Ameblo���u 『イノー~恵み~』

沖縄ではこの緑のサンゴ礁をイノーと呼ぶ。
イノーには右手に見えるヤンバルの森から
養分豊かな水が流れ込み、
その水が太陽の力で海から蒸発し、
雨となり、再びヤンバルの森へ帰る。
亜熱帯植物の巨大な葉っぱが傘代わりとなり、
雨は直接地面に当たらないため
肥沃な土壌が海に流出することがない。
こうしてヤンバルの森とイノーには、
多くの魚や珍しい生き物たちが
たくさん暮らしているのだ。
新種の昆虫も発見されるような、
ほぼ完全な生態系がこの小さな島で
形成されている。
まさに自然の恵み、ぼくらの宝物だ。

これを壊せと、君には言えるかい?



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 なぜだろう?昨日急にアクセス数が一気にアップして、これまで一日に600~900だったのが1400件を超えた。昨日は急患も入り更新もできなかったというのに、なぜ?まったく心当たりがないのもなんとなく不気味だなぁ・・・誰か理由のわかる人、教えてくださーい!

 今朝書き上げた作品は、必ずしも納得のいくものではなかった。けれどおれだって人間だ。昨日のライブで育成者としての自分の至らなさを思い知り、かなり落ち込んでいる精神状態で書いたのだからムリもないとは言え、ひさしぶりに、いや数カ月前にもあったな、自己採点70点代の作品を出さざるを得なかった。ちょっと疲れてきたかな?

 まぁ、たまにはこういうこともあるよな・・・

 作詩にも作曲にも発注形態はふたつある。一つが単独発注=いわゆる決め打ち、もう一つがコンペだ。
作詞家になって間も無い人は単独発注、即ちひとりの作家を指名して制作していく発注をほしがる傾向にある。そりゃそうだ、自分の作品が採用されるのはほぼ決定してるんだもん。

 それに対してコンペは作曲だとへたすりゃ数百曲を集め、その中の一曲を選んで、更に作詞で30~40編の作品を集めて一編を決める。つまり、確率は作曲家で数百分の一、作詞家で数十分の一になる。残りは全部ボツ、お蔵入りか、曲の場合運が良ければ次回にキープというのが関の山。作詞は一見完璧お蔵入り:_:

 作曲家は曲をストックしておけるからいいけど作詞家はメロが変われば字数が変わるからストックが効かないと通常いわれている。だから書いても書いても決まらないコンペはしんどくてイヤになっちゃう作家が多い。

 そんな思いに苛立ちを覚える作家のみなさん、そんなに気落ちしなさんな^^コンセプトやキーワード、タイトルなんかは後々使える機会が巡ってくることもあるからまるでストックにならないってわけじゃないじゃない?決まらなかったのは自分の作品力が足りなかったこともあるかもしれない。でも自分の作品にも力があったんだけどたまたま自分よりもっといいのが出てきたりしたとか、自分のカラーがその人にあわなかったからとかいうこともあるんだ。だからコンペでも投げやりにならないでしっかり書き込んでいれば、ボツになっても自信をなくす必要がなくなる。「あれでダメなら仕方ない、あわなかっただけだ」と割り切れるし、そのテーマやキーワード、タイトルなんかをいつかリサイクルしてヒットさせてやればいいだけのこと、でしょ?

 逆に決め打ち単独発注の方がしんどいんだよ、実は。だって一発で決まりゃ楽だけど、場合によっては何度も書き直しを迫られたりする。事務所やレコードメーカーの意向、アーティストが売れてれば本人の意向もあるし、タイアップがあればそのクライアントの意向もある。それらが全部違うベクトルを持ってたりすると気が狂いそうになる。あっち立てればこっちが立たず。でもその矛盾を全部自分一人で呑み込んで、みんなのOKが出るまで書き直し続けなければならない。

 ちなみにこれまでぼくが書き直した最高回数は「キ・セ・キ」の34回だ。これはまさにいまいった状況の中での発注だったから苦労したけど、いまは偉くなっちゃった当時の担当ディレクターさんが根気よくぼくを説得してくれて、書き直す度によくなっていった珍しいケースだ。おまけに最後のタイトルを決める際に、身体を張って守ってくれた、相手が相手だっただけに先方を説得するのにえらい苦労をされたんだと思う。でも、そこだけは譲れなかった。だからいまでも彼にはとても感謝しています。その代わり次の曲ではタイトルを変えられた時にぼくが譲ったけど^^:

 あの作品はぼくの中では技術の粋を集めた作品。構成・伏線・展開・オチ・キラーワード・ダブルミーニング・情景描写・心情描写、ありとあらゆる技を屈指してでき上がった作品だと思っています。その意味ではあの作品を超える作品は未だに出てきません^^:でもドラマの最終回の一番いい所で、歌詩の始まりの部分で自分が描いた情景描写そのものの場面が出てきた時には感動しました。

 やってよかった・・・これ、作家冥利につきます。一度これを味わうともうやめられなくなります。

 話はそれたけど、だから単独発注はものすごいプレッシャーがかかるんだ。コンペの方がよっぽど気が楽。だって、自分がダメでも他の人がたくさんいるじゃない?それにだからこそ冒険もできる。ボツればストックになるし、なにも損はしてないんだ、実は。もちろんそれをリサイクルしてリベンジするタイミングを逃しちゃ話にならないけどね。

 ぼくの場合通常コンペに出す出さないは自分で決めるんだけど、時々コンペでも出してほしいと頼まれることがあります。いわゆるセットアッパーみたいな役目なんだろうけど、今回はきっとそうだったんだろうなぁ。なんかとっても申し訳ない気分で一杯な、今日はとてもブルーな一日です。

 でも、おなじブルーでもこの写真の空と海のブルー、そしてグリーン、まじでキレイだと思わない?
 
 久方ぶりに出てくるけど、これも小説の中で主人公の慎一郎が撮影したヤンバルの森とイノー(珊瑚礁)の写真。イノチを生み出す生態系サイクルの写真です。生命というものにこだわった風景を撮り続けた彼の胸中にはきっと血の繋がりや、共に過ごした時間の編み出した絆、愛する者を愛し抜けなかった自分への自戒の念や後悔といったさまざまな思いが胸をよぎっていたんだろうと思います。

 音楽の世界で、そんな生態系を作れたら、きっと凄いことになるんだろうな。でも、ヤンバルにおける無闇なダム開発のような環境破壊要因がこの世界にもある。だから生まれてくるはずの者が生まれてこなかったり・・・おっと、これ以上のことをいうと足元すくわれかねないので今日はここら辺にしておきます。

 あー、それにしても沖縄北部のヤンバルの森、これから梅雨にかけていちばんいい時期を迎えます。沖縄に行って森っていうのもちょっとヘンな気もするけど、だまされたと思っていってみて下さい。自然の恵みのありがたさと美しさ、これはコトバでも写真でも表現し切れないほどのすばらしい世界ですよ^^

Kenn