11月25日の夜は、仕事の後で愛知県芸術劇場までびゅーん!

ザ・トリオ・プロジェクトに行って参った!


初めて父親と2人で音楽を聴きに行った。




いやーすんごい良かった。


ベースのアンソニージャクソン氏は病気で来れなくなってしまったけど、

父一押しのドラマー、サイモンフィリップスと上原ひろみの掛け合いがもーずっと鳥肌。


手数の多さに目が離せず。



完全に心を持っていかれながら、
その世界の中で自分を振り返り、
これからの活力をもらえた。

そんな時間を過ごせた。


言葉で誰かに伝えても伝わらない時間をお父さんと共有出来たこと、

そしてお父さんが本当に行って良かったと喜んでくれた事。


大切な思い出が一つ増えた。




お母さーん。
お父さん丸くなって、
寂しそうやけど、
日々を大切に過ごしとるよ。

お母さんの光は今も届いとるよ。





メールで話す事多かったから、
なんとなく、こういう媒体に載せると届くんじゃないかって思えてくる。へへ。


よし!寝よう。笑





お母さんが亡くなって、

葬儀の日までほとんど泣かず、

葬儀の日は弔辞がなかなか読めないほど沢山泣いたけど、

葬儀の日から全然泣いてない。


胸はいつもギューってなる。


バラエティを見て笑ったり、
美味しい物を食べたいと思ったり
食べて美味しいと思ったり、
思ったより、思った以上に全然できてる。


そしてお母さんとの思い出の場所を目にして、
やっぱり胸が痛む。



こんなに泣けない日々を申し訳なく思う。

寂しがり屋のお母さんは、
やっぱり娘は私の事が嫌いやったんやと思うかもしれない。


そんな風に思うと焦りが出てきて、
自分の感情を探る。


これまでもずっとそうしてきたように、

私が今腹が立つのはこうでああで、
私にはこういう部分があったから…云々。

私が今嬉しいのは
あれやこれがあって、
そして彼らの支えがあって、、云々。







私が今意外と平気なのは。






と考えると思考が止まる。
色々な事が思い出せない。




結局私は薄情で、
感受性に乏しくて、
利害でしかモノを見れない
寂しい人間なんじゃないか。

と思えてきて、

お皿を洗う手が止まる。









という日々を送っているけど、

あんまり考えるの止めようと思う。




自分が分からない時もあっていいと思う。







ああでも、お母さんの声が聞きたい。




おばあちゃん子だった姉。


小さい時、姉妹で喧嘩していた時、
おばあちゃんが『喧嘩せんといて。』と心配してくれた時、

私は偉そうに『おばあちゃん黙っといて!』と言った。

姉は『おばあちゃんは関係ないやろ』と弱々しく言いながら泣いた。


喧嘩したって絶対泣かなくて、口でまくし立てて私を負かす姉が、喧嘩で泣いたのは、

私が耳を思いっきり引っ張った時と、
その時だけ。


私という妹のために、母親へ甘えたい想いを殺し、おばあちゃんが一番の理解者であったであろう姉。


おばあちゃんが危篤の時、家族親戚みんな集まって、おばあちゃんを囲って見送ったのに、
姉だけは連絡が上手くつかず、間に合わなかった。


その時を終えて、家族みんなが各々の行動へ移り始めた頃、姉は到着し、
放心していた。


今もなお、悔やんでいる。





お母さんは在宅医療を受けていて、
私が主に介護や日々の状態を見ている。

長生きして欲しい反面、
ネットで終末期について調べまくっている。


生きようとがんばるお母さんを応援しながら、
ネットで見た終末期の症状と母を重ね、
あと何日くらいかな、これは努力呼吸?
いや、意識はまだしっかりしてる。。。
と言う具合に、
どこか冷静に観察している。


言葉を変えれば、

いつ死ぬかな?と言う気持ちで母親を見ている。




すごく不気味。




でも見落としたくない。

お姉ちゃんに間に合って欲しい。

お母さんだって、お姉ちゃんに来て欲しいやろ?


やから私は
今日も不気味に、お母さんの手を握る。



在宅医療って、素敵って漠然と思ってて、
きっと慈悲深く、親の最期を看取るんやって思ってたけど、

実際のそれはとても現実的で、
過酷で、
辛いもの。


でも、
親不孝な私にとっては
本当に有難く、
貴重で、
先立つ予定の親の精一杯の愛を感じるもの。




この期間にどれだけの事を学んで
与えられてきたやろうと思う。

私ほんとに親不孝で、
親から学び吸収出来るはずのこと、
きっと沢山拾い損ねてて、

もしもポックリ逝ってしまったり、
入院を選んでたら、


こんな貴重な時間はなかったんやなと思う。




みんなの絆を求めてたお母さん。

今こうして、お母さんを想うみんなが一致団結してる事を考えると、

満願と言っても良いんじゃないか。




皮肉な事やって言う人もおるかもしれへん。


でも私は、お母さんの歩みがこうして実を結んで来とるんやって感じる。





お母さんの心が慶びで満たされますように。