忘れてしまいたいことと忘れちゃいけないこと | 七歌だお(^ω^)ブログみる?

忘れてしまいたいことと忘れちゃいけないこと

 

2011年3月10日の空。

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東日本大震災の前日のブログに貼ってあった。

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桜の花のつぼみや

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咲き始めた水仙の花。

 

こんな穏やかな春の始まりにあんな大きな地震が来るなんて・・・。

 

2012年3月11日は日本人なら誰もが忘れることができない日になった。

あの震災から昨日で7年。

 

その被害の映像や写真はテレビやネットでいくらでも見ることができるし、

私自身が被災地の本当の状況や被害を受けた方々の気持ちや

ご家族や友達、大切な人たちを亡くした方々の気持ちをちゃんとわかっているわけではないから

あの日、私が思ったこと、覚えていることを書いておこうと思う。

 

このブログを書くために2011年3月のブログを読み返してみたが

2010年の裁判のこともあって自分の住んでる場所についてぼかして書いていたし、

自分がどう思ったかはほとんど書いていなかったから。

 

東日本大震災当時、私は学校を休んで家にいた。

オトンとあんちゃんは仕事の関係で横浜に住んでいた。

なおとは学校、ばあちゃんとオカンは仕事で出かけていて、

たまたま、仕事がお休みだったかっちゃんと二人だけだった。

 

PCでチャットをしているときに地震が起こった。

ドン!っていう感じで縦揺れが来て、そのあと凄く長い時間横揺れが続いたと思う。

チャットの中で「やばいな」「大きいね」「逃げたほうがよくね」みたいな会話があって

その後、津波警報がでているから高台に非難するようにという防災無線が流れてきた。

 

なぜか、ノートPCだけを抱えてかっちゃんと一緒に外に出て

近所のおじさんたちと一緒に山のほうに避難した。

 

電車も止まっていてオカンが帰ってきたのは6時過ぎ。

なおとをばあちゃんが車で迎えに行った。

電話はなかなか繋がらなかったけどブログのメッセージなら連絡が取れることを知った。

 

私が住んでいた場所でも海沿いの家やコンビニが床上浸水の被害があったり

オカンの店があったショッピングモールの外壁が剥がれ落ちたり

近所のスーパーの床がひび割れたりの被害はあったけど

大怪我をした人や、亡くなった方はあまりいなかったと思う。

 

だからこそ、無事だった自分たちが何かしなくちゃいけないと思った。

ひたすらPCに向き合って自分にできることを探した。

結局、できることはほとんどなくて集めた情報をブログに貼り付けるくらいしかできなかった。

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計画停電でロウソクや懐中電灯のありがたみを知った。

電気がないと動かない、ファンヒーターやエアコンよりも石油ストーブのほうが便利だと知った。

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信号が止まっていて、寒い中、交通整理するお巡りさん。

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電車が止まっていて自電車通勤してたオカンが出会った車椅子のわんこ。

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やっと見つけた、緊急物資の受け入れ先。

おこずかいで初めて買った、離乳食。

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駐車場が空っぽのディズニーランド。

 

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あれから7年。

 

昨日14時46分、アニホリZ Zでの

ななかと!の出演時間中にお客様、出演者、スタッフさん、会場にいた、みんなで黙祷をさせていただいた。

 

震災や津波の恐怖や辛い経験は時間とともに薄れていって

いずれ、忘れたほうがいいのかもしれない。

だけど、そこに暮らした人たちや町並み。

確かにあったもの、確かにいた人たちのことは決して忘れちゃいけないと思う。

 

 

では、またあとでε=ε=ε= ヾ(*~▽~)ノ