最近、北アフリカのスペイン領セウタに、モロッコからの大量の不法入国者が侵入して、1日で治安が崩壊し問題となりました。
モロッコからスペイン領セウタへ6万人押し寄せる スペイン首相は人身売買業者を非難 - BBCニュース
皮肉な話ですが、スペインのリベリア半島はイスラム勢力に制圧されていた時代があり、8世紀初頭から1492年にかけての戦いでイスラム勢力(そしてユダヤ人)を追放したという歴史があります。
この長期にわたる抗争は「レコンキスタ」(国土回復運動)と呼ばれています。
ちなみにレコンキスタ最終段階はグラナダ陥落の1492年1月ですが、この年はコロンブスの新大陸発見の年でもあります。
グラナダ陥落で戦費負担から解放されたスペインは、コロンブスからの資金要請に応じる余裕があったわけです。

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ところで、スペイン産で有名な生ハムもレコンキスタに関係してきます。イスラム支配から解放された民衆は、ハラール食からも解放されたわけですので、イスラム教徒とユダヤ人が忌避する豚肉の生ハムを好んで食べるようになります。またそれだけでなく、「調理にラード(豚脂)ではなくオリーブ油を使うものは異教徒だ」というレベルにまで行きます。宗教的教義がすべての法の上にきます。スペイン異端審問です。
スペインの異端審問は、ローマ教皇の許可を得て1480年より開始され、1834年まで続きます。
異端審問はスペインの国力強化と中央集権化に大きく役立ったわけですが、恐怖政治と競争力の低下も招きました。
1800年、スペインの宮廷画家フランシスコ・デ・ゴヤは、スペイン宰相ゴドイからの依頼で2枚の絵を描きます。
それが「裸のマハ」と「着衣のマハ」です。

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スペイン異端審問時代では女性の裸の絵画なんてもってのほか。でも宰相までなったんだから裸婦画は欲しい。でもバレたら大変だから同じ構図の着衣バージョンも描いてもらって、何かあったらこっちを見せてごまかそう。
まあ、そんな意図だったのでしょうか。
ここまでなら、権力者のしょーもない振る舞いで終わります。
ですが、時代はそれを許しませんでした。
なぜなら、隣国ではフランス革命が勃発し、その後ナポレオンが登場してヨーロッパ全体を戦場へと変えたからです。

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ナポレオンは連戦連勝を続け、勢力拡大していきます。
ナポレオンに対してスペインは中立の立場を選びます。
ナポレオンと戦ってもスペインに勝ち目は無いので争わないだけですが。
しかし逆らえは潰されてしまいますので、隣国ポルトガルへの侵攻にスペインは同行してしまいます。
しかしナポレオンは危険極まりない。スペインも侵略されるのは時間の問題だ。
そう考えた宰相ゴドイは、スペイン国王カルロス4世一家を連れて、植民地である新大陸(アメリカ)へ亡命を計画します。
これに対して、フェルナンド王太子を支持する「フェルナンド派」は、このゴドイの行動を「国王誘拐」として非難し、民衆を焚きつけて暴動まで起こして、国王を退位へと追い込みます。
繰り返しますが、王太子が国王を退位させたのです。最悪の父子関係です。
こんなスペイン国王一家を描いた絵がこちらです。
同じくゴヤの作品「カルロス4世の家族」です。

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左側の青い服を着た若者がフェルナンド王太子。中央には娘と息子にはさまれた王妃マリア・ルイサ。中央右寄りの黒い服を着た人物が国王カルロス4世です。
写真なんて無い時代ですから、全員並ばせてポーズとらせて出来上がりまで待ってもらうなんて無理な話です。
宮廷画家だったゴヤは、国王一家の肖像画を個別に描いていました。それらを基に、国王一家の集合画像を作り上げたわけです。いまのAI生成画像と原理的には同じ事をやってます。
なお、左側奥の影になっているところに男性が1人うっすらと描かれていますが、これはゴヤ本人です。
この絵画の特徴は、なんといっても「中心が国王ではなく王妃」という点です。国王と王太子の対立を理解した上での事かもしれませんが、それより王室そのものの危機を感じ取っていたのかもしれません。だから多産の王妃を中心に描いて、王室の繁栄を願ったのかも。
この絵画が描かれたのは、「裸のマハ」と同時期の1800年と言われています。
つまり、隣国フランスで国王ルイ16世やマリー・アントワネットがギロチンで処刑された1793年から10年も経っていない時期です。
そしてこの絵が描かれて8年後の1808年、フェルナンド王太子は父カルロス4世を退位に追い込みます。フェルナンドが愚かなのは、なぜかナポレオンは自分を支持してくれると期待していた事です。
ナポレオンはフェルナンドを期待も信用もしていなかったので、強制的にフェルナンドを退位させスペインへの侵攻を開始。ナポレオンの兄をスペインの国王へ即位させ、スペイン支配を開始します。
その際、宰相ゴドイも失脚させられ、財産も全て差し押さえられます。その中に「裸のマハ」と「着衣のマハ」もありました。
1813年10月18日、ドイツ東部のライプツィヒで、大規模な戦闘が行われました。
第1次世界大戦前のヨーロッパでの史上最大の戦闘「ライプツィヒの戦い」です。
ナポレオン率いるフランス軍は、プロイセン・ロシア・オーストリア・スウェーデンの連合軍と戦闘となり、ナポレオンは敗北します。この切手はその「ライプツィヒの戦い」を描いたものです。

この1813年に「裸のマハ」と「着衣のマハ」は異端審問所により押収され、翌1814年に描いたゴヤが異端審問にかけられます。
この時、裁判で取り上げられる証拠品として絵画に個別の名称が審査官によってつけられ、「裸のマハ」と「着衣のマハ」の名前が誕生したわけです。
ちなみに「マハ」とは、この当時のマドリードなどで見かけられた着飾った美しい女性たちの総称です。
若い頃から苦労して絵画の技術を磨き、スペインの宮廷画家にまでなったゴヤは、異端審問にかけられ、スペインがナポレオンにより侵略される様を見ることとなります。
こうした時期に描いた作品が「1808年5月3日、マドリード」です。ナポレオン軍による侵略に立ち上がった民衆が多数捕らえられ、見せしめに銃殺されたその様子を描いた作品です。

1937年のドイツによるスペインのゲルニカの無差別空爆による惨状を見て、ピカソが「ゲルニカ」を描いた時、120年前のゴヤの絵を思い出していたかもしれません。あの時代のスペインも内戦状態でした。

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現在のセウタは治安が崩壊し警察があてにならない内戦状態となっています。
この状態は改善に向かうのか、それともスペイン全土に拡がるのか、予測がつきません。
現在のスペイン首相サンチェスは、自身の家族や政党の汚職問題が山積みとなっています。
スペインが「レコンキスタ」(国土回復運動)に成功するかどうか、注目です。