この数か月、ネットサーフィンするなかで気になっていた名前のひとつが「市川小金吾(市川青虎)」、なんで気になってたかとめちゃくちゃたくさんテレビの時代劇に出ていたから。

 

そいで、調べると、この人が澤瀉屋の親戚筋である2代目市川小太夫の門弟で、青虎というのはこの小太夫の俳号からもらっているというのがわかった。

 

そのうちに、市川弘太郎丈が二代目青虎を襲名するというニュースが飛び込んできた。

 

ということはみんなが「市川青虎」という名跡について調べるはずだから、また市川弘太郎のWikipediaページが市川青虎 (2代目)というタイトルに移動されるはずだから、いまのうちに情報を整理して「市川青虎 (初代)」というページを作っておかなきゃならん、と思ったわけ。(まだ無かった)

 

おなじみ、歌舞伎on the webの「歌舞伎俳優名鑑 想い出の名優編」に加え、映画やテレビドラマの各種データベース、wikipediaの各作品記事の赤リンクになってるやつ、などの情報を総合して継ぎ足し継ぎ足し、結構なボリュームになった。

 

とりわけおもしろいと思ったのが、1974年頃の「松尾國三に気に入られていまは大阪・新歌舞伎座の専属となっている」という記述。

 

「その襲名興行も、大阪新歌舞伎座の特別公演で、座頭(ざがしら)の天知茂が挨拶を寄せている。歌舞伎役者としては、まことに珍しい披露である。」という記述。

 

 

歌舞伎役者が映画や商業演劇に転出後、改名する例はほかにもあるが、そういった人たちはたいてい既存の歌舞伎名跡に無い名前を創設するので、商業演劇に転出後の役者が歌舞伎の師匠の俳号を襲名し、さらにその後、その名前で梨園に戻ってくるというのはかなり珍しいのではないかと思う。

 

個人のブログなどを追っていても天知茂との縁に言及したものがあった。また、データベース類に目を通していても時代劇で天知との共演はかなり多い。

 

代表例が「虎の子作戦」というドラマ(時代劇ではなく刑事ドラマ)で、クセのある5人の刑事たちを中心に事件を解決していくシリーズで、中心となる刑事が天知、ほかのメンバーのなかに小金吾がいる。ゲストや切られ役での出演が多かったなかで青虎(小金吾)の珍しいレギュラー出演作である。

 

これも、まだwikipediaに項目がない。小説があって、テレビシリーズがあって、映画もあるということだから、特筆性の基準は満たしているし、記事があったほうがよいだろう。のちほど準備する。

 

しかし、改めてリストを見ると、2000年代にも水戸黄門やなんかの有名時代劇にゲスト出演していたのである。どこかで青虎丈の演技を見ていたのかもしれないなあ。

 

 

さてさて、青虎の名跡継承に話を戻すが、先代青虎(小金吾)丈は大阪で生まれ、歌舞伎入門時に一時東上するも、小金吾に付き従い上方で活躍しだしてからは一貫、関西演劇・関西テレビ界のひとであった。弘太郎丈は出身は東京だが、市川右近(現・右團次)にあこがれて三代目猿之助(現・猿翁)に入門したという経緯をもつ。右團次丈もいまは都内在住だが大阪の出身だし、本来右團次は上方歌舞伎の名跡でもあるというわけで、上方での活躍機会もあろうと思う。そういった意味で弘太郎丈が名を変える際に澤瀉屋預かりの名跡とはいえ上方ゆかりの名前を継いだのは右團次丈との共演を見据えての話なのかと思う。

 

元々三代目猿之助の部屋子たちのなかで名題昇進を果たしたなかでは弘太郎丈は末っ子格だが、兄弟子たちの序列のなかでずっと太刀持ちやら若侍の役をやってきた。なんかの舞台の狂言回しで「やっと子供の役から卒業した」とぼやいて笑いを誘っていたのを覚えている。

 

澤瀉屋の座組が四代目猿之助丈中心になってからは、隼人や巳之助、鷹之資など広く歌舞伎界の若手を次々登用しつづけているから、そういう意味では「若侍」弘太郎でいる必要はない。ここらで一度名を改めて新しいステージに踏み出すのもよいきっかけと思ったのかもしれない。そういえば、去年になり弘太郎はとつぜん自主公演会を開き始めた。選んだ演目は、なんと『義経千本桜』「四の切」である。

 

笑三郎は「NARUTO」の大蛇丸の怪演など役の幅を広げ、三代目継承が行われた紫派藤間流では引き続き「家元補佐」の任につき、流派間外交を積極的に担っている。猿弥は現代劇やミュージカルにも挑戦、澤瀉屋の門弟各人が緩やかな連合体として個別の活動を活発化させているのが昨今。今後もさらなる発展に期待したい。