まずこの画像をご覧ください。
これは日本郵船・貨客船「八幡丸」の処女航海記念カバーです。

貼ってある切手は1940年(昭和15年)8月21日発行の第1次国立公園シリーズ 霧島神宮 10銭 2枚。
消印は「YOKOHAMA 31.8.40 NIPPON」。発行から10日後です。ですから初日カバーではありません。

カバー左側には八幡丸の船首のイラストと共に「八幡丸処女航海記念」の文字があります。
裏面には「SOUVENIR OF THE VOYAGE N.Y.K.LINE」「八幡丸 御乗船記念」「YAWATA MARU 日本郵船」と書かれた記念印があります。

このカバーが発行された時代背景を説明する必要があります。
昭和天皇が25歳の若さで即位した日本は、大正大震災からの復興を懸命に行なってきました。
そして昭和15年には紀元2600年の節目が迫っています。
ロシアとの戦争に勝利した日本は、当時アジアで数少ない独立国であり(日本の他はタイ、中華民国、トルコ、ペルシャ、サウジアラビア)、アジア初のオリンピック開催を紀元2600年(昭和15年、1940年)に開催できればと考えてきました。
当時は第一次世界大戦後で日本は戦勝国側でした。国際連盟の五大国の一員だった日本の首都東京でのオリンピック開催は現実的であり、柔道創設者の嘉納治五郎などの尽力もあり招致に成功します。
さて、八幡丸に話を戻します。
八幡丸は「1940年(昭和15年)の東京オリンピック向けの旅客輸送」として三菱の日本郵船により建造された豪華客船3隻のうちの1つになります。
日本郵船は新しく建造した豪華客船3隻の名前(新田丸、八幡丸、春日丸)を、新田神社(Nitta)、八幡宮(Yawata)、春日大社(Kasuga)といった神社を由来として決定しました。そしてその頭文字をとって「N.Y.K.LINE」と称していました。これは日本郵船株式会社の英文イニシャル「NYK」とかけていたらしいのです。
ですので、カバー裏面の記念印にある「SOUVENIR OF THE VOYAGE N.Y.K.LINE」は、「日本郵船株式会社の航海の記念品」でもあり、「豪華客船N.Y.K.LINEの航海の記念品」でもあるわけです。
そしてこのカバーですが、実際に郵送されたようで、宛先がカバー右下に「P.O.Box 1230 Honolulu, Hawaii」とされています。
この私書箱はハワイ、ホノルルにある日本語新聞「日布時事」のものでした。
カバーは開封されておらず、中には何か入っているようですが、どのようなものかは不明です。
1940年に東京でオリンピックが開催される事が決定し、それを見越して豪華客船が建造され、日本と欧米で人の流れが加速し、ハワイでは増えてきた日系移民向けの日本語新聞が刊行されている。
そんな平和な時間は、ご存知の通り長続きしませんでした。
ヨーロッパでは1939年9月1日、ドイツがポーランドに侵攻しました。イギリスとフランスがドイツに反抗を開始します。第二次世界大戦の始まりです。ドイツはヨーロッパから北アフリカまで侵攻します。世界はオリンピックどころではなくなります。そしてオリンピックは1940年どころか次の1944年も中止となります。第二次世界大戦前に開催されたのが1936年のナチスの宣伝色が濃厚なベルリンというのが皮肉な話です。
そして日中戦争が泥沼化していた日本に対する世界の圧力も強まり、日本は欧米との戦争を決断します。
1941年11月、「八幡丸」は軍に徴用され、改装され、航空母艦「雲鷹」となりました。
「雲鷹」はラバウルやトラック島、マーシャル諸島の作戦に参加しますが、1944年(昭和19年)9月16日、アメリカ海軍潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没してしまいます。
1940年のオリンピックに選手として参加するはずだった人たちが兵士として戦場に送られ亡くなったように、豪華客船もまた同様の運命を辿る事もありました。
このカバーは、そんな歴史の一瞬を記録した、貴重な資料と言えます。