AmebloblueNewRz 『blue~童心~』
つい童心に帰って
はしゃいでしまうほど
鮮やかな空と雲
あの日のぼくの
blue


 オトナになってしばらくしてからだけど、友達の家に久しぶりに集まって飲み会を始めた時の事だ。普通はそのまま酔っぱらって帰ったり寝ちゃったりするんだけど「そういえば昔良くこの家で鬼ごっこしたよな?なーんて話しになっていきなりじゃんけんし出して、巨大な邸宅の中を鬼から逃げ回る、5時間に及ぶ鬼ごっこが始まった。

 別にどうでもいいっちゃどうでもいいんだけどさ、当時24歳だったことを考えると、あんなに無邪気になって鬼ごっこやったって事自体が不思議なんだ。座敷童にでも憑かれたみたいにみんな必死で大騒ぎした。酒なんてほとんど飲まなかったのにだよ?

 「童心に帰る」って時にはきっとなにかキッカケがあって、あの日のぼくらは本当に良く遊びに行った友達のうちに遊びに行ったからって理由と、卒業してそれぞれが就職していろんなストレスを抱え込み始めた頃だったって理由が重なったんだと思うんだ。
 
 ぼくらはいまだって真夏の青空の下、海に行ったりすると日ごろの鬱憤を晴らすようにはしゃいだりするでしょ?で、時折子供と一緒に泳いでるお父さんとか見て、ふと幼い頃の親父を思い出していたりする。

 「そういえば最近全然地元に帰ってないな?電話もしてないや。元気にしてるのかな?」

 とかいう思いが胸をよぎったりもする。まさに童心に帰ってるんだよね。


 色ってものは実に不思議なもので、その濃淡や彩度で受ける印象が変わってくる。明るい青は楽しい気分にさせるし、深い青は寂しい気持ちを表したり、抜けるような青い空は清々しい気分にしてくれたり絶望のずんどこにいる時には眩暈さえ覚えるようなせつなさをひき出したりする。他の色もやっぱりそうなんだけど、青はいつもぼくらの上から見守っていてくれるからかな?とにかく心理的な影響力が大きいような気がするんだ。

 おなじ空の青でも所変われば色変わる。その場所によって微妙に青が違う。これはその場所の湿度や気温・気圧、オゾンの量や、排気ガスやCO2といった空気中に含まれる物質の影響で空気の粒子が微妙に変化して光の透過率・反射率や屈折率に影響を及ぼすかららしい。日本のように四季がある国では季節によっても変わるじゃない?だからぼくは撮った場所での空の色の記憶色を再現するのに妙にこだわったりする。

 ちなみにこのJamaicaの空のイメージは濃いターコイズブルー。ViViの連載中にいった最も遠い場所なんだけど、ここHalf moon beach and resortは全室コテージで3階建て、メイドさんが3人ついてくれてでっかいプールが全館にある。湿度は低かったけど温度は高かったんで、撮影の前後にビール飲んでプールに飛び込んでみんなで盛り上がった。水に浮かびながら空を見上げ、この空の色を表現するのにはどうすれば出来るのか?とか考えてふと思いついて撮ったのが上の写真です。某写真系サイトでその日の写真で1位にもなったりしました。まあいま思えばファッション系の物撮りって感も否めないんだけど、サングラスに映り込んだ色はまさにあの日のブルー。お気に入りの一枚です。

 歌詞にもよく色が出てくるけど、これは先日お話した五感法の中で視覚的に、あるいは感覚的にイメージを想起させるのに良く使います。常套句に「鮮やかな空の色」とか「モノクロームの町」とか、ありがちでしょ?(笑)情熱は赤だったり、再生は緑だったり・・・

 ぼくは芸能人ではないので自分の歌を愛してくれるみんなをファンとは呼ばない。いろんな感想を聞かせてくれたりとか情報を教えてくれたりするからファンという言葉だとなにか足りないんだ。他に呼びようがないから仲間と呼び、彼らの間ではかとけんマニアとか呼んだりもするみたいだけど、その仲間の一人にオーラソーマを勉強している人がいる。いまじゃ色彩検定なんて国家試験もあるらしいね?彼女が誕生日にぼくの色をボトルに詰めたガラス瓶を贈ってくれたんだけど、やっぱりその色も紫系だったな?もう一色ピンクっぽい色も入ってたけどあれがどうやらぼくの色らしい。いまもスタジオの棚に飾ってあるけど確かに妙に落ち着くんだよね、この色見てると・・・なして?

 実は紫って、文章の中で使うのがとても難しい。中間色だから、夕暮れや朝焼けの時、時間の経過の中で変化していく空にも一瞬しか顔を出さないんだよね。深い赤=茜色もそう。だからぼくらはその色を巧く使って心象風景を描いたり、詩そのものに色をつけたりする。そう、言葉の色。具体的な色を出さないでも読み手に色を想起させることが出来る表現力が身に付けば詩人としては相当なレベルだと思う。

 いやぁ、難しいよね。限られた文字数の中で色や匂いや味や触れた感触や音をすべて言葉で表すんだもの。そんなに簡単なもんじゃないよ。

 特にぼくは流行言葉を使うのはあまり好きじゃない。もちろんケースバイケースでCosmic cosmeticsなんて詩はいまの化粧品の種類だけでAメロが全部埋まっちゃう歌詞だし、Kiss youなんて逆に普遍的な言葉しか使ってないのに、いずれも微笑ましい詩だしね。携帯とかメールなんて言葉でさえ使うことで+になる時にだけしか使わない。まぁ一概には言えないけどね。そんな傾向にあるってこと。

 逆に「きっと、Shynin' days」は敢えてどうってことのない言葉なんだけど、耳に切り込む語感を持った予測を表す日本語の副詞「きっと」と、もはや死語になっていた希望を表す英語「Shynin' days」を組み合わせて死語を蘇らせ逆に流行言葉にさせてみちゃおうと敢えて狙った表現。でも、さすがに思った通りになっちゃった時にはあまりに思い通りで逆に自分の方が動揺しちゃったけど(笑)

 でも多くの場合、あまり凝った言葉は使わないよね?特にその作品の中で意味のない言葉はまずつかわない。字数合わせで埋めるために使う人は多いんだけど、つかわねーなぁ、おれ。特にインパクトだけ狙った意味なし外来語は絶対に使わない。だってさぁ、薄っぺらくしたくないもん!

 これ、即ち拘りといふ。こだわりは心のダム。ぼくらの仕事は水商売。放っておいたらどんどん低い方に流れていってしまう。だからこだわりというダムで堰き止めて、作品力が低きに流れないように踏ん張る><売れるとか売れないとか関係ない。自分の名前で世に送り出すものは妥協しない、よう心がけてるつもりなんだ、これでも(汗)まぁ共作とかになるといろいろ思い通りにいかない部分もあるんだけどね。結局全部直しちゃったりするから、元に少し戻してやってくれませんかとか、そのほかもろもろね、ここら辺はお茶濁しておきます。だからすべて完璧だとは言いきれませんが、心がけとしてこだわりは決して捨てたくない、まあそういうことです。

 いや、なんとも大変な仕事を選んじゃったものです。好きこそものの上手なれ、だったらいいんだけどね。だって、童心の頃から音楽を愛してきたので・・・

 未だにオトナになりきれないのはそのせいなのかな?

 ん?いいわけにならない?

 はい、すみませんm(__)m

Kenn