彼らが異口同音に言う言葉がある。
それは、オルカやイルカは決して、ただえさを欲しいがために本能的に芸をして
いるのではない、ということである。
彼らは捕らわれの身となった自分の状況を、はっきリ認識している、という、そ
して、その状況を自ら受け人れると決意した時、初めて、自分とコミュニケーシ
ョンしようとしている人間、さしあたっては調教師を喜ばせるために、そしてその
状況の下で自分自身も、精いっぱい生きることを楽しむために、「芸」と呼ばれ
ることを始めるのだ。水族館でオルカが見せてくれる「芸」のほとんどは、実は
人間がオルカに強制的に教えこんだものではない。
オルカのほうが、人間が求めていることを正確に理解し、自分のもっている高
度な能力を、か弱い人間(調教師)のレベルに合わせて制御し、調整をしながら
使っているからこそ可能になる「芸」なのだ。
例えば、体長七メートルもある巨大なオルカが、狭いプールでちっぽけな人間
を背ビレにつかまらせたまま猛スピードで泳ぎ、プールの端にくると、合図もな
いのに自ら細心の注意をはらって人間が落ちないようにスピードを落とし、その
まま人間をプールサイドに立たせてやる。また、水中から、直立姿勢の人間を
自分の鼻先に立たせたまま上昇し、その人間を空中に放リ出す際には、その
人間が決してプールサイドのコンクリートの上に投げ出されず、再び水中の安
全な場所に落下するよう、スピード・高さ・方向などを三次元レベルで調整する。
こんなことがはたして、ムチと飴による人間の強制だけでできるだろうか。
ましてオルカは水中で生活している七メートルの巨体の持ち主なのだ。
そこには、人間の強制ではなく、明らかに、オルカ自身の意志と選択がはたら
いている。
狭いプールに閉じこめられ、本来もっている高度な能力の何万分の一も使えな
い過酷な状況におかれながらも、自分が「友」として受け人れることを決意した
人間を喜ばせ、そして自分自身も生きることを楽しむオルカの「心」があるから
こそできることなのだ。
忍伝が 支配してるのだと思っていたけど 違うんだね
体も大きいけど 心も大きいなんて
自分の高慢さに 呆れてしもう
もしかしたら 檻に入れられている動物たちは
みんな 人間は仲間だと思って
我慢して 人間たちを 楽しませてくれてるのかな~
人間も 動物も みんな仲間なんだってこと 感じていたいな~