Ameblo天が眠る
                 『天が眠る~眠り~(愛知県三河湾)』
夜の帳が舞い降りる
闇の重さに耐えかねて
空の瞳がゆっくりと瞼を閉じてゆく
オヤスミ、日本


 こんな風に自然に眠りにつけたらどんなに楽なことだろう。ぼくだけでなく、いまこの時代に睡眠障害で悩む人の数は尋常じゃない。でもここで現代社会の歪みについて語ってもあまり意味がないので自分のことについてだけ触れることにするね。

 ぼくは以前国際線の飛行機に乗っていたんだ。一度は音楽への道をあきらめた、ってことだね。でも、どうしてもあきらめられなくて、結局戻ってきた。「三つ子の魂、百まで」とはよくいったもので、身体に染みついた音楽の魅力は払拭できなかったんだよね。

 大学まではずっとギター弾いて曲書いてた。でも、自分よりいい曲を書いたり、ギターが巧いやつなんか山ほどいるって、自分の才能に見切りをつけた。一方でフリーのライターをやっていたんだけど、出版業界の体質が合わなくて物書きへの道も蹴って、で、就職しました。

 ところが当時一緒に音楽をやっていた仲間がみんなプロになって呼び戻されたのが20年前。でも当時まだソフトシンセなんかなかったから作曲するにも世界中旅してたんじゃ楽器を持ち歩けない。音楽と物書きを足して2で割ったら=作詞、ってへんてこりんな方程式ができてこの業界に舞い戻ったわけです。

 その結果それがたまたまうまくいってしまい、〆切りとフライトによる時差のせいで体内時計がぐちゃぐちゃになって極度の不眠症になって二足のわらじを履き続けきれなくなり退職、独立。人の命を預かる仕事だもんね。どちらかをやめざるを得なかった、けど選んだのは堅実な道ではなく険しい方の道だったんだ。重度の不眠症はその歪みなんだよね。

 もっともたまたまうまくいったといっても、本当の意味でうまくいったのはやっぱり「曖昧なぼくの輪郭」が世に広く受け入れられた時だろうね。10年かかったよ、デビューから。まさに執念以外の何ものでもないよね。
 
 みんなにはさんざん否定されたよ、正直。「見果てぬ夢を見続けるなんてバカなことはやめな、現実を見ろよ、ゲンジツを」ってね?でもあきらめなかったんだな。買わなきゃ当たらない宝くじとおなじで、書き続けなきゃ当たらねー、と思ってた。

 でもさ、さすがに10年も経つと「やっぱだめなんかな?」とか思ったりするわけですよ、当然。まあちょこちょこ売れたものもあったから「いい夢見させてもらったぜ」と潔く身を引こうか、なーんてね?

 悩みましたよ。責めました自分を。恨みました自分の才能を。レゾンドーテルを自ら否定しなくちゃならなかったんだもん。「結局ぼくの存在なんて60億分の1でしかない・・・」そう思ってラストチャンスに賭けた曲に、その時の自分の正直な思いと、少なかったけど応援してくれた人たちへの感謝と祈りを込めて書いたのが「曖昧なぼくの輪郭」だっていったら、みんなはどう思うのかな?
 もちろん当時のJ-soul brothersもおなじような状況だったから、彼らに自分を重ねていたっていうのもある。でもあの歌の最後のフレーズは、絶望を目前にした心からしか生まれてこない叫びだったんだよ。

 みんなが次にあの歌を聴く時、そんな祈りが込められていたんだって思いながら聴いたらきっとまた違った感じ方をすると思う。でもね、「届かない」はずの思いが「届いちゃった」んだよね、皮肉なもんで。だからあの詩は届いちゃったいまのぼくには、書けない。あの頃の自分には絶対にかなわない、といま思います。

 それにぼくの書く詩にはその当時経験したサラリーマンとしての社会経験がふんだんに盛り込まれてる。だから決してなにもかもシナリオ通りうまくいったわけじゃないけど、周り道をしたとも思わない。むしろ未来の自分にとって「経験」という貯金を貯めていたみたいなもんなんだな。

 なにをいいたいのかというと、どんなことにも意味があって、過去を否定するのは自分自身という財産を捨てるようなものだということ。

 欲しい服と、似合う服は必ずしも一致しない。

 そんなことも書いたよね?投げずに追い続けた結果、一つの夢が、当初のカタチとは違うカタチではあるものの、かなった、っていう事実。いま思えばEXILEのHeat Beatsは、夢がかなった瞬間のぼくが使った最初の過去の貯金なのかもしれないね。まあいま振り返って思えばの話しだけど、あの当時は彼らとぼくは一心同体だったんだと思う。それぞれが一つの夢を叶えたいま、ぼくは彼らから幽体離脱し、彼らは彼らの、ぼくはぼくの新しい夢をみつけて走り続けてる。なんで書かないのか?ものすごくたくさんの方からそんなご質問をいただきました。彼らの声でぼくの言葉を聴きたいという、ものすごく光栄なメッセージもいただきました。でも、ぼくは彼らではなく、Kenn Katoなんです。もちろんいつかまたなにかの機会にかくことはあるかもしれないけど、それはあの頃とは違うコラボレイションになるんだとお思います。それまでの間、おたがいが輝き続けていられるようぼくも頑張らなくっちゃ><それがぼくたちのStyleだから。たまに会って飲んだりはしてるけどね^^:

 ところでぼくは会社を辞めた後もその分仕事が増え続け、結局不眠症は治るどころか悪化していきました。眠剤というスイッチがないと自分の電源落とせなくなっちゃったいかれたコンピューターみたいなもんですわ^^:

 上の写真、本当に空が瞼を閉じるように見えるでしょ?シャッターを切った時に思ったんだ、「空も夢を見るのかな?」「見るとしたらどんな夢なんだろう?」って。それがきっかけで生まれたのが短編小説「宙ノ鈴」。このロケから帰ってすぐ、三日で書き下ろしました。

 ところで起きている時に見るユメと、寝ている時に見る夢はまったく違うものなのに、なぜおなじ言葉なんだろう?みなさんはどう思われますか?