏通り、
いま彼はどんな夢を見ているのだろう?
ここもまた、
夢と現の狭間にある空間なのかもしれない・・・


 本当は全作品カラーで統一した方がいいんだとは思うんだよね。だけど、見栄えより伝えたいことの方が優先順位高いからこれも空蝉に続いてモノクロで出すことになると思う。この写真は歩きながらのノーファインダー撮影、だからブレとか構図とかそんなものはどうでもいいんだ。

 ただ描きたいのは光と影。世界一華やかな街の表と裏。それだけだから。

 結構いい男だし、アクセサリーなんかしちゃってるし、ボロボロだけど腰に巻き付けているコートもそんなに悪いもんじゃない。もちろんどこから持って来たのかは知らないけど。

 こんなに若い青年が、こんな場所でホームレス生活を送る理由ってなんなんだろうか?

 挫折?失恋?リストラ?

 ちょっと怖かったけど、思いきって引き返し拙いフランス語で尋ねてみたんだ。

 クスリ・・・かつてセーヌ川の向こう側にあるブローニュの森に蔓延していたクスリとそこに集うゲイたちの話を思い出した。

 なぜこんなところで暮らしてるかって?

 おうむ返しに応えた彼はそのまましばらく黙ったままになってしまった。それからしばらくして、

 「タバコ持ってるかい?」

 そう聞かれたので持っていたタバコを差し出した。火をつけてあげると彼はうまそうにそれを吸い込んでから、煙りと共にひとこと吐き出した。

 「虚無」

 「虚無感?」ぼくは聞き返した。

 「違う違う、ただ・・・何もなかったんだ、ここには、はじめから」

 それっきり彼は口を閉ざしてしまった。ぼくは残りのタバコをあげてから写真を撮っていいか頼んでみたけど、あっさり拒絶されちゃったよ。

 詳しいことはわからない。でも彼のフランス語には訛りがあったから、きっと何かを夢見てパリまで出て来たんだろう。たぶんフランス人だとは思うけど、それも定かじゃない。不法滞在がゆえにこうやって暮らしているのかもしれない。なんの根拠もないけどね。

 real Emotionという詩を書いたことがある。FF-X2の主題歌でもありFFの主人公とこの詩を歌った彼女の動きをMotion Captureで重ねたり、何かと話題が多く、ゲーム自体もヒットしたおかげもあってか大ブレークした。

 これだけのタイアップだから当然歌詞の内容はFF-X2の主人公の生き方に内容を合わせてはある。でもこのゲームが過去のものとなってしまうことで歌詞が成立しなくなってしまうのでは詰めが甘すぎる。タイアップなしでも単体で存在し続ける詩、それを描ききらなくてはならない。だからぼくは入学、就職、転勤、留学なんかで初めて大都会に足を踏み入れた時、仰ぎ見るビルの大きさに圧倒されそうになりながらもなんとか押し潰されずに生き抜こうとする人の心をこの詩に重ねた。そもそもこの詩を歌ってくれた彼女自身、京都から東京に夢を抱いて乗り込んできた根性の持ち主だ。これなら彼女の詩にもできる、そう確信して書いた記憶がある。もちろんバーチャルなゲームの世界でリアルな感覚を楽しんでもらいたいというクライアントサイドの意向を活かしたタイトルにしたり、ElectronicのEだけを敢えて大文字にするといった細かい配慮も欠かさなかったし、詩の中にアーティストとゲームの主人公のキャラが被る部分を探して描いたりすることで結果的に直しもなく驚くくらいスムーズに決定稿になった作品でもある。

 いまではその彼女も日本最高峰の歌姫となり、驚くべき実績を上げていくようになった。1枚目のアルバムで5~6曲書いたのを最後に彼女に書くことはなくなってしまったけど、後輩たちがブレイクしていく中でその悔しさにくちびるを噛みしめながら耐え、あきらめずによく頑張ったと思う。

 けれどご存知のように、メディアを通じて発した無防備なひとこと、たったひとことで彼女は一挙に窮地に陥ってしまった。失ったものは計り知れない、あらゆる意味で人に与えた影響も大きい。もちろん一方で彼女を擁護する意見もあるが、おなじレコード会社に所属するぼくの口からはそんなことはもちろん言えるわけがない。

 ただ一つ言えるのは、彼女には歌うことしかないということだ。歌うことをやめてしまえば、罪深き無防備なひとことが他人の心に、そして自分自身の心に与えた傷を放置したまま逃げ出すことになる。だからぼくは敢えていう、

 「たとえどんなにたたかれても彼女は歌い続けるべきだ」

 歌を通じてそこから学んだ何かを世に伝え、自らの過ちを許してもらえる日が来るまで、自らの言葉でそれを伝えていくしか贖罪への道はない。言葉を扱う者として、自らの言葉の与える影響力の恐ろしさをぼく自身学ばせてもらった事件でもあった。

 いまの気持ちを詩に変え、そしていつしか多くの人々の心を癒し、しあわせを感じさせることができるような詩が書けるようになったら、その詩から得られるものすべてを寄付すればいい。もちろんカネでカタをつけろということではない。いま一度初めて東京に来た頃の初心に帰り、この事件をバネにして再び返り咲いた時にきっと初めて人の痛みを知り、思い遣ることのできるアーティストになるはずなんだ。そういう作品が描けるようにならなければいけないんだ。本当の意味での本物になって、その上で、高齢期の出産で不安を抱える人々を支えるための歌を捧げればいいと、ぼくはそう思うんだよね。

 落ち込んで、引き篭もってそれこそ「逃避」していたところで何も変えることはできない。自責の念にかられるのなら、たとえ何本その身に矢を受けたとしてもステージに立ち続け、歌い続けることで変えて行くしかないのだ。大丈夫、キミはその道を一度通って来ているのだから。

 あ、そういえばXちゃんねるで「リアルな世界に揺れてる感情 感じても」という表現でコトバがダブってるとかいわれたことがあったよなぁ。でもあれはね、歌を考えている時に友達と話していた日常会話から拾ったものなんだ。「なんかさ、そういう抑えきれない感情って、感じたことない?」なぁんて友達どうしの会話の中で出て来たものをそのまま使わさせていただいたからなんです。繰り返す語感で力強さを出したかったっていうのもあるんだけど、それよりさ、それがなによりリアルでしょ?(笑)

Kenn