おばあちゃん子だった姉。
小さい時、姉妹で喧嘩していた時、
おばあちゃんが『喧嘩せんといて。』と心配してくれた時、
私は偉そうに『おばあちゃん黙っといて!』と言った。
姉は『おばあちゃんは関係ないやろ』と弱々しく言いながら泣いた。
喧嘩したって絶対泣かなくて、口でまくし立てて私を負かす姉が、喧嘩で泣いたのは、
私が耳を思いっきり引っ張った時と、
その時だけ。
私という妹のために、母親へ甘えたい想いを殺し、おばあちゃんが一番の理解者であったであろう姉。
おばあちゃんが危篤の時、家族親戚みんな集まって、おばあちゃんを囲って見送ったのに、
姉だけは連絡が上手くつかず、間に合わなかった。
その時を終えて、家族みんなが各々の行動へ移り始めた頃、姉は到着し、
放心していた。
今もなお、悔やんでいる。
お母さんは在宅医療を受けていて、
私が主に介護や日々の状態を見ている。
長生きして欲しい反面、
ネットで終末期について調べまくっている。
生きようとがんばるお母さんを応援しながら、
ネットで見た終末期の症状と母を重ね、
あと何日くらいかな、これは努力呼吸?
いや、意識はまだしっかりしてる。。。
と言う具合に、
どこか冷静に観察している。
言葉を変えれば、
いつ死ぬかな?と言う気持ちで母親を見ている。
すごく不気味。
でも見落としたくない。
お姉ちゃんに間に合って欲しい。
お母さんだって、お姉ちゃんに来て欲しいやろ?
やから私は
今日も不気味に、お母さんの手を握る。
在宅医療って、素敵って漠然と思ってて、
きっと慈悲深く、親の最期を看取るんやって思ってたけど、
実際のそれはとても現実的で、
過酷で、
辛いもの。
でも、
親不孝な私にとっては
本当に有難く、
貴重で、
先立つ予定の親の精一杯の愛を感じるもの。
この期間にどれだけの事を学んで
与えられてきたやろうと思う。
私ほんとに親不孝で、
親から学び吸収出来るはずのこと、
きっと沢山拾い損ねてて、
もしもポックリ逝ってしまったり、
入院を選んでたら、
こんな貴重な時間はなかったんやなと思う。
みんなの絆を求めてたお母さん。
今こうして、お母さんを想うみんなが一致団結してる事を考えると、
満願と言っても良いんじゃないか。
皮肉な事やって言う人もおるかもしれへん。
でも私は、お母さんの歩みがこうして実を結んで来とるんやって感じる。
お母さんの心が慶びで満たされますように。