AmebloOnTheBorder Line~���n1 『OnTheBorderLine~イノチの理由~』


日本最古の石積みダム
地上50mの石の絶壁の上に立ち、
生と死の境界線「ボーダーライン」を
踏んでみた
視界が狭くなり、
目に映るすべてのものの
延長線上にあるひとつの焦点に
強烈に吸い込まれるような
そんな錯覚に陥った
この境界線上の向こうにあるのは
どんな世界なんだろう?


 No15からいきなりすっ飛ばしてNo30に来ちゃいました。本来サブタイトルも~境界~だったんだけど、あることがあって急に変えたくなっちゃった。

 正直いって、命がけで撮りました、この写真。山の中のダムでほとんど誰も来ないから柵がないんだよね。いま考えるとムボウだったなぁ、と思うけど、どうしても覗いてみたかったんだ。ファインダー越しに。フォトショだとこんな風にすぐ加工できるんだけど、絞って被写界深度を深くしてズームレンズを真下に向けると、重さでズームレンズが伸びてこんな風にも撮れたりする。だけどホントにこんな感じなんだよね。吸い込まれるような感覚?

 この直線の手前と向こうではまるで違う世界がある。心臓がドキドキするというよりは、凍りつく感覚?シャッター切ってしりもちをついた途端、息を止めていたことに気づいた。心臓が凍りつき、呼吸が止まる、近づいてたんだよね。

 この写真とはちょっと違うけど、ジャーナリストは敢えて危険区域に飛び込んでいく。それで国家国民に迷惑をかけて責任を問われた人たちもいるけど、一獲千金を狙うのが目的じゃなくて、知られざる真実の瞬間を切り取り、それを遠く離れた場所で傍観する人々に伝えたい一心で飛び込んでいく人たちもいる。写真で世界を救うことは出来ないけれど真実を伝える使命を負った者。特に長い迫害の歴史を持つユダヤ系の人たちにジャーナリストが多いのは、そんな民族主義の歪みに挟まれ続けた苦悩がそうさせていたのかもしれない。ロバート・キャパとかね?

 他人の命を奪ってはならない、もちろん自分の命だっておなじだ。でも、そのイノチの理由が真実を伝えることだとしたら、命がけで戦火に飛び込んでいく彼らの行動は許されるのかもしれない。ぼくらが書かずにいられないのとおなじで、彼らは撮らずにいられないのかもしれない。

 でもさ、イノチの理由を抱かずに自らの命を絶つことは絶対に許されないことだと思うんだ。もちろん無責任には言えないよ?このぼくだって生きていても辛いだけだと思うことがあるかもしれない。けれどどうせ死ぬなら無駄死にしてはいけない。死ぬ気になったらなんでもできる。借金抱えて逃げ惑った揚げ句に死ぬくらいなら、戦地に赴いてその命を賭けて小さなイノチのひとつだって救えるかもしれないじゃない。その小さなイノチと引き換えに自分の命を失ったとしたら、そのイノチには理由があったんだって事なんだと思うんだ。

 なにがあったのかここではいえないけど、どんなイノチにも理由がある。生まれて来た理由がある。それを忘れないでほしかったんだ。

 そのイノチの理由は、きっとこの世界で修業を積むこと。辛いことや悲しみや孤独、裏切りを通じて絶望を味わい、楽しいことや嬉しいことやいとしさや思い遣りを感じて、ひととのつながりを大切にするための術を手に入れることなんだと思う。そしてみんな仲良しになって、天寿を全うしたら順番に生まれて来た場所に帰っていこうよ。宇宙の誕生の歴史に比べればぼくらの一生なんて点みたいなものだけど元はみんな宇宙から生まれて来たおなじイノチなんだからさ。

 そんなイノチの理由を絶望の淵で見た映像から見いだすのがジャーナリストなら、ぼくらは日常の小さな希望や絶望のくり返しの中で揺れ動く葛藤を切り取って言葉に変換しそのイノチの理由を伝えているような気がしてならないんだ。

 ぼくの詩で世界中は救えないけど、もしかしたら生きることに絶望したたった一人のイノチや心を救うことはできるかもしれない。

 音楽なんてなくたって生きてはいけるけど、音楽が時に人の心を救い、何かを気づかせ絶望の淵から引っぱり上げることも出来るかもしれないじゃない?汝隣人に手を差し伸べよ、ってどこで読んだか忘れたけど、ぼくも死ぬまでに一曲でいいからそんな作品を描いてみたいな。

 誰かのために、
 みんなのために、

いつかたくさんの仲間たちの手を借りてそれを実現しようと思ってます。

 あ!昨日はゴメン。だからシリアスな話題にしてごまかしたのバレバレ?

 いつになったら書けるかなー><

Kenn